Vol.156-2/4 寸言1(再掲1/5)<みどり百選シリーズ3-⑥:間川三十二勝、雲附山> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.155-1/4続けてご覧ください。

<間川三十二勝>


間川三十二勝は、さぬき市志度にある緑の小山に、江戸後期の僧である竹林上人(ちくりんしょうにん)が、仏の三十二相にちなんで命名したといわれる景勝地である。奇岩、清流、竹林などが点在し、山中にはこれらの景勝をめぐる遊歩道が整備されている。そして、サクラ、モミジ、ツバキ、ナンテンなど、四季折々に表情を変える自然が訪れる人々を楽しませてくれる。


天明7年(1787)317日、隠居を許された上人は、間川の土地こそ上人入定の寛政12(1800)に至るまでの14年間ひたすら仏を念じ、己を悟るための道場であった。上人はことさら間川の土地を「摩訶方」(まかわ)と書いている。「摩訶」(まか)とは、般若心経の「まか」で大きい・たくさんの・勝る等の意味があり、素晴らしいとの意に通ずる。造り始めたのは上人が30歳前後の頃で、完成したのは入定10年前の寛政2(1790)3月と、自ら書き残している。


そして、間川三十二勝の道順を書いた文献が現在二つ残っている。其の一つは上人の「摩訶方記」約1,200字の短文ではあるが、流暢な漢文で纏めている。

今残っている原文は上人の弟子周任が「竹林上人由来記」として書き写したものを、明治38年冬、自性院住職仁澄がさらに写本した物である。


道路案内板、道路標識 

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進入路


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▼案内板を見るakijii、案内板


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▼めぐり入口標柱、高速道路を潜る


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独楽堂跡は、竹林上人が自性院主を弟子「歓道」にゆずってから毎日の如く足を運ばれたところで、独楽堂は四本の柱に屋根を葺いただけの粗末なもの。摩訶方記に、「傍に小屏を設け書軸を掲ぐ、余、禅餘風騒の士と茗を煮し共に喫す。歌有り且つ楽しむと難も葷肉飲酒鄭聲を許さず」とある。

中山城山、後藤漆石、長町竹石、藤本鉄石、脇田舜民、手塚鷗盟らもここへ来られた。「とにかくの思ひなければほうろくの尻は焼くとも胸はこがさず」の歌や、竹谷(竹林上人)問答百巻はここで作られたと言われる。

独楽堂・碧落碑

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曼荼羅巌は、この上の巉巌(ざんがん)に梵字を彫りつけているのである。

「阿字」は胎蔵界(母の胎内のような大悲の助け)の大日如来である。

曼荼羅とは萬徳円満の意で、それは仏の広く深い心を表している。
大日如来を中心に諸仏も諸菩薩も人間も動物も一木一草の至る宇宙のすべてのものが自得(自分で生き満足する)している姿である。

「人間には顔かたちが違うように考えや生き方も違うが、仏の世界では誰一人として無駄なものはいない。そして皆仏である。」と悟されている。


▼浣花渓、曼荼羅巌

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竹林上人が作った名所を見ながら竹林の中を進んで行く。
しばらくして「白蓮池」到着したが、池の水はかなり濁っていた。
この池の西側へ行くと山頂広場、東側を行くと雲附山の山頂への道だが、まず山頂広場へ行く事にした。

白蓮池、山頂広場へ向かう
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道幅の広い、よく整備された道を登って山頂広場へ到着した。
山頂広場へ右折れ、山頂広場

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志度湾と志度の町並みが一望出来る休憩所もあり一休みするには最適だ。
▼東家から志度町を見るakijii、山頂広場からの雲附山


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不可識峯は、間川三十二勝のうちで一番高い所で、後ろは白羽の山々に囲まれている。ここには直径二十センチ、高さ三メートルほどの円柱が建っている。頂きに宝珠、直ぐ下に蓮華、つづいて九輪を彫りこんである。

おそらく相輪塔に仕立てたものであろう。

上人が入定したあと、無二の親友だった徂来派の学者「中山城山」が「相輪橖銘並叙」という一文を書いている。

この内容は上人の一代記をしたためたもので、この頂上に上人の舎利と銘文を埋め、自ら石柱を建て上人を偲んだとしている。


▼不可識峯の入口標識、不可識峯

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白蓮池まで戻り、雲附山へ向かった。


引き続き、Vol.155-3/4ご覧ください。