Vol.404-1/3 老人の仕事。<ことでん駅周辺シリーズ-09:[志度線] 六万寺駅> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

小生、自由人となって今日で6年が経過、明日より7年目に入るが、時が経つのは早いものである。

「時は金なり」の言葉は、時間は大切なもの、「時間の有効な使い方」は「お金の有効な使い方」と同じものだ。

が、お金は置いておいても減らないが、時間は何もしなくても少しずつ無くなっていく。

これからは「自分の時間の投資先」について真剣に考えてみたいと思っている。

 

新居宮池の動静

◇上空の雲を映す宮池-1

 

◇上空の雲を映す宮池-2

 

 

<どう捉え、どう考える(行動)べきか>

老人の仕事 

 

老人は経験豊富なはずだから暇をもてあますことなく、計画的に持続できる仕事にうちこむがよい。

こうした目的意識をもって生きてゆけば、老後の生活もたのしくなり生き甲斐も感ずるようになる。

 

<解説>

カントによれば、この教訓は何も老人のみならず、青・荘年期の人にも当てはまるものである。

もともと凡人は長い一生を通じて退屈に苦しみ、毎日時が経つのが遅すぎると思っている。ところが人生も終わりの頃になると、今度は月日が電光のようにすばやく過ぎ去ってゆくことを嘆いている。

思想的にカントの弟子とも言えるショーペンハウアーは、人間は勝手なものだ。生きている間は色々と苦しみに直面し悩むが、一端それが去ると今度は退屈によって苦しめられる。

人間の生活には、苦悩と退屈の二段階しかないといっている。

 

カントは、それほどではないにしても「退屈」の苦しさを熟知していたらしい。

社交界でも、話が下手でいかにもうっとうしい人物が現れると、人々はこれは退屈になるぞと思って辟易するが、その半面、話上手で奇抜な社交的人物が現れると、これからは愉快になり退屈は消え去るとカントはいう。

 

 

Walking & Potteringの風景

久米池と屋島・五剣山、覚善寺(高松市松島町)の天水桶の四隅を支える石像。

 

 

 

Flower arrangement

 

 

 

A seasonal flower 

小生玄関いているベゴニア

 

ブラジル原産で、開花時期は5月中旬~11月末頃まで長い間、咲き続ける。

いろいろ種類がある。花言葉は「幸福な日々」である。

 

 

ウォキングコスにいていたスモクツリ()

 

花期は67月、切り花としても人気のあるスモークツリーの、もやもやは花ではなく花ガラである。

因みに雌雄異株で、雄の株にはあのモヤモヤは出来ない。流通しているのは、もちろん雌の株で、スモークツリーの雄の株と雌の株は花が咲くまで見分けはつかないとのことである。

 

 

小生いている紫陽花(あじさい)

 

日本原産で、開花時期は6月上旬~7月中旬頃で、ちょうど梅雨時期と重なる。

本来の「紫陽花」とは、唐の詩人の白居易さんが命名した別の紫の花のことで、平安時代の学者、源順(みなもとのしたごう)が今のあじさいにこの漢字をあてたため誤用が広まったらしい。

 

花言葉は「辛抱強い愛情、元気な女性」である。

 

 

 

Akijii展、想い出の風景-(宮池の風景:38  

今報の想い出の写真9/279/30の新居宮池」です。

大してごください。

 

 

引き続き、Vol.404-2/3をご覧ください。