Vol.149-1/2 相対と変化のはたらき。<香川のみどり百選シリーズ2-⑳:紫雲出山> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Today's word暇なときは、真心が足りないんだよ。

東京スカイツリーの街で、経歴60年のせんべい屋さんが発した一言です。


Flower arrangement
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<どう捉え、どう考えるべきか>
相対と変化のはたらき。


新井満著書「自由訳 老子」の第八回のテーマ「相対と変化のはたらき」お届けします。


世の中の人々は、美にこだわるが、美なんてものはね、醜があるからこそ、美もあるのさ。
世の中の人々は、幸福にこだわるが、幸福なんてものははね、不幸があるからこそ、幸福もあるのさ。
同様に、大と小、有と無、東と西、長と短、高と低、太いと細い、陰と陽、強と弱、難と易、前と後、静と騒、初と終、もうきりがない。



いいかね、絶対の美なんてものは存在しないし、絶対の醜なんてものも存在しないのだよ。絶対の幸福なんてものは存在しないし、絶対の不幸なんてものも存在しないのだよ。

ものごとのあり方とは全て、絶対ではなく、相対の関係でね、どちらが欠けても具合が悪い。お互いに不可欠の関係なのだよ。


さらに、ものごとというものは刻々と変化する。
美は変化してたちまち醜となり、醜は変化して再び美となる。

幸福は変化してたちまち不幸となり、不幸は変化して再び幸福となる。万物は一つの例外もなく、時の流れと共に変化する。

変化した末に亡び、さらに変化した末に再生する。


いいかね、これが万物を産んだ天と地のはたらきなのだ。
したがって万物とは一つ残らず、存在即ちものに於いても、現象即ちことに於いても、相対と変化の力にさらされることになる。

世の中の人々が、この天と地のはたらきのことを忘れ去って久しいが、「道の人」だけは決して忘れない。


無為にして無心、あるがままを受け入れて、何ものにも動じることなく、あるがまま自然に生きてゆく。ゆったりとおおらかにね。


<新居宮池とWalking & Pottering風景から聞こえるのは…>

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This flower小生の庭に実を付けた紫式部(別名:実紫みむらさき)

山野などに生えるが、都会では植物園以外ではあまり見かけない。

紫色の実の清楚な美しさを、平安美女の「紫式部」(西暦1000年頃の人)にたとえた。また、紫色の実をびっしりつけることから「紫重実、紫敷き実(むらさきしきみ)」と呼ばれていたものが、いつのころからか源氏物語の作者・紫式部を連想させて「紫式部」となっていったとの説がある。115日の誕生花で、花言葉は「上品」である。

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<香川のみどり百選シリーズ2-:紫雲出山>

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山名<しうでやま>・田園地帯のみどり30>・里山の番号<50
所在地<詫間町>・標高<352M

---≫山歩き出会い<0>人・登山記帳<無>
再登山へ勝手な想い度<★★★☆☆


紫雲出山は、荘内半島の中央にあり瀬戸内の海とみどりが一体となった美しい風景を形成しているとともに「浦島太郎伝説」が残っている。

紫雲出山頂の細長く続く園地には、桜や紫陽花などが植えられており、その園地は「全国森林浴の森百選」に選ばれている。また瀬戸内海の素晴らしい眺望を楽しむことができる。
青年漁師・浦島太郎は、ここからの美しい瀬戸の眺めに「竜宮城と乙姫」の夢を見たのだろう。


紫雲出山は詫間町の北西部の細く突き出た荘内半島のほぼ中央にある急峻な山だ。西側を燧灘、東側を備讃瀬戸に隔てている。現在は船越・大浜地区が陸繋砂州(りくけいさす)でつながっているが、その昔、半島自体は島だったという。浦島伝説の語り部によると室町時代、その島は「浦島」と呼ばれていた。


大浜浦、積浦、生里浦、箱浦、香田浦、粟島、志々島を荘内七浦と呼んでおり、これら総称が浦島だった。「東に鬼退治伝説あり、西に竜宮城と乙姫の話あり。どちらも平穏な暮らしを願う讃岐人の思いが伝わる。しかも西の話はよりのどかで、ロマン溢れるおとぎ話だ」と語り部。

全国で二十数カ所ある浦島伝説だが、こちらの話は付近の地名と関連づけ、観光活性化へ戦後ほどなく生まれた話で、「本編より、竜宮城から帰ってきた太郎のその後の暮らしを描いた部分が長い」のが特徴だ。

紫雲出山の名も太郎が玉手箱を開けたとき、立ち上がった白い煙がたなびき、紫の雲となって山にかかったからだと言われている。

山頂展望台からは一日に何百隻もの大小の船が、西へ東へと行き交う風景も見飽きない。


JRのレールと三豊コミュニティバスを利用した。この山の登山口は南北にあるので、大浜バス停の近くの南登山口から登る予定で、JR詫間駅で下車してコミュニティバスで大浜バス停へ行った。が、南登山道の2kmが工事中のため急遽、北登山口に変更して荘内線のバスに乗り換え、バス停の箱まで行った。


箱峠から登ることとなったが、この峠は半島の東側の箱地区と西側の生里地区を結ぶ峠で、半島を一周する主要道である。

登山口は峠の車道から30m ほど東に入った所にある。
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登山口には「四国のみち」の道標が建てられ、整備された登山道が山頂まで続いている。
▼道標、登山道

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ゆったりとした坂を登って行き、周囲が開けた尾根の水平道を進んで行く。
▼登山道、歩み行くakijii
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間もなく水平道が終わると突然見上げるような階段道が一直線にピークまで続いている。ゆっくりと一歩一歩登って行くしかない。

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この荘内半島は浦島伝説で知られ、ふもとの集落も浦島太郎が生まれた「生里」、亀を助けた「室浜」、玉手箱を開けた「箱」、煙が立ち昇った「紫雲出山」など、浦島伝説ゆかりの地名がある。
▼荘内半島の説明板、休憩中のakijii
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息を切らしながら登りつめた所が新田の山城跡で、東西に視界が開けて東側に粟島から讃岐富士、詫間湾周辺が、西側は荘内半島の先端を望む燧灘が眼下に収まる。


引き続き、Vol. 149-2/2をご覧ください。