今報の雑学 女房のことをなぜ「山の神」というのか
昭和41年3月21日、富山県の剣岳地区で初めての登山届条例が制定された。
「妻」「家内」「かみさん」「女房」など主婦の呼び名は色々あり、「山の神」と呼ぶこともある。
特に口うるさく文句を言うような妻に対して用いるが、なぜ「山の神」などと言ったりするのだろうか。
「いろは歌」の中に、「憂(う)いの奥山けふこえて」という一節がある。
そこから、奥山—奥さんの奥が山の上にあるので、「山の上(かみ)」、それが転じて「山の神」になったという説
があるが、これはあまり信用できない。古来、山を支配する神は女神と考えられていて、その女神は
大変怖く、醜い顔をしており、また嫉妬深いといわれてきた。
それに山は天候が変わり易い。昔の人は、それを山の神のせいだと考えた。
一方、「かみさん」もしばしば荒れ狂う。そこで、亭主に対してブツブツ文句を言ううるさい妻のことを
、「山の神」と言うようになったと思われる。
<Flower arrangement>
愚痴をこぼすは…。
つらい境遇にある時、誰かをつかまえて、愚痴の一つもこぼしたくなる時がある。別に解決の手助けをしてくれなくても、聞いてもらえるだけで、気持ちがすっきりするという効用がある。
だが、それも問題によりけりで、ヘタにすっきりさせると、かえってエネルギーが削がれることになるので要注意だ。
とくに困難な仕事に取り組んでいるような時、あまり愚痴はこぼさないほうがいい。難しい仕事なら、きっと悪戦苦闘しているはずだ。
だが、経験のある人なら解かるはずだが、何度も何度も壁にぶつかって跳ね返され、またぶつかっている内に、よい知恵や工夫が生まれる。そういうプロセスがないと、なかなかよい仕事はできないものだ。
その苦労を愚痴にして誰かに聞いてもらってしまっては、出てくるはずの知恵が出てこない可能性があるのだ。
プロ野球の生みの親でもある正力松太郎氏は、人前で決して愚痴をこぼさなかった人だという。彼はその理由をはっきり口にしている。
「愚痴の愚はバカということで、痴は知識が病気になることである。そんなつまらぬものをこぼしていて、この人生、なんで有意義に渡れようか」。愚痴っているようでは、大きな仕事はできないということだ。
ある方が、「自分の父は家に帰って来ると、母親に会社の愚痴ばかり並べて酒を飲んでいた。それを見るたびに、ああいう大人にはなりたくないと思った」と述懐している。
吉田兼好の名言集に、「病を受ける事、多くは心より受く。外よりくる病は少なし」とある。
愚痴をいうことは、イヤなことを自分でまた反芻することになる。
それで楽しい人生がくるはずがない。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
水辺の遊ぶ水鳥たち。
桂浜の飛沫。
A seasonal flower
小生の庭の鉢に咲くエピデンドラム
ラン科の常緑多年草で、草丈は50~100cmである。花期は2~8月(不定期)で、花色は朱・黄・紫・白・桃で約1000種を含む大きなグループが特徴だ。エピデンドラムの名はギリシャ語で「木の上」と言う意味で、名の通りの代表的な着生ランである。
大きさや形は種類によって大きく異なり、偽鱗茎を持つものと茎だけのものとに区別できる。
花言葉は浄福、孤高へのあこがれ、可憐な美、ささやきである。
<Akijii展、作品-87>
今報はシェイプアートの「リンドウ・ワレモコウ・カヤ」です。
引き続き、Vol.247-2/3をご覧ください。








