Vol.77 頭と心。<香川県の史跡・名所シリーズ⑤:金刀比羅宮> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

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3B2S、この一球>頭と心。

昨年6月、自由人の仲間入りをした時に出会った、加島祥造訳の「伊那谷の老子」を紹介します。

もし、あなたの心(ハート)が飢えているとすれば、それはあなたの「頭」が、心から容赦なく税をとりたてるからだ。

頭があまりに物質や快楽に夢中になって、そのために、心からいろいろとりたてると、つらくなって、心はもう死んでも構わないと思うようになる。もう何を言っても、心の方は敏感に応じなくなる。

だから、こうなってしまう前に、心を大事に守らねばならない。

頭の横暴な欲望から、心という弱いものを防いでやらねばならないのだ。

定年後の人間で一番ダメと言われるのは、自分で何も出来ない人だ。

実際、米を研ぐことも炊くこともできず、魚もさばけず、台所仕事などやったことがないという大人が、今もなおいるのだ。手を使って物を作ることもできない。

要するに組織の中の人間であることは人一倍よくできても、一個の人としてはほとんど無能に近い。

こういう人の老後は悲惨だ。

これを肝に命じ奮闘している私なのだが…。




<今朝の新居宮池>

今朝の天気は曇で、どんより気分の新居宮池と、空模様でした。


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<今報の花>新居宮池に咲く金木犀 (きんもくせい)
開花は9月下旬~10月上旬頃。10月中旬頃に第2弾の花が咲いて「再びあの香りが」ということもある。ある日突然、香りの 金木犀のとてもよい香りが始まる咲いているあいだじゅう強い香りを放ち、かなり遠くからでも匂ってくる。咲いたあとで雨風があるとあっけなく散ってしまう。中国南部の桂林地方原産。中国語ではは木犀のことを指し、「桂林」という地名も、木犀の木がたくさんあることに由来するらしい。

日本では木犀といえば、ふつう思い起こすのは 金木犀ですね。金木犀の中国名は「丹桂」。丹=だいだい色、桂=モクセイ類。の字は「固い、鋭い」の意味あり。

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<香川県の史跡・名所シリーズ⑤:金刀比羅宮>

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金刀比羅宮
(ことひらぐう)
は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社で、こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。






現在は神社本庁包括に属する別表神社(べっぴょうじんじゃ)宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。

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長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。

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海上交通の守り神として信仰されており、現在も漁師、船員など海事関係者の崇敬を集め、海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。

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金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。

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江戸時代中期に入ると全国の庶民の間へと信仰は広がり、各地で金毘羅講が組織され、金毘羅参りが盛んに行われる様になる。この頃、金毘羅参りは伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったといわれ、その様子は、浮世絵の東海道五十三次の一つである「沼津」に描かれた金毘羅参りの後姿や、滑稽本の東海道中膝栗毛に書かれた主人公の弥次さんと金毘羅参りの格好をした男との饅頭の食べ比べの話などからも、うかがうことが出来る。 akijii(あきジイ)のウォーキング&レール+(チャリンコorウォーク)・フォト日記
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江戸時代末期には「こんぴら船々追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」との民謡が歌われ始める。

明治元年(1868)の神仏分離令で象頭山松尾寺金光院は廃されて、神道の神社になり金刀比羅宮と改称し、主祭神の名は大物主神と定められ、相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀った。また、祀られていた宥盛は厳魂彦命と名を変え、明治38(1905)には現在の奥社へと遷座される。それまで金毘羅大権現の本地仏として祀られていた本尊十一面観音像は信仰の対象から外されたが、社宝として現在も観音堂に納められている。不動明王、毘沙門天の2体の脇侍仏は破却の危機に直面したが象頭山松尾寺の末寺である万福院住職宥明によって救い出された。その後、所在は転々としたが、明治15(1882)、裸祭で知られる岡山市の真言宗寺院、西大寺の住職光阿によって同寺に勧請され、あらためて金毘羅大権現の本地仏として祀られ現在に至る。

▼書院、旭社

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▼本宮拝殿、三穂津姫社拝殿

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▼南渡殿、神楽殿

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▼琴平公園展望台の大久保翁の像

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<伝言板>

次報vol.78は、小生の都合により11/3の配信となります。


--今報了--