Vol.476-2/3に続けてご覧ください。
<akijii立ち寄り地-1>森権平庵と墓
1583年、引田の戦いに阿波の水軍・森氏の一族・森権平が仙石秀久の配下として参加。
長宗我部元親軍との戦いで奮戦するが深追いし過ぎて、最期は湿田に馬の足がとられ討ち取られた。
その後、墓と石塔を建て弔われる。いつしか足の病を治すとして祀られるようになった。
森権平の墓は権平庵の道を挟んで向かい側の高台にある。
▼森権平の墓-1
▼森権平の墓-2
▼森権平の墓-3
▼森権平の墓-4、森権平の墓から見る森権平庵
▼森権平庵へ下りる、森権平庵と墓
▼森権平庵
2013年12月に、森権平庵の大わらじが、地元の人達によって約半世紀ぶりに新調され、奉納された。大わらじは長さ2.6m、幅1.0mで、1足の重さは約160kgになる。
<沿線歩きメモ>
▼下りの1500型気動車が通過
▼伊座神社へ向かう-1(国道11号を北から西方向へ)
▼伊座神社へ向かう-2
▼伊座神社へ向かう-3、眼下に高徳線の線路と下伊座踏切
▼伊座神社へ向かう-4
▼伊座神社へ向かう-5、下りの2000系特急気動車が通過
▼伊座神社へ向かう-6
<akijii立ち寄り地-2>伊座神社
伊座地区の溜池:新池の畔に鎮座している。由緒書きが無く、詳細は不明である。
▼伊座神社に着いた、伊座神社-1
▼伊座神社-2
▼伊座神社-3
<沿線歩きメモ>
▼讃岐白鳥駅へ向かう-1
▼讃岐白鳥駅へ向かう-2(白鳥--手袋の町に入った空気が一杯だ)
▼讃岐白鳥駅へ向かう-3、高徳線の線路は右(東)側
▼讃岐白鳥駅へ向かう-4、県立白鳥病院
▼讃岐白鳥駅へ向かう-5
▼讃岐白鳥駅へ向かう-6、讃岐白鳥駅の標識が見えた
▼讃岐白鳥駅の2番線ホーム側に着いた、讃岐白鳥駅に到着したakijii
▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀