Vol.198-1/4に続けてご覧ください。
▼金剛寺へ到着[4,360]、説明板を見るakijii
金剛寺の山号は石仏山で、平安末期から鎌倉時代にかけて栄えた寺院で、金剛院金華山惣寺(こんごういんきんかさんそうじ)と呼ばれていたそうである。また、楼門前には可愛らしい石の十三重の塔があり、歴史の匂いを漂わせている。金剛寺を中心とする集落の名前を金剛院と云う。金剛院の地名には仏教にちなんだものが沢山ある。また、金剛寺の裏のこんもりとした山は金華山と呼ばれ、ここからは陶製の経筒が多数発見された。寺には、境内から出土した鎌倉時代の瓦や、銅鏡が保管されている。これらのことから金剛院は、平安末期から室町時代にかけて修験道の霊域であったと考えられている。
▼楼門前の石造十三重塔、上部三層が欠けた石造十三重塔
▼楼門、金剛寺本堂
高見峰に向かって北上する。
▼更に高見峰に向かって北上、右折
▼東南方向へ進み山中へ、南方を振り返る
▼山中を進む、進路判断が困難だ
▼四国のみちはどこまで行くのよ
これから法師越(峠)まで急登して行く。
高台から、金剛院集落とそれをとりまく山並をみていると、その昔に当地修行に励んだ修験者たちの息づかいが聞こえてくるようだ。
▼金剛院集落と修経道の説明板、また北上する
ここら辺りから、金剛院集落が良く見える。
大(小)高見峰(504m)へは、2012年9月25日に登った記憶がよぎる。
▼大(小)高見峰、金剛院集落
法師越(峠)は、かつて西行法師がこの峠を越えたので、この名がついたと云われている。
峠の掘り割りのすぐ上に西行法師行脚像が祭られている。
▼法師越に着いた[7,033]、地名板とakijii
西行は平安末、鎌倉初期の歌僧であるが、23才の時に無常を感じて僧となり、高野山(晩年は伊勢)を本居に、陸奥・四国にも旅し、香川県内にも各地に足跡を残している。コースのすぐ脇に、かわいい小屋があって、西行法師の石像が祭ってある。軒板には、古事来歴が書かれている。きっと土地の人びとに長く愛され、大切に祭られてきたのだろう。
▼西行法師行脚像
左(西北)に大高見峰が見える。
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