Vol.272-2/3 今、一番を…。<四国のみち(国交省)12-1/2:高家口--展望休憩所> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.272-1/3に続けてご覧ください。


<四国のみち(国交省コース)シリーズ>

12-1/2:高家口--白峯寺--十九丁--根香寺(--展望休憩所)

・踏破ルート

高家口←2.3km→白峯寺←2.6km→十九丁←2.2km→根香寺/十九丁←3.1km→展望休憩所

・歩行距離と時間<10.2km—5.0h

車も通る道を離れると、草むした石段がどこまでも続くかに思われる五色台の登山道。やがて両脇を規則正しく樹木が固める石畳の道へ出れば白峯(しろみね)御陵の聖域だ。広く開けた白峯寺周辺でひと息ついた後、再び周囲に草木の生い茂る根来寺(ねごろじ)への道へ。

道中で目につくのは善意の人々の小さな道案内板と1(109m)毎の舟形石。香川県内にも豊富に自然が残っていることを痛感させられる道である。根来寺に着いたら同じ道を途中の十九丁まで折り返し。

そこからひたすら国分寺を目指して大自然の中を下って行く。

▼高屋バス停、高屋口

▼高屋口の四国みち道標とakijii、白峯(しろみね)寺へ向かう-1

▼白峯寺へ向かう-2

▼高家神社へ立ち寄る、高家神社-1

この神社は、白峰寺へ行く途中にあり、新四国曼荼羅霊場第14番観音

寺の看板を目印に進めば当社。屋根が段違いになった随神門をくぐり

、境内へ。正面に拝殿、その右奥が血ノ宮(御棺基石と書かれた石碑が

目印)左側の社殿が妙見宮。血ノ宮は、崇徳天皇の棺を白峰に運ぶ

途中、雷雨に遭いこの神社で、棺を休めたところ、棺から血が流れた

落ちたことから、血ノ宮と呼ばれるようになったとこと。

▼高家神社-2

▼高家神社-4、白峯寺へ向かう-3

▼高家神社-3

▼白峯寺へ向かう-4

▼左側(西)の風景-1、白峯寺へ向かう-5

▼白峯寺へ向かう-6、救世大悲観音菩薩

▼白峯寺へ向かう-7、左側(西)の風景-2

▼白峯寺へ向かう-8、左側(北西)の風景-3







▼白峯寺へ向かう-9

▼白峯寺へ向かう-10

▼白峯寺へ向かう-11

稚児(ちご)ヶ滝の上流にある四国霊場八十一番札所・白峯寺。近くには四国唯一の天皇陵、崇徳天皇陵が控えている。滝の源は寺の前の小さな流れで陵のすぐ下を通り、稚児ヶ嶽の絶壁から地上へと落ちていく。

お寺の住職を務めていた方は「普段は湿っている程度。その代わり、山が浅いから大雨の後は立派な滝になるんです」と話す。

▼稚児(ちご)ケ滝

車も通る道を離れると、草むした石段がどこまでも続くかに思われる

五色台の登山道。やがて両脇を規則正しく樹木が固める石疂の道へ出

れば白峯御陵の聖域である。

▼白峯寺へ向かう-12

▼白峯寺へ向かう-13

▼白峯寺へ向かう-14

▼白峯寺へ向かう-15

▼白峯寺へ向かう-16

▼白峯寺へ向かう-17、白峰御陵と崇徳上皇の解説板

四国で唯一の天皇陵で、第75代崇徳天皇の陵。保元の乱で讃岐に流された崇徳上皇は1164年、46歳で崩御された。遺骸は八十場の泉に浸されたあと、ここ白峯寺で荼毘にふされ、この地に葬られた。
陵域は白峯寺に隣接して約1ha有り、陵形は方丘である。
▼崇徳天皇陵へ寄る、崇徳天皇陵-1

▼崇徳天皇陵-2

▼崇徳天皇陵-3


引き続き、Vol.272-3/3をご覧ください。