今報の雑学 「七夕」をなぜ「たなばた」と読むのか
7月7日は七夕だ。
「天の河の片岸に織女(おりひめ)という天女が住んでいて、いつもはた(機)を織っていたが、対岸に住んで
いた」牽牛(けんぎゅう)と結婚すると、なまけてはたを織らなくなった。
怒った父の天帝は織女を連れ戻した。だが、二人が悲しみに打ちひがれているのを見て、両者に
年に一度だけ会うことを許した」。7月7日の「たなばた祭り」は、この中国固有の「織女祭り」とが結
びついたもの。
織女祭りというのは、織女が衣を織って、それをお供えして神様を迎えたお祭りのことで、その昔、
はた織り機は水上に突き出した棚の上に設けていた。
そこで織女のことを「棚機津女(たなばたつめ)」と呼んだ。これが中国の伝説と合体し、今日のたな
ばた祭りになって行くわけだが、その祭りが7月7日の夕べに行われることから、七夕と書いて「たな
ばた」と読むようになった。
<Flower arrangement>
Jobsと「徒然草」…。
アップルコンピュータ社を設立したスティーブ・ジョブスは、強烈な個性で波乱万丈の生涯を送った稀代の風雲児56年の生活であったが、その伝記には「一つの仕事を成し遂げるためには他の人生を捨てよ」とか「何をするのではなくて何をしないかが大切だ」、さらに「死んで天国へ行ける保証はないが、だれひとりとして死から逃げられない」「死に近づきつつあると知れば、やりたいことができる」など、人間が生きていく上での覚悟が、格言集のように出て来る。
新時代に合った革命的な商品を開発するために、従来の経営法則や人間関係の発想をぶちこわした。そこにジョブスの真骨頂があるが、ある知識人はこのジョブスの名言の中には、吉田兼好が綴った「徒然草」の一節が、そこかしこに出て来ると言っている。ジョブスは仏教徒で禅を修業していたから、英訳された「徒然草」を読んでいたかもしれないとも…。今報で少し長文となるが、3例を紹介します。
一事(いちじ)を必ず成さんと思はば、他の事の破るるもいたむべからず。
人の嘲(あざか)りをも恥づべからず
もし一つのことを成し遂げようと思ったら、他のことがうまくいかなくても、悔しがることはない。
他人が嘲っても恥ずかしくない
これはジョブスが繰り返して言っている事で、「人間はあれもこれもといろいろな仕事はできないのだから、一つひとつのことに集中しよう」という意識と同じだ。現代はマルチ人間が求められ、ひとりで多種多様の能力を発揮することが良い、という風潮がある。しかし、兼好は「ひと筋の人に限る」とする。何はともあれ、「一つの目標に向かって生きる」。野村克也氏が「生涯一捕手」と言うのと同じ考えである。他人が嘲るのをも恥ずかしがってはならない。沢山のことを犠牲にしなくては、一つの大きな事は成し遂げられるはずがない。これが兼好の答えである。
一時の懈怠(けだい)、すなはち一生の懈怠となる
その一時の怠りが、そのまま一生の怠りとなる
この言葉は、「世の中は無常であるからこそ、一瞬を大切にしなければならない」という考えから生まれている。
一時の懈怠、つまり一時の怠りの原因には、三つのケースがある。
一つは、「どうせ今まで延ばしてきたのだから、今さらやってもしようがない。すでに遅すぎる」というあきらめだ。二つめは、「人生は長いのだから、何も今この瞬間からやらなくてもいいだろう」という油断だ。さらに、「ここでやたらと頑張ってしまうと、目立って、他人の反感を買う」という周囲への気配りだ。「出る杭は打たれる」という現実がある。これは、仏道修業に入ろうとする人の例を挙げて、結局は出家できずに終わってしまうというその原因として書いている。
世に従(したが)はん人は、先づ機嫌(きげん)を知るべし
世間を相手に仕事をしようとする人は、
まず第一に時機を知らなければならない
何かを成し遂げようと言う人は時機をみはからなければいけない。
何かを発言しても時期が合わなければ相手の心に届かない。状況なくして表現はできない。この話は季節への見方となり、春が終って夏がくるのではない。夏が終って秋がくるのでもない。春はそのまま夏の気を生み出し、夏からすでに秋の気配が通う。木の葉が落ちるのは、落ちてから芽が出るのではなく、自然と芽が出る結果、葉が落ちる。
兼好特有の時機論である。見えざる力が時期を決めていく。
その時機を見定める力がこの世の要諦である。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
画像加工した宮池。
春日川の可動堰。
A seasonal flower
ウォーキングコースに咲いていた泰山木(たいさんぼく)
開花時期は6月上旬~7月上旬頃で、なんとなく梅雨空に似合う大きい白い「おわん」形の花である。北アメリカの東南部が原産で、明治初期に日本へ渡来した。芳香あり街路樹、公園樹としてときどき見かける。
背丈がかなり高くならないと花が咲かない。花、葉、樹形などが大きくて立派なことから賞賛してこう名づけられた。また、花の形を、大きな盃(さかずき)に見立てて「大盃木」、それがしだいに「泰山木」になった、とも。「大山木」とも書く。
<Akijii展、再展示>
今報から、以前の再展示(新作月2回)を挿入していきます。
今報は新聞ちぎり絵「高松港の飛鳥Ⅱと薔薇」です。
[作品][写真]
引き続き、Vol.267-2/3をご覧ください。