前回の記事内の「底辺校」ということにコメントをいただきましたので、私なりにそれについて頭の中で考えていたことを整理してみました。
きっかけを作って頂きまして、ありがとうございました。
底辺校って誰が決めたのか。
底辺校って誰が作ったのか。
の2つについて私なりに考え、整理してみました。
まず、私の経験から言うと、
高校入学前、
「なんで○○高校なんか行くの?」「バカにされるよ」という同級生の意見。
親からも「考え直したら?」(両親も母校だが)。
で、高校入学。
比較的成績が良かったので、先生方からは、ちやほやされました。
不平等感があってそれが嫌で、反発し若干悪さもしたが、特に嫌々通うこともなく、過ごしました。
しかし、中学校の同級生と同窓会などすると、市内の高校に通っている多くの友人とは話が合いません。
いつのまにか、友達の輪から除けられていたのです。(被害妄想かも)
大学受験の為に赤本を勉強していると、それを見た市内進学校に通う同級生は、「あっこれ授業で習った」。
英語だったのですが、私は1行につき、分かる単語は前置詞だけの状態。
劣るんだなあ、と。
大学入学。
勉強面では苦労しましましたが、そこは大学生。楽しく過ごすことができました。
しかし、やはり中学校の同窓会では、「いくら大学へ行っても○○高校卒だからなあ」の言葉。
大学生の頃からは、例え卑下されても「○○高校卒業で何が悪い?お陰で今の私がある。やりたかった仕事を一生懸命やっている」と胸を張れるのですが。
教師として母校に帰ってきてから、生徒に入学の動機を聴くと、「中学校の先生にここしか入れんと言われた」「親がとにかく高校だけは行けというから」「他に行くところがなかった」「△△高校落ちて行くところがなかったから」という生徒の何と多いことか。
いわゆる「偏差値による輪切り」です。
そんな生徒でも「○○高校へ来て良かった」と胸を張って卒業し、自信を持って、前向きで豊かな人生を送ってもらいたいと、自分が顧問をする部活動に勧誘したり、生徒会役員に入れたり、色々な行事に参加させたり、スポットライトを当てるようにとしました。
しかし想いが通じなかったりして、不本意な時間を過ごさせてしまった生徒もいます。
もっと自分にすくい上げる人間力があれば、と感じずにはいられません。
こんなこともありました。
県の教育委員会が主催する「高校を紹介するフェア」(仮称)がありまして、各学校がテントを設けて、学校の紹介をするものですが。
生徒とともに学校の紹介などをします。
そこで母校のテント近くで、ある中学生の保護者が、「もし行く高校が無かったら困るから、○○高校のことも一応聞いておこう」と発しました。
もちろん生徒もその言葉を聞いていました。
みな一様にショックを受けました。
もちろん私もですが、「腹立つなあ。言いたい奴には言わせておけばいいよ。」としか言えませんでした。
そんな経験から
底辺校っていうのは、誰が決めたのでもなく、人それぞがそれぞれの経験から決めることであって、それぞれの心の中に持っていること。
例え、底辺校と呼ばれる学校に通っていようとも、通ったとしてもその気持ちや心、人生の過ごし方が上を向いていれば、全くそんなことは関係ないことで、むしろ豊かで「いい学校に通ったと言える」ということです。
とかく、周囲は勉強の出来る・出来ないでランク付けしたがるが、本人次第であるということだと思います。
一教師としての私は、生徒が発達段階における何かしらの問題や課題(学習面であったり、不安なことなど)を持っていれば、介入・支援し、この高校へ来て良かったと胸を張って卒業し、自信を持って、前向きで豊かな人生を送ってもらえるように支援したいし、それが役目だと思っています。
では、その底辺校って言われる学校って誰が作ったのか。
まさしく、教師です。
かつては、偏差値の低さや問題行動の多さなどによって底辺校と呼ばれていた学校が、「いい学校」と呼ばれ、入試での倍率が高くなっている学校があります。
そう呼ばれるためには、色々な要素があると思いますが。
様々な活動によって生徒が活き活きとしている、難関大学への進学者が増えた、就職内定率が高くなった、クラブ活動が盛んになった、などなど。
その指標は、入学希望者の数で表現される場合が多いようですが。
「いい学校」になるための生徒が入学してきたから、「いい学校」と呼ばれるようになるのではありません。
そこにいる教師が、どれだけ真剣に一人ひとり生徒のことを考え、その生徒にとって望ましい教育を提供できているか、だと思います。
学校の善し悪しを言い、その責任を生徒に押しつけているようでは、生徒はもちろん、学校は変わりません。
真剣に一人ひとり生徒のことを考える時・・キャリア・カウンセリングのマインド・スキルがきっと役に立つと確信しています。
私なりに考え、整理したつもりですが、それをうまくを表現できないもどかしさもあります。
不愉快な表現等がありましたら、申し訳ございません。
でも、コメント下さい。
新たな気づきが生まれると思いますので。