Voi.138-1/2 温故知新。<香川のみどり百選シリーズ2-⑩:与治山> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Flower arrangement

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<どう捉え、どう考えるべきか>

温故知新。


論語をどのように読んだらいいのか、中野孝次氏の読み方を「温故知新」で記述しました。


「子曰く、故(ふるき)を温めて新しきを知る、以て師と為すべし。」

温故知新--この世に独創などはない。古(いにしえ)の知恵を今に活用してこそ、新しい光を発するのだ。

<中野孝次訳>孔子さまが言った、「冷えたスープは温め直して飲むように、そのままでは死物である古典をわが心に温めて生き返らせ、新しい意味を発見し、さらにそれをもって現代の出来事を正しく判断することができるようになったら、人の師となすことができる」ととりたい。

古典に新しい意味を発見する時、それは生きる力となる。


「子曰く、吾嘗(われかつ)て終日食(しゅうじつくら)わず、終夜寝(しゅうやいね)ず、以て思う。益なし。学ぶに如()からずなり。」

<中野孝次訳>孔子さまが言った、「わたしはかつて一日中物を食わず、一晩中眠らず思索しつづけたことがある。しかし、何にもならなかった、何も出てこなかった、無益であった。やはり古典について学ぶのが正しいやり方だった」。この世に独創というものはない。すべて伝統の再生にすぎない。当人が独創と思い込んでいることだって、よくよく見れば、長い文化の伝統の中で学んだものの新しい組み合わせ、再生にすぎないのがほとんどだ。


ゲーテの言葉として、「人はよく独創性の話をするが、いったいどういう了見だろう。我々が生まれるとすぐ世界は我々に働きかけ始め、それが死ぬまでつづく。しかもいたるところで!

そもそも、エネルギーと力と意志以外に、自分のものといえるものがあろうか。もし私が偉大な先駆者や同時代人に負うたものを一々挙げていったら、一体何が残るだろう。」

ゲーテ、あの独創の天才といわれた詩人でさえも、自分は古典や同時代人に学んで自分という者をつくりあげたてきたと認めているのである。


人間として生れて来たかぎり、人間の作り上げた文化を学ばずして人間にはなれない。自分ひとりで何かをつくりあげることなどできないのだ。


「温故知新」について考えて見ましたが、いかがでしたか。


<新居宮池とWalk風景から聞こえるのは>

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This flowerォーキングコースに咲く朝顔(あさがお)

開花時期は7月上旬~10月上旬頃、中国原産で平安時代に日本に渡来した。日没してから約10時間後(朝4時頃)に開花し、朝のうちの花に勢いがあり、さまざまな色で楽しませてくれる。夏は全国各地で「朝顔市」が開かれるが、東京では台東区入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん、きしぼじん)の「朝顔市」が有名である。 

園芸店などで売られている鉢植えは、竹やプラスチック製の輪がついた支柱につるをからませて花を咲かせる「行灯(あんどん)づくり」がほとんどだ。「朝顔=朝の美女」の意味らしい。 

花言葉は「愛情、平静」である。 

・「朝顔や 客が好みの 立ち話」 水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)

・「暁(あかつき) 紺朝顔や 星一つ」高浜虚子(たかはまきょし) 

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<香川のみどり百選シリーズ2-:与治山>

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山名<よじやま>みどり<番外>・里山の番号<09

所在地<東かがわ市・白鳥町>・標高<187M ---山歩き出会い<0>人・登山記帳<無>

再登山へ勝手な想い度<★★★☆☆


与治山の北隣の鹿浦(かぶら)山にかつて牛を放牧した際、立木を切ったら魚がとれなくなったと伝わっている。昔から漁業関係者の間では森が海面に落とす影が、魚の産卵と休息に役だっていること、森があることで、魚たちの嫌う刺激性を封じてくれることなどが、経験的に語り継がれ、常識化されているという。「魚付(うおつき)保安林」と呼ばれている林がそれで、湖沼、河川などの内水面でも同様のことが言える。

樹林帯の中、上部の石の階段を登ると、頂上には「清少納言社」の社殿がある。枕草子を著した清少納言とは別人の姫君を祀る杜。

「正応(1288)元年、都の姫君の船が漂着、当地で逝去し、姫の希望で都の見える山頂に漁民が遺品を埋めた」との古文書もある。

そのせいか、毎年九月の第一土・日曜日の八朔(はっさく)(清少納言祭)は、いまも大勢の人で賑わっている。

国土地理院の地図にもはっきりと、表参道の点線が山頂まで記されている。国道11号線から県道122号線を進んで登山口の有る小松原地区に入ると、与治山が眼前に迫ってくる。田園造成地の中にぽつんと小さな島のような小山が現れると登山口は近い。この小山は経ケ島といわれて承元の頃、念仏の元祖円光大師が鳴門に有る鬼骨寺を訪れた際、「法田を拓く基たり給え」と観音経の一巻を海に投じたところ、この島に漂着したのが名の伝われらしい。昔はこの辺りは入江だったようだ。


与治山は、山頂まで立派な参道が続いているが、山頂からは南西に眺望が開けて、眼下に東かがわ市の街並みが一望に展開する。南麓に広がる安土湾や大池などが、陽光を受けてキラキラ光る様は絵のようである。

JRレールとマイチャリンコで訪れた。JR最寄駅の讃岐白鳥駅で下車し、マイチャリンコで山麓まで行ったが、自宅を出発して約2.5時間を要した。登山口は西と北側に有るが、西側からの表参道を辿ったが、山歩き時間は約1.5時間であった。


▼経ケ島と呼ぶ小山と由来の説明板

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経が島の東に変わった建物の清少観音像があり、ここから農道が赤い鳥居に続いている。


赤い鳥居からは与治山山頂神社に至る表参道で、鳥居の前は広場になっていて、手水石の横には説明板が有る。鳥居の奥に続く広い参道はよく手入れされており、地元の人々の信仰の篤さがうかがえる。

▼西国風の清少観音像と登山口への導入路

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▼登山口への導入路と赤い鳥居

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引き続き、vol. 138-2/2をご覧ください