今報の雑学 最低温度はなぜマイナス273度Cなのか
一年で日中の気温が最も低くなるのが、今日あたりである。
ものが熱くなったり冷たくなったりするのは、そのものを形造っている原子や分子の運動による。
その運動が激しければ熱くなり、のろいと冷たくなる。ところが、その冷たさにも限界があって、摂氏マ
イナス273度以上になることはない。温度が下がるということは分子の運動が緩やかになる事であ
るから、分子の動きがストップしたときが最も温度は低いということになる。分子の速度がゼロになった
ときの温度、それがマイナス273度Cで、逆にいえばその温度ではすべての物質は分子の運動を
停止してしまう。従って、それより低い温度はありえないことになる。尚、熱さの方は摂氏10兆度が
その限界。温度の下限=マイナス273度Cに近い温度は人工的に作ることができるが、上限の
10兆度Cに近い温度を人工的に作り出すことはまず不可能である。
<Flower arrangement>
心身に影響する悪習慣はないか、適当な運動をしているか
安岡 正篤氏の「人生の大則」第3回は「心身に影響する悪習慣はないか、適当な運動をしているか、日常、一喜一憂しやすくないか」です。
心身に影響する悪習慣はないか
第三は、自分の心身に影響を与えておるような悪習慣はないかということである。朝起きると、亀の子のように寝床から首を出してタバコを吸いながら一向に起きないとか、夜遅く晩酌をやりながら、くだを巻くとか、痲雀などやって、またしても夜明かしするとか、一度銀座通りのような所をうろついてこないと本が読めぬとか、案外、人間にはつまらぬ習慣があるものである。そういう悪習慣のあるなしを自ら調べるのである。「人生は習慣の織物である」と、有名なスイスの哲学者詩人であるアミエルが説いている。まったくそのとおりである。
適当な運動をしているか
第四は、適当の運動をしておるかどうか。運動というものはその人によらねばならない。その人によって、かなり過激な運動もよいし、場合によっては柔軟運動がよいし、また場合によっては静座(せいざ)・調息(ちょうそく)あるいは散歩といったようなものがよい。運動というものは、その人に適したものでなければならない。運動そのものがいかによくても、その人に適するとは限らない。いずれにせよ自分、自分に適当な運動をすることが大切である。乗物の発達は人間をひどく不健康にする。
文字どおり「不足」にするのである。
静座(せいざ)とは、心を落ち着けて静かに座ること。
調息(ちょうそく)とは、意識的に呼吸を調整すること。
日常、一喜一憂しやすくないか
第五、自分は日常生活上の出来事に一喜一憂しやすくないか。つまり日常の出来事に軽々しく感情を乱されるようなことがありはせぬか、ということ。生活上の問題に一喜一憂しやすく、特にすぐ非観したり、興奮しやすいというのは病的で、事を成すに足りない。こういう人は環境に支配される力が強いのであるから、自己の主体性がないのである。自身の中に豊かな大和的内容がないのである。伝染病にかかりやすい弱体と同じことである。
新居宮池とWalking & Potteringの風景
夕焼けが池面を色づかす。
サンポート高松、シンボルタワー他。
A seasonal flower
ウォーキングコースに咲く水仙(すいせん)
開花時期は12/15~4/20頃で、早咲きものは正月前にはすでに咲き出している。「日本水仙」「房咲き水仙」などの早咲き系は12月から2月頃に開花する。地中海沿岸原産で、平安末期に中国から渡来した。
漢名の「水仙」を音読みして「すいせん」になった。
漢名は「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典からである。きれいな花の姿と芳香がまるで「仙人」のようなところから命名された。
<Akijii展、作品-77>
今報は新聞ちぎり絵の「神恵院」です。
[写真] [新聞ちぎり絵の作品]
引き続き、Vol.237-2/4をご覧ください。