Vol.238-3/4 精神的動揺が…。<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ07:屋島寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.238-2/4に続けてご覧ください。


一生流(いっしょうりゅう)

一生流は、お花はすべての物の始まりで、そのお花は人間一生究しながら活けるもの。

つまり、一生を打ちんでやるべきものであると言う高遠な理想と、深長な意義がこの名前の中に含まれている。昭和21年、京都本能寺68世管長「岡村日晴」聖人を家元にいただき、香川県で創設された。

昭和26年第一回流展を開催し、現在まで年盛大に開催していて、現在は全一の華道体の「日本いけばな芸術協」にも員となり、年出している。

また香川県の各流派との交流による華展にも出瓶・活動している。


★撰1-2


★撰3-4


★撰5-6


嵯蛾御流(さがごりゅう)

現在の嵯峨御流は、三派の総称で、生花の未生御流、盛花と花の嵯峨流、儀式や宴などで生けられる荘厳華を統一した名前である。この流派には家元制度はなく流派の運は華道司所という機によってなされ、華道裁は代、大寺の門跡が受けいでいる。未生流の二代目甫が大寺の花務職につき未生御流の名を賜った事から、未生流とは大変縁の深い流派である。

流のいけばなは、『承花』と『心粧華』があり『承花』は「生花」「盛花」「花」「荘厳華」の四つの式花から成り、『心粧華』は「祈り花」「才の花」「想い花」から成る新しい時代のニズに相した未の花で、嵯峨御流はこれらの古典、現代、未志向の大によって構成されている。


★撰1-2


★撰3-4


★撰5-6



引き続き、Vol.238-4/4をご覧ください。