今報の雑学 水戸光圀が「黄門」様と呼ばれるのはなぜか
元禄13年(1700)12月6日、水戸光圀死す(亨年72歳)。
水戸光圀は徳川御三家のひとつ、水戸藩の二代藩主で、一般には「水戸黄門」あるいは「黄門様」の名で知られている。テレビ番組などでおなじみの水戸黄門は、悪人を前にして、おもむろに葵の御紋をふところから出し、「余は先の中納言、天下の副将軍なるぞ」の名文句をはく。このセリフでも解るように、水戸光圀は隠居前、中納言(権中納言)の職にあった。中納言というのは太政官の次官にあたり、中国ではその中納言に相当する職務の者を「黄門」と呼んでいた。ちなみに、黄門という言葉の由来は、宮中の門が黄色く塗られていて、そこから出入りしたからだという。水戸光圀が「黄門」と呼ばれるのはこのためだが、黄門=中納言は勿論、彼ひとりではなく、常に8~10人ぐらいいた。また、例の諸国漫遊記は単なる作り話で、著作活動に専念していた黄門様には、のんびり各地を歩き回る余裕などはなかった。
<どう捉え、どう考えるべきか>
佐藤 初女(森のイスキア主宰)「いのちのことば=心の道しるべ」の4回目は、「「有言実行」ではなく「実行有言」で」「気づいたことから、まず実行する」「理屈で自分をまもらないで」「おとなは子どものお手本となるように」を紹介します。
056.「有言実行」ではなく「実行有言」で
<森のイスキア>のスタッフが私のことを「しゃべったことをやっている人だ」と言ったんですよね。でも私は「やったことをしゃべっているのよ」と言ったんです。私は言葉より、行動が先なのね。
今みたいな大変なときだからこそ、これは大事なことだと思います。
言葉であれこれ言う前に、まず行動。黙ってやればいいです。
061.気づいたことから、まず実行する
どんなことでもやらないよりは、とにかく一歩でもいいから踏み出すこと。
「私にはこんなことしかできない」と思ってやらないと言う人もいますけれど、それは大きな間違いです。
行動すれば、そこからすべて変わります。
124.理屈で自分をまもらないで
なにか相談に来ても、すんなりと「そうですか」「はい」って口にできる人は変われるけれど、「でも」「だって」とか、「私の場合は違うんです」「経験していないとわからないですよ」と言っている人は、いつまでもそこにとどまって、自分で自分を囲っているんです。
素直に受けとめられる人は、変われる人です。
084.おとなは子どものお手本となるように
おとなの姿を見て、子どもがその通りに真似をする。
おとなの行動そのものが、ぜんぶ子どもに受け継がれていくんですから。
子どもを叱るばかりではだめなんです。
新居宮池とWalking &
Potteringの風景
水鳥軍団が泳ぐ宮池。
朝靄に包まれるだんご3兄弟。
A seasonal flower
最寄りのJR駅陸橋の下に咲いていたユッカ蘭(厚葉君が代蘭あつばきみがよらん)
竜舌蘭(りゅうぜつらん)科。開花時期は、5月下旬~6月中旬(二度咲き→9月下旬~11月末頃)春と秋に二度咲きする。秋の花は、9月下旬頃から咲き出すものと、11月になってから咲き出すものに分かれるようだ。さらにそれが年を越して咲きつづけるものもある。アメリカ大陸が原産で、1596年にイギリスに渡り、日本へは明治中期に渡来した。葉は先端が尖り、固い。白い、おわんを逆さにしたような花が たくさん咲く。一つ一つの花が重いため、花柱が倒れてしまうこともある。
別名「厚葉君が代蘭」(あつばきみがよらん)。学名が「Yucca
gloriosa」で「gloriosa」が「立派な、栄光ある」という意味があり、そこから立派な和名がつけられた。
<Akijii展、再展示>
引き続き、Vol.295-2/2をご覧ください。







