Vol.220-2/5に続けてご覧ください。
▼鳩八幡神社へ向かう1
▼鳩八幡神社へ向かう2
▼鳩八幡神社へ向かう3
▼鹿隅(かなくま)かんす塚古墳へ1
▼鹿隅かんす塚古墳へ2
▼鹿隅かんす塚古墳3、観音寺市街を観る
鹿隈(かなくま)鑵子塚(かんすづか)古墳は、財田川が眼下に流れ、三豊平野を一望に見渡せる絶好の位置を占める4世紀の古墳で、平野を支配した有力な豪族のお墓である。竪穴式石室が復元されているが、
見学は事前に観音寺水道局の許可を受ける必要があり、当日は下からの写真となった。
▼鳩八幡神社へ向かう4、県道49号線に出る
▼鳩八幡神社へ向かう5
▼鳩八幡神社へ向かう6
▼鳩八幡神社へ向かう7
▼鳩八幡神社へ向かう8
▼鳩八幡神社へ向かう9
▼鳩八幡神社へ向かう10
▼鳩八幡神社へ向かう11
▼鳩八幡神社へ向かう12
▼条里の遺跡の説明板、鳩八幡神社へ向かう13
▼鳩八幡神社へ向かう14
▼鳩八幡神社へ向かう15、鳩八幡神社に着いた
鳩八幡神社の由緒
創祀の年暦詳ならざれども、嘉禎年間(1235~1238)既に鎮座ありしならむと言う。当地は石清水八幡の社領地にして、その社領地に京都九条家の神幸厚き石清水八幡大神を迎えて奉齋せしむならむと言う。また、当神社は、丸亀藩主京極家の神幸をも受け当家より社地一町二段を國印朱として寄付あり。本山郷(岡本、寺家、本大)の総氏神にて春秋の祭祀三ヶ村輪番にて執行し、社殿の改築亦三ヶ村氏子の負担なりと云々と言へり。明治維新の際、寺家は高良神社を、本大は五柱神社を産土神と定めて氏子より分離せり。
▼鳩八幡神社1
▼鳩八幡神社2
▼鳩八幡神社3、不動の滝へ向かう1
八幡宮の「八」が鳩の絵文字になっている。
引き続き、Vol.220-4/5をご覧ください。