新居宮池の風景
年の瀬を迎えた宮池の夕暮れ時。
Walking & Potteringの風景
塩江温泉の源泉六角堂へのみち、白桃の滝と太鼓橋。
<どう捉え、どう考えるべきか>
遵守すべきこと…。
ある月刊誌を観ていると普段、自分が思っている内容が記述してあった。
掻い摘んで紹介しますが、貴方はどのように捉えるかご一読ください。
日本の国民はこの半世紀で歴史上始まって以来の豊かさを手に入れた。それは経済的な富だけでなく自由も一緒である。しかしながら、一世紀前の人から見れば、現代の日本の姿はおよそ同じ国とは思えないほどの国になった。人々の願いは「富と自由」を手に入れることであり、これさえ手にすれば幸せになれると信じてきた。この願いはかなり叶えられ、本来ならば大方の人たちが幸せになっているはずであったが、残念ながらそうはなっていないと実感している人のほうが多い国となった。
それは、手に入れたものがある代わりに、失ったものが沢山あるからである。
得たものは、お金や財物といった目に見えるものばかりで、失ったものは心という目には見えず、手で触ることもできないものである。
ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス(故人)の『女ねずみ』という作品に、「人間はいろんなことができた。しかし、ただ寛容にだけはなれなかった」という一節があるが、そのとおりの社会になりつつある。
人間は予期せぬ富を手にすると、限りない自由も欲しくなり、結果として自制心を失い、そして自分の行動を規制するものを排除したくなる。これはルールのないスポーツを望むのと同じで、社会という組織が保てなくなる。国家には憲法・法律があり、社会にもまた、小さくは家庭にも個人にも、遵守すべきことが沢山ある。
明文化されたもの以外にも暗黙のルールを含めれば無限にあるともいえよう。このルールが守られている間は、自由は高い意義と価値があるが、しかし、自分のわがままや身勝手な行為を自由と履き違える人が現れると、自由は社会の健全な発展を損ねてしまう。
イギリスの思想家ジョン・スチュアートー・ミルが「人々が自由を求めれば求めるほど、不自由になる」と警告しているとおり、自分にとっての好都合を自由だと勘違いする人は、不自由に陥っていくのである。
しっかりとルールが守られているスポーツがその美しい姿で人に感動を与えるように、社会もルールを守る人たちによって、美しい姿をつくり出していかなくてはならない。
<Flower
arrangement>
A seasonal flower
◇小生の家のダイニングテーブルの鉢に咲くカトレア
中央から南アメリカに分布するランの仲間で、野生種は40種~80種あり、ランの中では最もメジャーなものの一つである。木の幹や枝、岩の上に根を下ろして生長する。肥大する茎、厚みのある葉っぱ、太い根、など普通の草花と比べるとやや違った姿をしていて、人の手で掛け合わせて作られた品種が膨大にあり、花の大きさや色は多岐にわたるが、それもカトレアの魅力のひとつであろう。寒さに弱いので、基本的に鉢植えにして、冬は室内に置く。開花期は種によって異なり、主に冬・春咲き、夏・秋咲きがある。不定期に年数回花を咲かせるものも多く、よい香りを放つ花もある。
◇ウォーキングコースに咲いていたガザニア
南アフリカ原産で明治末期に渡来した。春から長い間、オレンジ色、黄色などの花が咲く。葉っぱはウラが白い。ガーベラに少し似ている。晴れた日の日中にのみ花が開くらしい。
<Akijii展、想い出の風景-Ⅰ(四国のみち編:21)>
今報の想い出の写真は「阿讃山麓のへんろみち」です。
引き続き、Vol.371-2/2をご覧ください。