Vol.158-1/3 寸言3(再掲3/5)。<香川のみどり百選シリーズ3-⑧:雨滝山> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Today's word偉い人というのは 人をあれやこれやと 動かせるから偉いのじゃ。

「偉い人」は、指示するばかりでずるい…なんて安易に思うのは間違い。人をあれやこれやと動かすのは、その人に魅力がなければできないものだ。偉くなれるのも、才能のひとつ。でも、地位に甘んじているばかりの偉い人なら、見習うべからず。


Flower arrangement

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<どう捉え、どう考えるべきか>


リーダーの規範…、人が動く…、教育には…。

今報は、<再掲:寸言>の3回「リーダーの規範…、人が動く…、教育には…」です。


(1)リーダーの規範

口だけで人は動かない、熱意と行動で規範示せ。企業でも政治でも、リーダーの役割は、人を動かすことである。いくら立派なことを言ったって、人に動いて貰えなければ何にもならない。

人を動かすには、まず人の心を動かすこと。それがリーダーの力というものである。


(2)「人が動く」と言うことの論理とは。

勝ちと負け、成功と失敗、苦と楽、温情と冷酷、褒めることと叱ること・・・、季節に夏と冬があり、一日のなかに昼と夜があるように、こうした微妙なバランスの上に人間社会は成立している。

特に「人が動く」と言うことは、このバランス感覚が非常に重要となる。

つまり、収支をゼロにすることを忘れてしまうと、途端に人は動かなくなってしまうのである。

たとえば、苦と楽であれば、今はこれだけ苦労をしているが、将来これだけ楽になる、あるいは喜びがあるということが約束されなければ人は動かないのである。


(3)教育には、「強育」「競育」「共育」が必要である。

「強育」とは、社員に少し重い仕事を任せる。ある程度育つと、口を出さずに見守る。

この強育は社員の成長には欠かせない。

「競育」とは同じ年代同士で競いながら育つことだ。

そして、「共育」とは経営者と社員とが共に学び、共に育つことだ。

社員でも経営者でも共に学び育つ、これが働くことの意義であり、経営者の責任だ。


背景や補足の詳細は№3/3に記載しました。


<新居宮池とWalking & Pottering風景から聞こえるのは…>

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This flower小生の庭の鉢に咲くプリムラ・ジュリアン

プリムラ・ジュリアンはトランスコーカサス原産のプリムラ・ジュリエとポリアンサの交配種で、ポリアンサの花によく似ている。開花時期は12月上旬~翌5月中旬頃である。

草丈510cm・花径34cmで、赤・黄・白・桃色などの花が咲く。

花言葉は「運命をひらく、可憐、美の秘密」である。

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<香川のみどり百選シリーズ3-:雨滝山>

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山名<あめたきやま>・市街地に近いみどり<6>・里山の番号<05

所在地<さぬき市寒川町>・標高<253M

---山歩き出会い<0>人・登山記帳<済>

再登山へ勝手な想い度<★★☆☆☆


虚空蔵山を下山後、マイチャリンコで県道133号線を北へ進み、約35分で柴谷トンネル南口にある雨滝森林公園へ到着した。案内に従って遊歩道を進み、30分で登山口に着き40分間で山頂往復をした。


雨滝山は左手に北山が文字通り北に延びている。右手には津田の松原から陸繁島となる鵜部山半島が、津田湾とその奥の浜堤上の津田の町を守るようにして取り囲む。それはまるでカニの甲羅のような形。だから津田湾は別名、蟹甲湾(かにこうわん)とも呼ばれる。こんな地形的特徴を持つ津田の町が良港として、栄えた姿は想像に難しくない。そんな町の歴史を、ずっと見守ってきたのが雨滝山だ。


山頂には雨滝城跡がある。長禄年間(1458年ごろ)、安富山城守盛長が築城したという山城だが、出丸の部分に通路がある以外は断崖状。ひと目見れば「よじ登ることは到底できない」ことが容易に分かる。しかし、こんな要塞も天正十一(1583)年、長宗我部元親の侵攻で落城した。落城の際、包囲された城側は水源を断った元親勢の目を欺くため、雨どいから米を流し、「まだまだ城には水がある」とカムフラージュ。ところが飛んできた鳥が雨どいの「水」を食べ始めたため、ばれてしまった。


いまは雑草が生い茂るのみの「兵(つわもの)どもが夢の跡」。津田の市街地からは正面に山が迫ってくるように見える一方、大川の市街地からは山麓部が広く穏やかな傾斜となって眺望できる。また、東に瀬戸内海、西に讃岐平野が一望でき、初日の出や自然散策のコースとして人々に親しまれている。


引き続き、Vol.158-2/3をご覧ください。