Vol.370-3/3 素振りを怠らない。<ふるさと健康のみち-07: 内場池湖畔(塩江町)> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.370-2/3に続けてご覧ください。

▼上西新橋を渡り右折、藤澤藤新太夫の墓へ向かう-1
  
▼藤澤藤新太夫の墓へ向かう-2、ふれあい広場
  
▼右前方()側に内場池を見る、藤澤藤新太夫の墓へ向かう-3
  

内場池野外運動緑地施設は、
テニスコート3面、ゲートボール、トリム広場、わんぱく広場がある。

▼内場池運動センター、藤澤藤新太夫の墓へ向かう-4
  
▼ホテルヴィラ塩江
  
▼藤澤藤新太夫の墓へ向かう-5、レイクサイド塩江とセカンドステージ-1
  
▼藤澤藤新太夫の墓へ向かう-6、右前方の内場池の様子-1
  
▼藤澤藤新太夫の墓へ向かう-7、レイクサイド塩江とセカンドステージ-2
  

藤新大夫光高の墓である。墓石には「藤沢藤新太夫 元暦元年七月十三日」と書かれている。
塩江町にとって最も古く、塩江藤澤家の先祖のお墓である。
大治四年、藤原家成が讃岐守となり、その子章隆が讃岐藤原家の祖、その子が資高で讃岐藤原家の二代目、その子有高の子が光高、藤新太夫光高と号し讃岐は香川郡、内場城に移り住んだ。内場の澤(さわ~細い川とか短い川の通称)近くであったため、藤新太夫の「藤」とこの「澤」を併せて「藤澤」と名乗るようになったと伝えられている。

▼藤澤藤新太夫の墓に着いた、藤澤藤新太夫の墓
  
▼内場ダムの堰堤へ向かう-1
  
▼内場ダムの堰堤へ向かう-2、レイクサイド塩江とセカンドステージ-3
  
▼レイクサイド塩江とセカンドステージ-4、右前方の内場池の様子-2
  
▼内場ダムの堰堤へ向かう-3、レイクサイド塩江とセカンドステージ-5
  
▼内場ダムの堰堤へ向かう-4
  
▼レイクサイド塩江とセカンドステージ-6、内場ダムの堰堤へ向かう-5
  
▼右前方にダム管理事務所が姿を見せた、レイクサイド塩江とセカンドステージ-7
  
▼内場ダムの堰堤へ向かう-6、ダム管理事務所が見える
  
▼ダムの堰堤が見える、ダムの網場(あば)
  
▼内場ダムの堰堤へ向かう-7、ダムの堰堤と管理事務所が見える
  
▼内場ダムの堰堤へ向かう-8
  
▼内場ダムの堰堤へ向かう-9、内場ダムの堰堤に着いた
  

天端より下流直下で、堤体も「コンクリート」というよりもそろそろ「石」の趣が出始めている。

▼内場ダムの堰堤-1
  
▼内場ダムの堰堤-2
  

内場池ではヘラブナ、ブラックバス釣りを、内場川では渓流釣り(あまご・マス・うなぎ)を楽しむことができる。シーズンには県内外からの釣り客で賑わっている。

▼内場池(ダム湖) 、県道7号へ出た
  
▼ことでんバス停へ向かう-1
  
▼ことでんバス停へ向かう-2
  
▼ことでんバス停へ向かう-3、こんでんバス停にゴール
  
▼行基の湯
  

道の駅「しおのえ」に隣接した温泉施設で、山間の静かな環境と和風情緒漂う温泉で癒しの時間をあじわえ、効能は慢性リウマチ、慢性皮膚病、神経痛、糖尿病などである。
家族やグループで借りられる貸切風呂や、そばの製麺工程を見られる「そば道場」と「行基そば」が人気だ。

▼行基橋、行基橋の上流(香東川)方向
  
▼足の湯、観光物産センターしおのえ
  

ことでん塩江バス停で乗車、JR高松駅までバスで、予算線に乗り継いで帰宅した。

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀