今日は所属校へ行く予定ではなかったのですが、就職サポーターの方から「受験に失敗した生徒がいる。話を聴いてやってくれ」という依頼がありましたので、行って来ました。

ョックを受けているだろうなあと思っていると意外にそうではなく、「家から遠かったから仕方が無いのかなあ。しょうがないです。次を探します。紹介してください。」と。

すごい!とただ感心。

残っているわずかな求人票の中から、2社まで絞り込み、「8時~17時までの規則的な就業時間がいい」ということで、一方の企業を受験することに決めました。

この生徒はきちんと自分に向いている、送りたいと考えている職業生活、ライフスタイルがきちんと確立されていて、えらいなあと思いました。

内定をもらえたらいいのに。頑張れ~。君なら大丈夫!!応援してるからねえ~。


また、

以前相談を受けた生徒が、受験先が決まって面接の応答用の原稿を考えているところに出会いました。

事務職の求人だったのですが、

「なぜ志望したのですか」の問いに、「事務という仕事に興味があったからです」と。

今の進路指導体制では、多分このまま本番を向かえます。
面接練習はするのですが、とりあえずつまらずに言えればOKっていうところがあります。
企業様が、「履歴書、面接の応答からその個人の特性が見えてこない」という指摘がよくわかります。

少しそのへんについて、詳しく聴かせてもらうと、その生徒のオリジナルな志望の動機を持っていますし、言えます。

他にも

「どんな人生を送りたいですか」の問いに、応えがわからないと言う。

私 「5年後、10年後、・・将来、結婚して子供ができて・・ということを考えると、どんな状態がいい?」

生徒「何不自由ない生活で、平凡な毎日が送れればいい」

私 「そのためには、どうしないといけない?」

生徒「そうですねえ、雇い続けてもらわないといけないし、そういう仕事をしないといけない」

     省  略

きちんとした職業観・勤労観を持ち合わせています。

それをアウトプットするのに苦労しているのです。

誰かが、その支援をしてあげないと、宝の持ち腐れになってしまいます。
また、将来転職する場合にも同じようなことが起こります。
掘り起こし・ブラッシュアップが大事です。

それを支援するのが教師です。
ですから、資格うんぬんではないですが、教師もキャリア・カウンセラーのスキルを持たなければならないと思います。

プロのキャリア・カウンセラーからみると、私のやりとりは不十分でしょうが、研修前の私では出来なかった相談が出来たと思います。



それと

きょうは就職サポーターの方から、進路指導体制について、本音の話を聴くことができました。

(いつもは良いことしか言わない方です。そんなはずはないだろうとは思っていました)

私の意見と一致する部分がありました。

何より、本音を語ってくれたことが嬉しかったです。

こういう意見を大事にしなければと思いました。



仕事の帰りに、義妹の家に立ち寄り、PCの不具合を直してきました。

大変喜ばれました。(後ほどまた不具合が・・・という連絡がありました。あれっ?)



今日は感謝されることが多くて、ちょっと嬉しい1日でした。

何か心が洗われたような。

やっぱり私は、周りの人によって生かされているって感じました。

歯痛が始まりました。

歯茎も大いに腫れています。

虫歯は無く、歯科医曰く「免疫力が落ちてきた時にそういうことがあります」とのこと。

キャリア・カウンセラー2次試験前の緊張感?家庭内問題?何だろう?私の大切な免疫力を奪っているのは。

早く寝なければと思いつつ、こんな時間。


あるコーチの方のブログを拝見していると、コーチとクライエントのセッション(この場合、セッションでいいのかなあ?)の実話が出ていました。

泣ける話で、PCに向かって一人涙を流していました。


そういえば最近大泣きしたことが無いなあと振り返っていました。

前回は、3年前父を亡くした時です。

まだ、思い出しただけで涙が出てきます。

吹っ切れていないかもしれません。

(当時は、1ヶ月くらい通勤途中、毎日泣いていました)

こういう経験は、それまでの自分より大きくさせると信じているのですが、したくない経験です。

しかし、こういう経験が無い人が持ち合わすことが出来ない何かを持てたと思っています。

結構、父に対する想いは強い、強かったので、またいつか書き留めたいと思います。


嬉しい涙、悲しい涙、悔しい涙、感動の涙・・・何種類くらいあるのでしょう。

悲しい涙は遠慮したいのですが、どれも人を大きくさせるものだと思っています。

どんどん泣きたいです。(大人って我慢しますけど

悲しい涙は遠ざけてやりたいですが、生徒達にも泣ける高校生活を送ってもらいたいですし、そのお手伝いがしたいです。

一人で泣くのも悪くないですが、共に泣ける人がいるともっといいです。

ある人が言ったそうです。

「世の中で一番きれいなものは人の心である」と。

そうかもしれないなあ。

涙は、その心が生み出す産物でしょうか。(うまく表現できない自分が悲しい)

心はいつも綺麗にしていたいです。

そのためには、今の私にはカウンセリングも必要だと思いました。

(書いているうちに、今私の心は綺麗だろうか?どうなんだろう?なんて不安に思いましたので)


今日はまた一段と寒かったです。

暖地とされる我が地方ですが、朝の出勤時、雪が舞っていました。

中にはどこから来たのか、車体に10cm位の雪を載せている車もありました。


朝だけでなく、1日中寒かったです。

建物内は禁煙になっていて、喫煙するには外へ出なければならないのですが、かなり億劫でした。

中には、喫煙するためにジャンバーを着る人も。

「もしかしたらやめられるかも」と淡い期待をしています。

(止められるかどうか、私自身のことなのですがこれを機会に止めたい


研修で指導を仰いでいる師匠のことは以前に紹介しました。

その師匠から、私には少しハードルの高い依頼がありました。


潜在意識の中には、「やってみたいなあ」という思いはあったのですが、自信がありませんでした。


結局は受けることにしたのですが、こういう踏ん切りは大事なことだと思います。

これまでと違った新たな自分が発見出来るかも知れませんし、気づきがあるかもしれません。


以前の私なら、「自信が無い、失敗したら笑われるのではないか」などと考え、断っていたと思います。

断ることによる学びの機会の損失がどれだけ大きいことか。


事案によっては冷静な判断のもと、断る勇気も必要なのでしょうが、今は失敗を恐れる恐怖心にうち勝つことが大事だとも思います。


これは師匠(=メンター)の影響です。

師匠からは、研修にあたって特に指導されるというわけでもないのですが、教育に取り組む姿勢は十二分に見習う価値がある存在です。


13年の教員歴がありながら、あるべき教師像が描けていなかった私としては、未だにメンターを追い求めていること自体が恥ずかしいことなのですが、身近にいると助かる有り難い存在です。


私が歳をとったせいでしょうか。

寂しいことですが、学校にはメンターとすべき教師が減ったような気がします。

背中で見せてくれる、もしくは教えてくれるような教師です。


そんな教師になることが、同僚に対しての目標でもあります。

そのためには克服すべき課題が山積みで、客観的に判断して無理な目標ではありますが、志は高くしておくことに越したことはありません。


いきなり師匠を超えようとすると、あまりにもハードルが高すぎて、自分を見失いそうになりますので、まずは追いつくことを目標にしたいと考えています。
一昨日、二日酔いの身体で長男・二男の保育園の餅つき大会(大会と呼んでいたかは定かではありませんが)に夫婦揃って行ってきました。

保育士さん、栄養士さん、保護者の皆さん、頑張っていました。

お父さんたちが杵でつく、母親たち・年長組園児が丸める、という役割でした。


最後に、みんなであんこ入りの餅をいただくというものでしたが、ほのぼのとしていて良かったです。


以前は、田舎であるこの地域でも家庭で行われていたのですが、今はこういう文化が廃れつつあるようで寂しい限りです。


我が家にもありました。(私が孫の立場の時に)

暮れの29日か、30日くらいだったでしょうか、親戚一同が本家に集まって我が家で作った餅米で餅をつく。

朝から、母親連中は米を蒸したり大忙し。

父親連中は薪を割ったり、蒸し上がった餅米をつく。

子供連中は外で遊んだり、時々出来ることをやりながら母親連中の邪魔をする。


そんな時に、「○○ちゃん、薪をくべてきて」なんて言われると、『みんなが見ている、責任重大だ』と意気に感じ、妙に嬉しかったものです。

年に1回ですが、みんなが集まっているということで、非日常的で何か自分も役に立ちたい、目立ちたい、そして誉められたいなんて思い、それが叶うと嬉しかったのです。


こういう行事には、風物詩とか、良き文化とか、伝統行事とかいうよりも、大切な教育の場ではないかと思います。

そこに参集する者それぞれが、それぞれの生活を送っている中で、その日ばかりは、餅つきという行事をとおして、日常の役割を忘れ、昔の役割(私の父親は、祖父母の前では子供)にかえり、その年1年を振り返ったりする。


できた餅を各家庭に持ち帰り、お供えしたり、元旦の朝、雑煮にして食べる。

そしてまた本家で新年会。


そんな風景を子供心にながめる。

幼き日の私は、そこで多くのことを感じ、学んでいたことと思います。


今私は学校でのキャリア教育について考えていますが、キャリア教育の基本は家庭や家族にあると思います。

我が家は、祖父を亡くし、餅つきや新年会などの一族行事が無くなってしまいました。

この大きな教育の機会を失った我が子が少し可哀想です。

それを補う機会を与えてあげないと、と考えています。


多くの家庭で、このような行事が無くなりつつある現在、学校や地域がこれに変わる機会を提供する必要があると思います。

なかなか難しそうです。

ただこのような文化や風習がある、あったといった説明では伝わらないでしょう。

積み重ねが大事でしょうし、経験が大事だと思います。

それを考えたいです。


追記

こうした家族行事のもつ教育力について、もっと言いたいことや思うことがあるのですが、うまく言葉で言い表せません。

未熟さを感じます。

もどかしいです。

能力が低いです。


以前の私なら、他人に「文章下手や」、「こんな奴が教師やっているなんて生徒が可哀想」なんて言われるのが、恥ずかしくて怖くて、とてもブログで記事を書くなんてことはできなかったでしょう。


出来ている今の自分を少しだけほめてあげます。

生徒との間に信頼関係を築くには、コミュニケーションって本当に大事だなあって思っています。

ところが、学校の中、特に“教師”対“生徒”ってあまり成り立っていないなあと感じます。

この研修に出て、カウンセリングなどの勉強をするまでは、そのようにはあまり感じなかったのですが。

生徒のコミュニケーション能力については何かと批判するくせに、教師自身が対生徒に対して、コミュニケーション出来ていません。

今となっては、ある先生が「生徒と教師の間にはコミュニケーションは成り立たない」と言ったことが忘れられません。

もちろん、わずかではありますが、生徒の言葉を待ち、聴くということができている先生もいます。

そんな先生を見ると感心してしまいます。

頭が下がります。

来年現場に帰り、「コミュニケーションとは」などの研修報告をすると、「そんなのできるか」って反発されるだろうなって想像します。

どうやって説明しようか、思案中です。



誰しも経験があると思います。

会話をしていて、相手に一方的に喋られると、面白くないと感じ、自分もそれに負けじと喋ったという経験が。


特に問題行動を起こし、説教される生徒はそう思うでしょう。

一方的に説教されると、反省しているにもかかわらず、ただ疲労感だけしか残らないのではないでしょうか。

反省する気も失せるのではないでしょうか。

その時もしっかり話を聴いて、あげなければなりません。


私自身も今までを振り返ってみて、生徒の思いや感情をくみ取るコミュニケーションが十分でなかったと反省します。

勉強し始めて時は浅く、無意識レベルで実践できるまでは時間がかかるとは思いますが、最初はできなくても「意識は常にしておく」ことをしたいと思っています。


随分寒くなってきました。

いよいよ冬本番。

私は今まで夏用スーツで頑張ってきましたが、もう限界でしょうか。

わが地方では春秋用スーツを着る時期が無いのでは?

(お店の人も言っていましたけど)


本日も所属校へ行き、生徒の相談にのってきました。

その生徒達は1年生の時に顔を合わせているので、生徒によっては比較的気軽に話しかけてくれます。

ある生徒の話を聴いていると、どうも担任とウマが合わない。

と言うか、率直に嫌いということです。

進路についても「相談したくない」と。


その理由は、嫌みを言われる、否定される、説教が返ってくる、などなど。

私はその担任の性格を知っているだけに、「確かに誤解されやすい部分はあるかなあ」というのが正直な気持ちです。

カウンセリングを学び、NLPに関する本(一冊だけですが)を読んだ私としては、生徒がその担任を遠ざける気持ちがよく分かります。

生徒に限らず、誰でも自分の主張を聴いてくれない、認めてくれない、指示されるとやる気はなくなるし、寄りつかなくなるでしょう。

ましてや信頼関係など生まれるはずがありません。


もちろん彼(担任)のクラスの生徒全員が彼を遠ざけているわけでありませんし、成長している生徒もいます。(しかし、遠ざけている生徒は比較的多いと推測します)

彼も彼なりの愛情でもって接しているのですが、伝わり辛いようです。


私が、今の考えで彼に諭してもきっと私の考えは彼の論理によって否定されるでしょう。

私が実践して成果を出して伝える必要があるように思います。


彼を批判する生徒の話をどういう姿勢で聴くのか、私には課題が残りました。

今日は、生徒の話を否定もせず、ただ相槌を打ちながら話を聴きました。

しかし最後に彼の考えを代弁するようなことを言いました。

生徒には「そんなことはない」と否定されました。

生徒の気持ちとしては、「話をしたけれども、主張を聞き入れてもらえなかった」というような感情が残ったのではないでしょうか。

言って良かったのか、悪かったのか、少し疑問です。


生徒も千差万別ですから、教師全員が生徒全員から信頼を集める人間性を持ち合わせてはいません。

生徒全員が担任を信頼するかというと、そうではないと思います。

しかし一定のカウンセリングスキル、コミュニケーションスキルは必要だと思います。


それが不可能であればせめてでも、生徒の話を受け止めてあげられる立場の人間が必要だと思います。

キャリア・カウンセラーな教師が求められていると痛感しました。

キャリア・カウンセラー2次試験の案内が届きました。

試験日時、会場が明らかになり、一層緊張感が増しています。

また高速バスで、大阪に行きます。

高速バスによる大阪往復もこれが最後かと思うと寂しいと思ったりもします。


あれっ?早くも受かった気でいます。

受かればバスの旅も終わりなのですが、そんな保障は全くありません。

先に書いたカウンセラーの基本は十分理解し、その効果も実証したはずですが、実際に試験となるとやはり不安です。


ここのあたりが、ひよっこカウンセラーなのでしょう。

いつでもどこでも、その力が発揮できるかが予測不可能です。

またクライエントの状態によって対応が変わってしまうことも心配されます。


スクリーング仲間から勧められた「プロカウンセラーの聴く技術」という本を購入しました。

とりあえず今は、生徒の話を聴くなかで練習を繰り返しながら、この本を試験日までに読み終え、今一度カウンセラーマインドをたたき込むることが試験対策だと思っています。

他に方法も思い付きませんので。


またもや子供を寝かしつけていたら、寝てしまいました。

その4時間くらいの間に夢を見ました。

何と我が子がCIAかMI6か何かそんな人に追われていて、私は必死にそれから守っています。

なんておかしな話。

でもこれ、最近2度目の話。

夢診断士や夢占いの方に言わせると、私は今どういう状態なのでしょう?

「あなたは今、何かに追われていますね?」などと言われるのでしょうか。

そんな気もするのですが・・・。


というのが本題ではなくて、この研修期間中、高校生の進路に関して勉強する中で、今求められている教師像や生徒に求めるものがあります。

教師自身も夢を語らなければならないし、生徒にも夢は何?と聞きたい・描いてもらいたい、と思ったりします。


ちょっと待てよ。

気がつきました。

夢って2通りの夢があるんだと。

1つは、先に紹介したような眠っている間に見る夢。

もう1つは、起きている間に「将来こうありたいなあ、こうしたいなあ」と、叶えたいと思い描く、または空想する夢。

実現不可能かもしれないが、実現したらいいなあというものでしょうか?

「夢」と聞いてどちらを想像する人が多いのでしょうか?


幼い頃から、何の考えもなしに異なる「夢」を同時にしかも、うまく使い分けて話をしていたんだなあと感心してしまいます。


でないとこのような会話もあったのではないでしょうか?

親「○○の夢は何?」

子供「夕べね、泥棒に追われる夢を見たよ」

親 ・・・・。「いや、大人になったら何になりたいかってこと」

子供「ウルトラマン!」


それなら、最初から「大人になったら何になりたいか?」って聞けば良いのに。


子供も可哀想です。

小さい頃から、何になりたいかって聞かれながら育ち、社会を知るに従い、いつの間にか正義の味方になりたいというピュアな想いも失せていく。

中学生くらいになるとなりたい職業を聞かれると、「公務員!」

何か寂しいです。



子供たちには、世の中や社会の流れに関係なく、ピュアな感情のままで、将来像を描いてもらいたいものです。


できれば、起きている時に空想した、なりたい自分の姿が寝ている間の夢の中にも出てくる。

その夢の中では、叶えるためのプロセスまでもドキュメントで見られる。

そんな正夢があったらいいのになあと思ったりしてしまいました。

それだともう少し大人になる不安などが軽減されるのかなあ?

でも先がわかっていると面白くないとも思いますが..。


それにしても「夢」っていいですね。

忘れてしまいがちですが。

夢見続けられる人間って素敵です。

我々は夢を見続けられる社会を築いていかなければなりません。

子羊さん、またもやいい質問です。

よく聞かれます。

「キャリア・カウンセラー?何それ?」って。

うまく説明できないかも知れませんが、お許し下さい。


今は景気が回復基調にあり、キャリア・カウンセラーのニーズがどうなっていくかはわかりませんが、産業社会では、キャリア(生き方とか働き方とか、色々言いますけど)を意識した、あるいはキャリア・プランニングが出来ている人を好むようです。


また、この先行き不透明な時代において、仕事=人生というような価値観で、仕事をとらえていると、仕事を失ったりしたときに、非常に心配な状態(精神の病など)に陥ってしまいます。

そうならないためにも、各個人が自分なりのキャリア目標を持っていなければなりません。

また、自分なりのキャリア目標をもって、その目標が叶うように自分で自分のキャリアを創造(やりたい仕事に向けて自己啓発するとか)することが必要です。

そのお手伝いをするのが、キャリア・カウンセラーだと思います。

ですから、私個人の見解としては、景気が好転しようともある一定のニーズはあると考えます。


もちろん、求職中の方の相談にのり、職歴、興味、能力を聞き出し、適職探しも支援します。

履歴書の書き方、面接での応対方法も支援します。

結構皆さん、自分の能力に気が付かないものですから、カウンセリングによって気が付かなかった自分を見つけてもらうこともいいことだと思います。


私も仲間にカウンセリングしてもらうことで、気が付かなかった自分の考えや目標などが明らかになったように思います。


また、高校生などを支援する場合には、働いた経験も無いので難しいのですが、やはり同じように興味、能力、過去の経験などを聞き出し、その生徒にとって望ましい進路選択になるように支援します。

個人個人違い、それぞれに適した進路がありますので、100人いれば、100人の生き方があります。

カウンセラーは、それに応えなければなりません。



それぞれに適した望ましい生き方、仕事、仕事の仕方を選択してもらうためには、何でも深く話してもらう必要があります。

結構プライベートなことまで聞きますし、中にはリストラなどで苦しんでいる方もいますので、クライエントとの間にラポール(信頼関係)が形成されていなければ、十分なカウンセリングにはなりません。

ラポールを形成するためには、記事に書いたような基本(私はこういう姿勢や心構えがカウンセリングマインドと思っています)が重要になってきます。

この基本(カウンセリングマインド)は、キャリア・カウンセリングだけでなく、精神を煩っている患者さんに対して行うセラピーなどでも用いられます。


セラピーを行う臨床心理士は大学院で、それなりの学習をしなければなりませんが、キャリア・カウンセラーはそこまでの縛りがありません。

そのため、精神を煩っていっていると思われるクライエントの介入はできません。

キャリア・カウンセラーのところにそういうクライエントが来たときにはリファー(専門家に依頼)しなければいけないという倫理基準があります。


世間一般ではキャリア・カウンセラーと言っていますが、厚生労働省は、キャリア・コンサルタントと言っています。

これは、カウンセラー、カウンセリングというと、まだ多くの人がネガティブなイメージで捉えがちですし、病的だと解釈し、敬遠しがちであるということから、コンサルタントという名称にしているそうです。


アメリカでは、「ちょっと癒してくる」というような感じで、カウンセラーのもとを訪れるそうですけど、私も経験してみて、精神が病んだ時や大きな迷いなどが生じた時には、すっきりしますので訪れたいとも思いました。


ですから、日本でもどんどんカウンセラーのもとを訪ねてもらいたいです。仕事にまつわる悩みでしたら、キャリア・カウンセラーでしょう。ジョブカフェやハローワークにもいます。

(ただ、よく言われるのが、カウンセラーにも善し悪しがあるので、注意したほうがいいと思います。合わないな、と感じたら担当を変わってもった方が賢明です)


勉強して思うことですけどキャリア・カウンセラーの仕事は、自分に本当にあっている仕事だと思いますし、やりがいも感じます。

カウンセリングは待ちますので時間がかかりますが、生徒達の心の奥の声が聞くことができます。

それを出した時の生徒達の顔は、本当に嬉しそうです。

生き生きとしています。

できるだけ多くの生徒達の顔を、将来を明るいものにしたいと思います。

聴くこと、待つこと、受け止めること、共感すること、認めること、寄り添うこと


教員として、また3児の父として、社会人として大事です。


このことに気づいたのはやはりキャリア・カウンセラーの勉強を初めてから。


職業柄、聞き慣れたことですし、意識にはあったものの十分ではありませんでした。

非常に簡単なことです。

そのマインドは養えつつあると思います。

実行もできそうです。


ただ先日、「スキルが重要」ということをベテランのキャリア・カウンセラーから改めて聞かされ、どうなかと自分に問いかけたところ十分でないことに気がつきました。


確かに、特に高校生は非常にピュアで、関係が構築できれば、様々な想いを語ってくれます。

カウンセリング終了後には、こちらが嬉しくなるほど話してくれます。


ただ、それを紡ぐような支援までできていません。

今は研修生という立場なので、深入りしてはいけないので、話を聴くことに徹していますが、それ以上のことに介入しようとした時に、生徒が満足するような支援ができるだろうかと不安です。


言葉にならないような不安な気持ちや子供たちに向き合わない大人には理解できないような想いを持っているだけに、何とかそれらを支援したいです。


今はそのマインドを身に付け、生徒のキャリア意識を聴けただけでも進歩とするしかないのでしょうか。

それも大きな一歩だと思います。