Vol.476-1/3 町なかでも町はずれ。<JR沿線を歩く-24:引田駅~讃岐白鳥駅> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

 

新居宮池の動静

夕刻に二面の顔を持つ宮池。

 
 

沁みる言葉

町なかでも町はずれ

 

人の世の喧騒や煩わしさに疲れてくると、人里離れた閑静な所でゆったりと暮らしたいと誰もが思う事である。しかし、それは「小穏(こいん)は山中に遁(のがれ)る」と言って、古(いにしえ)の中国では、けっして上等扱いしなく、市井(しせい)町なかに留まる人こそが上等、大隠(だいいん)と考えると聞く。

 

陶淵明(とうえんめい)(365-427)の漢詩「飲酒」の冒頭に次が記述されている。

(いおり)を結びて人境(じんきょう)に在り。しかし、車馬の喧(かしま)しき無し。君に問う、何ぞよく爾(しか)ると。心遠かれば、地、自ずから偏(へん)なり。

 

町なかに生活していても、喧騒なぞ一向に気にならない。何故そうなのかと陶淵明は自問して「心遠かれば…」の自己の境地を大きく示している。「偏」とは外周のことで、町はずれの意味である。

----陶淵明の関心が、もはや世の事どもから遠く離れていて、市井暮らしで充分に長閑(のどか)なのだ。

 

近年、中高年登山がブームで、ゆったりと山登りを楽しんでいるはずが、中には、自慢や競争の輩(やから)がいるとか。山中で小隠にさえなれぬとは、嗚呼(ああ)

 
 

Walking & Potteringの風景

白鳥廃寺跡(東かがわ市湊)

 

高松廃寺(東かがわ市白鳥)

 

 
 

Flower arrangement

 
 

頭上に広がる空間、空(そら)

 
 

A seasonal flower 

史跡巡りの道中出会った百合(ゆり)

「カサブランカ」とかいろいろ種類があり、開花時期もそれぞれ少しずつちがうが、だいたい6月上旬~8月末頃の開花のようだ。

 

中国と日本は、百合の宝庫といわれている。

 

史跡巡りの道中出会ったカシワバアジサイ

北アメリカ東部原産のアジサイの仲間で、野生種はアジア東部と南アメリカに約30種が分布している。

 

カシワに似た形の57つに深く裂けた葉、円錐形の花房が特徴的で、花だけではなく秋の紅葉も美しく、長期間観賞できるアジサイである。

 

史跡巡りの道中出会った小海老草(こえびそう)(ベロペロネ)

メキシコ原産で、1931年頃に渡来した。

花の形が海老の尾のように曲がって下向きで、鱗(うろこ)状である。

周年開花の性質が強く、冬に暖かい場所で管理すればほぼ一年中咲き続ける。

 

史跡巡りの道中出会った白妙菊(しろたえぎく)

葉と茎が白い綿毛でおおわれているのが特徴、6月頃にその先端に黄色の花をつける。

花壇の縁取りなどでよく見かける。

 

 
 

akijiiの塗絵-(34)

今報東寺です。

 

引き続き、Vol.476-2/3をご覧ください。