Vol.189-1/5に続けてご覧ください。
<ぶらり気まぐれsketchシリーズ>
1-⑦:《宇多津町の寺社仏閣》
「寺のまち」宇多津町は、なぜ寺が多いのか、それは次のような事が考えられると云う。
宇多津町の面積は8.07k㎡で、香川県の市町の中で一番小さいが、現在の宇多津には神社が1社、お寺が9か寺ある。宇多津の歴史を振り返るとその数は、室町時代から明治時代にかけて、廃寺したり移転したりしたものも含めると、一説には30近くあったと云われている。
寺が多い理由には、寺院が多く建立されるような土壌、風土などの条件が整っていたのだろう。宇多津は地理的に三方を山に囲まれる土地柄で、当時の人々にとっては、大変な意味を持っていたと考えられ、風水の視点でみると「気」が飛ばない風土、風地観があり、面積は狭小だけれど、土地柄が宇多津ならでは、である。
7世紀後半、「鵜足津(うたづ)」と呼ばれていた小さな港は、やがて平安時代に讃岐有数の船着場として発展した。その後、瀬戸内海における海上交通の要所となり、室町時代には、時の将軍足利義満の側近、細川頼之公のもとで四国の中心地として栄えた。
この豊かさも側面から、お寺を支えていたのではないでだろうか。
JR宇多津駅まで輪行し、駅前の案内板でコース確認をする。
▼JR宇多津駅前の案内板を見るakijii
町内の1社9か寺を散策モデルコースに準じて、マイチャリンコで巡りました。順路は、JR宇多津駅を出発し、宇夫階神社→本妙寺→郷照寺→浄泉寺→聖徳院→南隆寺→多聞寺→円通寺→西光寺→聖通寺→三つ岩→JR宇多津駅とした。順次紹介します。
<宇夫階神社うぶしなじんじゃ>
香川県内においても歴史あるこの神社は、年の始めの歳旦祭から年の終わりの除夜祭に至るまで、一年を通して様々な祭が行われている。特に10月に行われる秋の例大祭には町内外より多くの人が訪れ賑わいをみせる。太鼓台、獅子、みこしが町内をねり廻り、”さあしましょ”のかけ声で太鼓台を頭の上まで差し上げ、地面におとす様は、独特の担ぎ方で勇壮の一言に尽きる。
▼境内前、鳥居と階段
社殿は昭和48年焼失し再建されたが、特に本殿は伊勢神宮の外宮第一別宮である多賀宮御正殿を昭和51年に拝戴し、復元造営したもので、国の登録有形文化財に登録されている。
▼拝殿(神明造鉄筋コンクリート造銅板葺)、本殿(伊勢神宮外宮・別宮多賀宮の旧正殿)の有形文化財の標示板
社殿後ろの巨石磐境(いわさか)は、創建以前の古代祭祀の遺構といわれ町指定の天然記念物になっている。
▼巨石と御膳岩
<本妙寺ほんみようじ>
讃岐6番神の1つで、境内を上がっていくと、日蓮大聖人並びに日隆聖人の大銅像が目につく。また350年以上前の蘇鉄、城跡のなごりをもつ石垣日隆聖人の手掘りの井戸と伝えられる鳳凰霊水など本妙寺七不思議として多くの見どころがある。
▼門前、山門
本堂は、宝暦7年(1757年)再建立という記録が最も古くその後、幾度もの改修がなされ、平成10年には屋根瓦が総吹き替えされている。
鐘楼堂は、安政6年(1859年)に再建立された。先の大戦に供出後、昭和22年梵鐘鋳造の記録がある。
平成3年に鐘楼堂改修、梵鐘鋳造されている。
▼本堂、鐘楼堂
境内には日蓮聖人、日隆聖人の大銅像が建っているが、昭和20年終戦当時、大砲や銃の弾として、県庁からこの大銅像にも召集令が下された。時の住職は大供養会を催し、大きな赤だすきをかけられた大銅像のお別れ法要を営んだ。翌日、県庁職員が引き取りのため宇多津へ向かいましたが、鬼無あたりで全員が腹痛やら頭痛で歩く事も出来なくなったそうだ。「このまま無理して行って大銅像を引き降ろせば皆の命も危ないぞ」と共々に話し合い、引き返してしまったそうだ。
不思議な事にその翌日が8月15日終戦の日で、天皇の終戦放送を聞いた信者達は、大銅像の前に集まり読経したと云われ、日蓮聖人、日隆聖人の大銅像には魂が入っていたのだと伝えられている。
▼本妙寺の日蓮聖人、日隆聖人
引き続き、Vol.189-3/5をご覧ください。