今報の雑学 電話をかけるときなぜ「モシモシ」と言うのか
明治33年9月11日、公衆電話が上野と新橋の両駅に初登場した。
電話が開通したのは明治23年12月で、はじめの頃は「オイオイ」と言っていた。当時の電話は交換台(交換手)を呼び出して相手に繋いで貰わなければならず、「オイオイ」と呼ぶと、交換手も「オイオイ」と応えたとか。ちなみに最初のうちは男性が交換手を務めていた。その「オイオイ」がやがて「モシモシ」に変わる。
「モシモシ」は「申し上げる」の「もうし」からきているが、一説では、東京電話交換事務所の主幹の某氏が欧米の「ハロー」に代わる言葉を考えるよう提案し、協議の末に「もうしあげる」という言葉から「もうし、もうし」ということに決め、それがつまって「モシモシ」になったという。
別の人のアイディアによるとの説もあるが、いずれにしろ「モシモシ」という言葉は電話業務に関わりのあった人によって創作されたもののようで、それが定着して今もなお用いられているという訳である。
<Flower arrangement>
雨がくれるもの
松浦 弥太郎著の「しあわせを生む小さな種」、四つ目の種は「雨がくれるもの」です。
日々いろんな事が起きて、中には悲しいことや傷つくようなことも大なり小なりあるが、そのたびに僕は「すべて自分に必要なことだから起きる」と思うようにしている。
しあわせになるかどうかは、心の状態で決まるのではないでしょうか。
降り続く雨はうんざりするし、気がめいるし、体もだるい。
しかし、雨が降るから大地が潤い、植物が育ちます。雨がくれる恵みは沢山あります。照りつける日差しの強さに参ってしまうこともあります。しかし、太陽の力で草も、動物も、僕たち人間も、地球も生かされている。
何かつらい事が自分に起きた時、「いやなこと」と反応する前に、それをどう捉えるか、自分で冷静になって決めたいと感じます。可哀想な被害者になるか、それも「必要な試練だ」と思う勇気ある者になるか、自分で決める自由と意思の力を持つ。しあわせになれるかは、この選択ができるかどうかに尽きる気がしてなりません。
十代の頃から、僕が自分にいい続けている言葉があります。「自分が乗り越えられない困難は、自分には起きない」。僕に起きた苦しさや困難が、たとえ世界で一番の苦しみであったとしても、それを乗り越えられる力が自分にあるから起きたのだと捉える。そうすると、「きついな、苦しいな。でも乗り越えられる困難なのだな」と歯を食いしばって踏み堪えられる力が湧いてきます。逃げずにいれば時間が解決してくれる、とも信じています。暮らしや仕事には楽しいだけでなく、苦しさもあります。
若い頃と違って、すぐに解決策が見つからなくても焦りません。「時間が解決してくれることもある。すぐに乗り越えられなくても、じっくり時間をかければいいだけの話だよ」と、自分にいい聞かせたりします。
マイナス要素をすべて排除するのではなく、マイナスから得るものもあるし、マイナスがあってプラスが生まれます。元気で跳んで歩いている時には見えなかった景色にも、見えなかった人の気持ちにも気づくことができるはずです。
不自由さは最高の先生です。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
東屋から靄った宮池を観る。
津田川を跨ぐ高松自動車道と雨滝山。
A seasonal flower
小生の家に住む亀の水槽に咲く布袋葵(ほていあおい)
浮き草の一種で葉は卵形、葉の基部がふくれてきて浮き袋になる。これを七福神の一つの布袋さんの丸いおなかにたとえた。花は8月中旬に見頃を迎え9月下旬にかけて咲き誇る。花は紫色の美しいものだが、一日で咲き終わる。繁殖力が強く、河川や池で広まってしまっているところもある。別名は「布袋草(ほていそう)」「ウォーターヒアシンス」とも呼ぶ。
因みに、布袋さんは中国、唐代末期の禅僧で、住まいを定めず常に杖と日用品を入れた大きな袋を背負って歩き、吉凶や天候を占い、額は狭く腹は大きくふくれ、半裸でちょっと変わった風体である。
<Akijii展、再展示>
今報は切り絵「童と富士」です。
引き続き、Vol.280-2/3をご覧ください。





