<Flower arrangement>
<どう捉え、どう考えるべきか>コツは、自分で会得する…。
教えること、習うことの出来るものが有る。しかし一方、教えることも習うことも出来ず、自分で会得するしか仕方がないものがある。
知識は教えられるが、知恵は教えることが出来ない。
経営学は教えられ習うことが出来るが、経営は教えることも、習うことも出来ない。
経営のコツというのは、口で言えないものがあり、自分で会得するしかない。
会得するためには、日々実行と反省を繰り返し、大小さまざまな体験を一つひとつ重ねる中から、経営者に必要なさまざまな資質、能力が磨かれ、研ぎ澄まされて、経営のコツが身についていくのである。汗を流し努力し、体験によって「あ、これだ」と感じとり、日々の積み重ねをして、それを高めていくしかない。
学問的に教えられただけで、実際の経営か上手くいかないのみならず、誤った経営をして会社を潰す危険が高いことは実例に事を欠かない。
科学的、学問的に経営を学び、しかも現場での体験も踏まえてコツを掴んでいることは、鬼に金棒であるが、現実には多くはいない。
実際に経営を味わって、それをさらに学問的に検討し、その応用を適切にしてこそ、より大きな成功が得られるというものである。
ただ、コツを悟り易くすると思われることに、経営者としての仕事を心から好きになり、それに生きがいを感じることである。
知識は教えて教えられるが、知恵は教えて教えられない。
「経営のコツここなりと、気づいた価値は百万両」とは、松下幸之助氏が昭和9年の年頭に、松下電器の社員にお年玉として贈った言葉である。
経営のコツを会得すれば、その価値ははかり知れないというのだ。
経営のコツは、自分で会得するしかないのだ。
<This flower>ウォーキングコースに咲く木瓜(ぼけ)
中国原産で、実が瓜のような形であるところから「木瓜」と呼ぶが、「木瓜」を「もっけ」と呼んでいたのが次第に「もけ」→「ぼけ」になった。(「ぼっくわ」→「ぼけ」の説もある。)
花の色は赤、白、ピンクなどがあり、枝にトゲがある場合とない場合がある。
花言葉は「指導者、先駆者」である。
<香川のみどり百選シリーズ1-②:十瓶山>
山名<とかめやま>・田園地帯のみどり<13>・里山の番号<45>
所在地<綾川町>・標高<216>M
---≫山歩き出会い<0>人
再登山へ勝手な想い度<★★★☆☆>
自宅から片道55分のマイチャリンコでの道中となった。
讃岐七富士には数えられていないが、綾川町に高さこそ低いが裾野を引いたドーム型の美しい形の十瓶山がある。この地方は平安時代に陶窯が盛んだったようで、十瓶山を中心に須恵器や瓦の窯跡がたくさん発見されている。
これは十瓶山窯跡群と呼ばれ、四国で最も大きな窯跡群として有名であるらしい。昔、この地方に長者が居て黄金を十個の壷にいっぱい詰めてこの山のあちこちに埋めた。それからこの山を十瓶山というようになったとのことだ。
▼南西と、西から見る十瓶山
登山口は南側が一般道の登山道であるので、そこを利用したが、道を詰めて行くと北側の登山道に取り付いた。
この道は山頂まで良く踏まれて歩き易かった。
▼登るakijiiと補助ロープ
東の一段下がった所に高越神社のお堂があり、前に大正の年号の掘られた立派な手水石があった。
山頂付近は岩石が散乱していて古墳か山城があったのか興味深い。
▼高越神社のお堂と山頂の岩石
山頂には山名杭と標識ポールが立っていて、中ほどに落ち葉に混じって角の欠けた四等三角点がある。
▼頂上と標識
▼四等三角点と休憩中のakijii
山頂は広く開けていたが、周囲はカシやクヌギの広葉樹で視界が遮られていたが、木立の間からの眺望である。
▼登山口から南方面と南西の方向
北側の登山道へ降りたら、小さな朽ちかけた木の鳥居があった。
その奥の石段の真ん中の金毘羅大権現夜燈を挟んで祠が祀られている。
右の祠は明治31年9月の年号が刻まれていた。
左側の奇妙な自然石のご神体には太い注連縄(しめなわ)が巻かれていた。
▼ご神体と明治31年の祠
11時40分に南側から登り山頂へ、そして一端は西側の登山口まで降りて、北側の道へ取り付けて祠を経由して再び山頂へ上がり、南側の登山道で下山した。その所要時間は約2時間でした。
--今報了--





















