今報の雑学 徳川家康の紋章はなぜ葵(あおい)なのか
享保8年(1723)2月26日、幕府は葵の紋章の無断使用の禁令を出す。
三ツ葉葵といえば、すぐ徳川家の紋章がイメージされるが、家紋のおこりは平安時代にさかのぼる。
その時代、公家や役人たちは牛車(ぎっしゃ)に乗って宮中へ通った。どの牛車も似たり寄ったりだから、
一箇所に多くの牛車が駐車すると、どれが自分のものか解らなくなる。そこで、それぞれに何か目印を
つけ、他と区別した。これが家紋の始まりである。ところで徳川家の家紋だが、葵の紋は元々は京
都の上賀茂・下賀茂神社の社章、あるいはその神社と関わりのある家の紋章であった。祭りのとき
公家などが葵の葉をかつらにしたところから、葵が社章になった。では、徳川家は同じ葵を、なぜ家
紋にしたのか。徳川家の祖先は松平氏で、さらに松平氏は賀茂朝臣松平太郎左衛門を先祖にし
ていることから、賀茂-葵というわけで、葵(三ツ葉紋)を家紋にするようになったといわれている。
<Flower arrangement>
人間をつくるための学問修養に努めているか、エキスパートになるための知識技術を修めているか
安岡 正篤氏の「人生の大則」第8回は「人間をつくるための学問修養に努めているか、エキスパートになるための知識技術を修めているか」です。
人間をつくるための学問修養に努めているか
第十三、自分は人格の向上に資するような教養に努めておるかどうか。人間をつくる意味の教養に努力しておるかどうか。我々はいろいろ本を読んだり、趣味を持ったりするけれども、案外人間をつくるという意味での学問修養は、なかなかやれないもので、とにかく義務的な仕事にのみ追われて、気はついていても人格の向上に役立つような修養には努力しない。少し忙しくなってくると、そういうことを心がけることはできにくいもので、地位身分のできる頃に、悲しいかな、自分自身は貧弱になる。下に在るあいだはよかったが、上になるほどだめになる。
不評になるのは、悲劇であり、恥辱である。
エキスパートになるための知識技術を修めているか
第十四、特に何か知識技術を修めておるかどうか。
つまり何らかのエキスパートになる努力をしておるかどうか。
昔から「芸は身を助く」というが、我々は人間としてよくできておると同時に、何か一芸一能を持たなければならない。つまりエキスパートであるということは、我々が社会人としての生命を維持するにも非常に大事な条件である。あの人でなければならぬという、何か一つを持っておることは、非常な強みである。少なくてもつぶしの利く人間になる。それだけの素養をもっておる、いや持っておるのみではなくて、いやが上にもそれを磨くことである。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
夜を迎えた新居宮池。
新たに供用を始めようとする隧道。
A seasonal flower
小生の庭の鉢に本年も咲いたオキザリス・バーシカラー
バーシカラーは英語読みで、ラテン語読みでは「ウェシコロル」とも読み、赤白斑模様の種は「ベルシコロル種」で「オキザリス・ベルシコロル」とも呼ばれ、いろいろ呼び名はあるが、全て同じものだ。
バーシカラーのおもしろさはなんといってもグルグル巻きのキャンディーのような赤い蕾。この赤は白花の裏の覆輪で、花が開くと徐々に紅白の色が混ざり、開ききると白花になる。日当たりが悪かったり
日が当たると開き始め、日が沈む頃には閉じ、また曇天などでは花は開かない。
<Akijii展、作品-82>
今報は新聞ちぎり絵の「弥谷寺の262石段」です。
[写真] [新聞ちぎり絵]
引き続き、Vol.242-2/3をご覧ください。








