Vol.445-1/3 見てなくは‥<R11をチャリで走る-03:さぬき市津田~高松市番町-1> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

 

新居宮池の動静

まだまだ開花の遠い遊歩道の桜と穏やかな様子の宮池。

 
 

<どう捉え、どう考える(行動)べきか>

幻冬舎・見城社長の今報・第3話は、「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」の紹介です。

見られる側、見る側の両位置からの経験則で、「非常に大事」なので紹介する次第である。

 

人は自分が評価されていないと思うと、すぐに肩を落とす。

しかし、それは過剰反応だ。努力を見ている人は必ずいる。

その事実は、努力が実った時にしかわからない。

 

人の心は、弱いものだ。努力を重ねても報われないと、くじけそうになる。しかし、そこでやめると、すべてが終わってしまうそれにどこまで耐えられるかが、ビジネスマンの気骨である大きく飛躍した人は、例外なくあきらめず、努力を続けてきたはずだ。自己評価というのは、殊のほか難しい。

 

人は自分の努力を、誰かにわかってほしいと思う。自分に対して甘く、すぐに過剰な期待を抱く

期待が外れると、今度はもうやめてしまおうかと考える。「人は自分が期待するほど、自分を見ていてくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」という考え方は、ぶれやすい心に安定をもたらす

それは過不足のない、とても現実的な考え方だ

 

僕も努力が報われないと、落胆するほうだ。若い頃は、特にそうだった。

そういう時は、いつもこれを自分に言い聞かせてきた。

この考え方をよくわかってさえいれば、今はうまくいかない仕事も、そのうち必ずうまく流れ始める

 

たとえ十ぐらいの努力をして、評価を得られなかったとしよう。その時、「誰も自分を見ていない」と思うのは早計だ。「この程度では、ダメだ。もっともっとやらなければ」と考えるべきだ。

しかし、だからといって、千も努力する必要はない。百ぐらいのところで、必ず評価され始めるものだ。

 

年頭の3話、「どう捉え、どう考える、どう行動すべき」と受け止められたであろうか。

見城社長の文中にもあるように、ビジネスも人生も共通ではないだろうか。

また機会があれば、続きの紹介をしたいと思います。

 
 

Walking & Potteringの風景

妙覚寺の境内、JR高徳線の鉄橋-国道11号線角屋交差点へ(高松市高松町)

 
 

Flower arrangement

 

 

頭上に広がる空間、空(そら)

 
 

A seasonal flower 

ウォキングコスのおいていた桜草(さくらそう)

開花時期は一般的には4月中旬~4月末頃であるが、ウォーキング中に見つけた。

日本原産で園芸品種が多数あるらしいが、都会ではほとんど見かけないそうだ。

ピンク色の可憐な花を咲かせるが、白いのもある。花言葉は「長続きする愛情」である。

 

 

ウォキングコスにめた黄梅・紅梅・白梅

 

 

 
 
 

akijiiの塗絵-(03)片栗、えんごさく

今報片栗、えんごさく」です。

 

引き続き、Vol.445-2/3をご覧ください。