Vol.242-1/3 人間をつくるため…。<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ11:弥谷寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

今報の雑学 徳川家康の紋章はなぜ葵(あおい)なのか

享保8(1723)226日、幕府は葵の紋章の無断使用の禁令を出す。

三ツ葉葵といえば、すぐ徳川家の紋章がイメージされるが、家紋のおこりは平安時代にさかのぼる。

その時代、公家や役人たちは牛(ぎっしゃ)に乗って宮中へ通った。どの牛車も似たり寄ったりだから、

一箇所に多くの牛車が駐車すると、どれが自分のものか解らなくなる。そこで、それぞれに何か目印を

つけ、他と区別した。これが家紋の始まりである。ところで徳川家の家紋だが、葵の紋は元々は京

都の上賀茂・下賀茂神社の社章、あるいはその神社と関わりのある家の紋章であった。祭りのとき

公家などが葵の葉をかつらにしたところから、葵が社章になった。では、徳川家は同じ葵を、なぜ家

紋にしたのか。徳川家の祖先は松平氏で、さらに松平氏は賀茂朝臣松平太郎左衛門を先祖にし

ていることから、賀茂-葵というわけで、葵(三ツ葉紋)を家紋にするようになったといわれている。

Flower arrangement


<どう捉え、どう考えるべきか>

人間をつくるための問修養に努めているか、エキスパトになるための知識技術を修めているか

安岡 正篤氏の「人生の大則」第8回は「人間をつくるための学問修養に努めているか、エキスパートになるための知識技術を修めているか」です。

人間をつくるための問修養に努めているか

第十三、自分は人格の向上に資するような養に努めておるかどうか。人間をつくる意味の養に努力しておるかどうか。はいろいろ本をんだり、趣味を持ったりするけれども、案外人間をつくるという意味での問修養は、なかなかやれないもので、とにかく義務的な仕事にのみ追われて、はついていても人格の向上に役立つような修養には努力しない。少し忙しくなってくると、そういうことを心がけることはできにくいもので、地位身分のできる頃に、悲しいかな、自分自身は貧弱になる。下に在るあいだはよかったが、上になるほどだめになる。

不評になるのは、悲劇であり、恥辱である。

エキスパトになるための知識技術を修めているか

第十四、特に何か知識技術を修めておるかどうか。

つまり何らかのエキスパトになる努力をしておるかどうか。
昔から「芸は身を助く」というが、我は人間としてよくできておると同時に、何か一芸一能を持たなければならない。つまりエキスパトであるということは、我が社人としての生命を維持するにも非常に大事な件である。あの人でなければならぬという、何か一つを持っておることは、非常なみである。少なくてもつぶしの利く人間になる。それだけの素養をもっておる、いや持っておるのみではなくて、いやが上にもそれを磨くことである。



新居宮池とWalking & Potteringの風景

夜を迎えた新居宮池。

新たに供用を始めようとする隧道。



A seasonal flower


小生の庭の鉢に本年もいたオキザリスシカラ


バーシカラーは英語読みで、ラテン語読みでは「ウェシコロル」とも読み、赤白斑模様の種は「ベルシコロル種」で「オキザリス・ベルシコロル」とも呼ばれ、いろいろ呼び名はあるが、全て同じものだ。
バーシカラーのおもしろさはなんといってもグルグル巻きのキャンディーのような赤い蕾。この赤は白花の裏の覆輪で、花が開くと徐々に紅白の色が混ざり、開ききると白花になる。日当たりが悪かったり
日が当たると開き始め、日が沈む頃には閉じ、また曇天などでは花は開かない。





Akijii展、作品-82

今報は新聞ちぎり絵「弥谷寺の262石段」です。

[写真]  [新聞ちぎり絵]


引き続き、Vol.242-2/3をご覧ください。