Vol.302-1/2 安岡とドラッカーに学ぶ-2/3。<かがわの河川と橋=②-1/2:湊川> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

 

新居宮池とWalking & Potteringの風景

穏やかな空を映す宮池の池面。

夕暮れの空。

  

 

<どう捉え、どう考えるべきか>

安岡とドラッカの言葉に-2/3

安岡正篤とPFドラッカーの言葉、両者の教えの共通点の2回目です。

 

「組織の中でいかに自己を生かすか」

組織社会である現代に即したドラッカーの教えを学ぶと、安岡の教えがより深く理解できる。

それは、今日のように企業組織が社会の主要な構成要素となったのは安岡の時代より少し後であり、ドラッカーがこれにいち早く注目し、組織を通じて人の生き方を説いているからである。

いかなる職業でも、仁を求めて得ぬことはない。

その職業を通じて仁を成し得ることが偉大なほど、その職義洋は貴い。    

(安岡正篤「いかに生くべきか」)

 

組織とは、個としての人間一人ひとり、および社会的存在としての人間一人ひとりに貢献を行わせ、自己実現をさせる手段である。                                           

(ドラッカー「マネジメント」)

 

安岡は組織という観点よりは、人間と社会、あるいは仕事という観点で、人の生き方を説いている。

そしてそれは、ドラッカーの説く生き方と見事に一致している。

 

賢は賢なりに、愚は愚なりに一つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。別に偉い人になる必要はないではないか。社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。その仕事を通じて、世のため、人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない。        

(安岡正篤「安岡正篤活学一日一言」)

 

われわれは、組織が一人ひとりの人間に対して位置と役割を与えることを当然のこととしなければならない。同時に、組織をもって自己実現と成長の機会とすることを当然のこととしなければならない。   

(ドラッカー「断絶の時代」)

 

組織は人の成長のための道具であると一貫して説き続けたドラッカーは、各人がいかにして自分の成長を果たしていくかということが現代、労働者の大半を占めるナレッジワーカー(知識労働者)の課題であると説いている。に関しては、3回目(最終)に記載します。

 

 

A seasonal flower 

小生の庭の鉢にオキザリスカラ

  
南アフリカ原産の球根草。属名のOxalisはギリシャ語のoxys(酸性物)が語源で植物にシュウ酸が含まれることから。オキザリス属は熱帯を中心に約850種が分布する。オキザリス・パーシーカラーは、横から見ると花びらの裏側の赤と白のストライプに特徴があり、キャンディケインによく似ることから英名でCandycane sorrelと呼ばれる。葉は3出複葉、小葉は線形。

 期は10月~4月で、花言葉は「輝く心」である。

  


 

Flower arrangement

 


今に息づく その時 あの言葉 その時 史が動いた

賽は投げられた ALEA JACTA EST (アレア・イヤクタ・エスト) カエサル

紀元前49112日 カエサル() ルコン川を渡る

周辺民族を次々に征服し巨富を得た、2000年以上前の古代ローマ。しかし裏では金権政治がまかり通り、社会不安が広がっていた。民衆のための改革を旗印に執政官となったカエサルは、議会の情報公開や土地の再配分など画期的な改革を進めるが、当時の慣習に従い一年の任期でローマを去る。約7年後、不可能といわれたガリア平定に成功し、人々の熱狂的な支持を受け再び執政官になることを臨むが、そのためには軍団を解散せねばならず、反対派に阻まれるのは明白だった。カエサルは苦渋の末、この日、軍を率いて国境のルビコン川を渡る。運命の賽の目は「吉」と出、カエサルは勝利する。


 

Akijii展、再展示

今報はシェイプアトの「と雪景色」です。

 

 

引き続き、Vol.302-2/2をご覧ください。