所属校でのキャリア・カウンセリングの有効性の検証が終わり、生徒の話を聴くことがなくなってしまい、寂しい日々を過ごしています。

生徒と触れ合っていると、こちらも気づきや学び、刺激があって充実した時間を過ごすことができたのですが、それがなくなると、拍子抜けしてしまいます。

やはり私は生徒達によって生かされています。

と言うか、私はスキルはともかく、ハート面では教師に向いているのかなあ、なんて思ったりしてしまいます。


確かに、キャリアカウンセラー養成講座のスクリーング内での職業適性(興味)検査でも、他の職の追随を許さないぐらいに高かったです。


ものすごくやりがいを感じますし、大げさですが世の中で一番崇高な職業だと思ったりもします。

(他にも全く違う職種で、いいなあと思う職業ももちろんありますが、私はそういう職業観を持っています)

自分らしさを発揮できると思える職業に就けて良かったと思っています。



学校現場で生徒と触れ合うこともなくなった私は、今その報告書を作成していますが、あまりはかどっていません。

というのも、この報告書に意味があるのかと疑問符がついてしまうからです。

報告のための報告書であって、それによって何かが変わるとも思えません。

(変わるようなものを作成しなければならないと思いますが)今後のその取り扱われ方を想像すると、あまりやる気がおきないのです。

そんな時間があれば、生徒の話を聴きたいと思ったりします。

悶々とした思いを抱いている生徒がまだ多数いるからです。


しかしこのフラストレーションは、4月に学校に復帰した時に解消しようと思っています。

と考えると、先に書いた“恐怖”や“不安”は取り越し苦労かなと思ったりもします。


4月になって、どういった役割を与えられるかによっても変わってきますが、キャリア・カウンセリングができることをアピールしつつ、キャリア教育へのシフトを推進していきたいと思っています。


そこでの私の目標は、クラス担任を持たなかったら、全校生徒にキャリアガイダンス(セミナー)を実施し、全校生徒のキャリア・デザインを支援することです。

キャリアガイダンスは何時間出来るのかは分かりませんが、生徒と接してみて必要だと強く感じました。

またクラス担任を持てば、集中的にわがクラスの生徒たちにキャリア教育を実施し、その有効性をアピールしたいと思っています。


キャリア教育って言っていますが、それぞれの学校や生徒の現状によってまちまちで、とらえ方も違ってくるかと思います。

私は、キャリア教育を

・(仕事人生をとおした)生き方教育

・生きていく上で困ったときに、立ち止まらないで済むような力を養う教育

・自信をつけさせる教育

・社会に適応していく力を養う教育

・キャリア・デザインする力を養う教育

・職業観・勤労観を養う教育(文科省はこう言います)


以上のように(他にもあると思いますが)考えますが、

私はもっと拡大解釈して考え(最近読んだ本の影響ですが)、“死を考えさせる教育”ではないかと。(決してネガティブな捉え方ではなく)

「人生の終焉から、生き方を考え、そこに仕事を落とし込む」という考え方も有効ではないかと。


今の進路指導がどこに就職、進学するかに重点を置いている(目先のことだけ考える)ため、その指導が破綻をきたしており、キャリア教育の重要性が叫ばれるようになっています。


それでは、キャリア教育のあるべき姿というのは、人生の最後から考え、イメージすることが必要ではないかと考えるからです。


私個人の考え方で決めつけるのは良くないかも知れませんが、私は死を前にしたならば、そこで「ああ、良い人生だった。豊かな人生だった。悔い無し。」と言ってこの世を去りたいと思っています。


そのためには、自分自身を見つめ直して、今何を選択して、今をどういうふうに生きなければならないのか、ということを考えることができ、強く生きていけそうだからです。



異論はあると思いますが、これは今私が考えていることで、4月に学校現場に復帰した際にくじけそうになったり、妥協しそうになった時の参考になればと思って書いています。

私は西日本でも暖かいとされる所に住んでいますが、今朝は銀世界でした。

12月にこの雪の量はビックリです。

今日が日曜日でよかった。

平日だと、職場までどれほど時間がかかることやら。


雪が積もれば、子供たちは大はしゃぎです。

すごくいい顔して、喜んでいます。

感動の顔です。

冷たいのも忘れ、狂ったように遊び続けていました。


考えてみると、寂しいことですが、大人ってああいう”いい顔”のできる人が少ないですね。

雪を見る・見ないではなくて。

心の在り方、感動の表現として。


こういうことって、ものすごく悲しく感じます。

あったものを失うなんて。


高校生たちの中に、漠然と大人になることを避けようとしたり、先送りしたいと考えるようになるのも、大人のそんなつまらない生き方を感じてなのかもしれません。(もちろん他に核心的な理由があると思いますが)


私自身、本当はすごく嬉しくて飛び上がりたいほどなのに抑えたり、ものすごく悲しいのに我慢してみたりしてしまいます。

そういう自分を振り返って、「つまらない人間になってるなあ。どうして?」っていう自分もいます。

感じたままを表現できる人間になれたら、もっと豊かな人生になると思います。


キャリア教育うんぬん言う前に、自分が豊かな人間でなくてはダメですね。


そのためには、まずは「家庭から」って思っていますが。


来年4月には現場復帰します。

現場復帰したら、やりたいことがあります。


その1

校内にキャリア教育推進委員会(仮称)なるものを立ち上げて、今までの進路指導(出口指導偏重)について、課題を拾い上げ、解決に向けた取り組みを考えていくことです。

これがきちんとできればキャリア教育の8割は完成したと言っても過言ではありません。

しかし、学校内部に目を向けると、課題を拾い上げることが出来ても、解決に向けた具体的な取り組みまでいくことができなかったりすることが多々あります。

課題を見つけることができても、それに対して、新しいことをしよう(キャリア教育は決して新しいことをやる教育とは限らないのですが)とすると、対案も無いのに拒否反応を示す悪い癖があります。


そうならないようにするためには、どうすれば良いかを考えています。

非常にこれが難しいです。

まずは校長を動かさなければなりません。

何度か、私が生徒ととの相談から感じた課題などを話しましたが、理解し同調はしてくれますが、どうもそれから先の話へと具体的に話が進みません。

う~ん、何が足りないのか?

もっと、具体的な案を出さなければならないのか?


あと、仲間づくりです。

教員の中にはきっとこれまでの進路指導に疑問や違和感を感じ、「このままでいいのかなあ」って感じている人がいるはずです。

公務員気質なのか、身内同士でかばいあうというか、指摘したりすることはありません。

で、よく聞かれるのが、「求人が無いから・・・」、「生徒が悪い・・・」となるのです。


「そうではいかんでしょう」と、私の想いや研修してきたことを伝えていきたいと思っています。

誰に何からどうやって伝えればいいのか?

そんな疑問符も付いてきます。


また、私の所属校でキャリア教育を展開しようとするには、課題山積ですが、私自身の内的な課題もあります。


まずは、仲間ができるかどうかの不安です。

キャリア教育やキャリア・カウンセリング、コミュニケーションの重要性を説いていくつもりですが、理解してもらえ、同調し行動してくれるかどうかです。

先にも述べましたが、新たなことを始めようとすると、どうしても及び腰になる傾向があります。

そうして、孤立してしまったときでも、また冷ややかな目で見られても説き続けられるかどうか。

それに研修前でしたら決してそんなことを言わなかったであろう、私が言い始めて同調してくれるか、どうか。


それから、結果が出せなかったときでも、推進し続けられるかどうかです。

そもそもキャリア教育というのは、数字で表しにくいものですが、客観的に納得させられる数字とすれば、進学も就職もしないまま卒業していく生徒の数を減らすことでしょうか。

また、全体的に進路決定時期が早くなったとか、離職率が減少したとかになるのでしょうか。

私が個人的に目標とするところは、生徒が生き生きと学校生活を送れるようになった、目標を持つ生徒が多くなった、生徒の目が輝くようになった、というところなのですが。

いずれにしろ、求められる目標や私自身の目標が達成できなかった時に、くじけないような信念や精神力を今のうちに養い、戦略を練らなくてはなりません。


私のメンターのような考え方・姿勢のオリオリさんから、身に余るコメントをいただきました。

嬉しくてますます「やってやる」という思いが湧いてきた反面、上記述べたような不安・恐怖があることにも気づきました。


生徒のためになることなら、「何でも来い!できる!」って言える教師になることが目標でもあります。

不安・恐怖を1日でも早く克服したいと思っています。


「できる!akinboならできる!」

今、これを潜在意識に送り込んでいます。


今日は忘年会という人が多かったのではないでしょうか。

私も研修先と所属校でありましたが、妻が出かける(保育園の保護者会)ため、子守をしていました。

父子4人で過ごすのも悪くありません。

子供たちは、母親がいないならいないで、それなりにお利口でいてくれますので。


その上、手伝いを頼むと喜んでやってくれるのです。

その際の注意は、キャリア・カウンセラーの小島貴子さんから習ったことですが。

「遊んでいるところ、ゴメン。~やってくれないかなあ?」です。

そして、やってくれた後には、「ありがとう、助かった」です。

もう、兄弟が競い合って手伝ってくれます。

かつ「他に手伝うことはないのか」と言わんばかりです。

そんな時の子供たちの顔って、とてもいい顔をしています。


高校生にも同じことが言えると思います。

アルバイトをしている生徒と進路の話をしていると、「接客」がしたいいという生徒が結構います。

どうしてか聴くと必ず、「お客さんからの“ありがとう”や“おいしかった”という言葉がとても嬉しい、やりがいがある」ということです。

本来でしたら、もっと広範な職業の世界の情報も提供し、経験してからが望ましいと思うのですが、そんなところから、職業観や勤労観は育まれているのも事実です。


そういえば、学校現場にいる頃、

ある日なぜか(動機づけは分かりません)、ものすごく教室の掃除のやり方が良かった時がありました。

イメージとしては、“プロのハウスクリーナー”。

特に仲間同士、コミュニケーションを交わすわけでもないのですが、暗黙の了解で掃除が進んでいくのです。

私も手伝いながら、「この子ら、スゲー」と、嬉しくなり涙腺が緩くなったりしました。

これは、ほっとけないと、掃除終了後、真面目な顔をして、

「ちょっと、みんな席に着いて」と促し、考えつく限りの賛辞を送りました。

その時も、いい顔していました。

その後、その班の掃除が良くなっていったことは、言うまでもありません。


挨拶から始まって、日々の生活の全てにおいて、みんなが声を掛け合うことや感想を述べることって大事だなあと思います。(特に大人でしょうけど・・・)

これだけで、日本という国はもっと良くなると思います。(スケールは大きいですが、ホントそう思う)


以前から書いてきているように、所属校にて生徒のキャリア・カウンセリングを行っています。

(内容的にはキャリア・カウンセリングの域まではできててませんが)

まだまだ自分の中で、「聴かなきゃ」という意識が働いています。

でないと、自分の価値観とか、自分の感想などを話してしまいそうです。

自然に聴くことが出来るようになるのはいつのことになるやらと心配しています。


生徒の話を聴くといつも感心させられるばかりで、普段の学校生活はどうなんだろうかと主任に尋ねると、私の印象とは違う否定的な感想が返ってくる場合が多いことに気づきます。


こういうところにも、現在の学校、教員の問題があります。

教員は生徒を肯定的な目で見てないということです。

これでは生徒は、教員に対して夢を語れるわけがないし、前向きになれるわけがありません。


やはり無条件の肯定的尊重、共感的理解の姿勢で聴くことが重要だと感じずます。

(人間って話をする、想いを語る、聴いてもらえるっていうことに、大きな喜びを感じることに気づきました)


主任になると、なかなかそういう態度で接することは難しいのかなあと思ったりもしますが、進路相談は、家庭事情などプライベートな深いところまで、考慮しなければなりませんし、デリケートな部分でもあります。

それだけにそれらを普段から知り得ている主任の方が相談を進めやすいとも思います。


しかし、主任と信頼関係が築けない生徒に対して、「相談相手が見つからない、いない」という状態はあまりにも悲劇です。

そういう面で見ると、キャリア・カウンセラーとして、「気軽に相談においで」とする立場の者が必要だと感じます。


研修の一環として、所属校に入って生徒の話を聴くのは、明日が最後になります。

次に、生徒の話を聴くことが出来るのは、現場復帰する来年の4月以降になります。

机に向かって、「ああでもない、こうでもない」と考えるよりも、実際に生徒の話を聴く方がたくさんの学びがありました。

私が生徒から学ばせてもらったことは、あまりにも教師として本質的なことで、1年間の研修報告にまとめるのは、どうなんだろうかと疑問符がつきます。

しかし、その本質的・基本的なことでさえ、私自身できていなかったし、他の教員もできていなかったことをこの目で見てきましたし、体験してきましたので、十分価値はあると思っています。


約3ヶ月間(3日に1回ですが)で、感じたことや学んだことを来年の4月からに生かしたいと思っています。

しかしやはりここでも、現場の多くの教員の姿勢に私も飲み込まれるのかなあ、と不安・恐怖があります。


今の想いを私の信念として確固たるものにしなければ。


今日は私の35回目の誕生日でした。

妻や子供たちが祝ってくれたのですが、やはり誕生日は、両親に感謝する日だと感じました。

こんな歳になっても、母は私のことを幼子の頃のように心配してくれます。

母に感謝の言葉をかけたいのですが、照れ臭くて未だに言えません。

父には言えずじまいで、後悔していますので、言えるうちに言っておきたいと思います。

言えた時には、私の中で、地核変動的な何か変化がおきそうです。


私がまだ、教師として駆け出しの頃、35歳の先生っていうのは、すごくエネルギッシュで、何でも来いっていう感じに見えたのですが、いざ自分がその年齢になってみると、すごく頼りないです。

教師としてのアイデンティティーも確立されていないし、未熟です。

最近はそれはそれでいいかな、とも思ったりもします。

環境の変化が早い今日において、確固たるものを持つと変化に対応しきれないし、柔軟な発想ができないとも思うからです。

教師としての基本マインドはしっかりしていなければなりませんが、そこから先は時代に対応(適応)していこうとする姿勢があればいいと思います。(今までは、その基本さえも揺らいでいましたけど)


今日も生徒の強さに感心させられました。

入社試験に失敗した生徒の相談です。(彼女は2度目の失敗)

私の所に来るなり、泣き始めました。

少し落ち着くのを待ち、「大丈夫?」と聞くと

「うん」という返事。

「失敗したことなんて、どうってことないんだ、良い経験してるね」などの話をして、今後のことを相談しました。

今思えば、もっともっと彼女の辛い想いや、やりきれない気持ちを聴いてあげれば良かったと反省しています。

彼女は涙目のまま、「次を探します」と。

こちらが泣きそうになりました。実際に涙目になりました。

この時点ですでに、キャリアカウンセラーで学んだことは飛んでしまっています。

こちらが、感情的になってしまっています。

(カウンセラーはクライエントに共通理解しなければなりませんが、感情移入してはいけません。まだまだカウンセラー失格です)

その後、職に関する色々な話をしていると、彼女の夢を語ってくれました。

壮大な夢の話でした。

彼女の定年退職後の夢なのですが、そのためには正社員としてお金を貯めたい、給料の高い会社が良い、夢実現のために学校へも行きたいからそれを許してくれるような会社が良い、ということです。

今残っている求人票から、強いて言えばそれらを満たしてくれそうな会社を選択し、家庭で相談すべく帰りました。


相談の中で気になるというか、何て返せばいいのか、苦慮した言葉がありました。

彼女に向いているのでは、と思われる求人票を指し、「ここはどう?」に対し、

「お母さんが、良い会社ではないから、やめておきって言ってた」ということです。

私「お母さんは詳しいんだ。でも働くのは○○さんだよね。良い会社か、悪い会社かを感じるのは○○さんだよねえ」と返したものの、それ以上は深入りしませんでした。

私自身、どうすればよいかわからなかったのです。

ここのあたりの加減が難しいです。

学校でも届く求人票について、安心できる会社だの、勧められない会社だの、フィルタにかけて生徒達に勧めます。


もう少し私自身、この問題について吟味しなければならないと思いました。


よく言われるように、保護者の意見が子供に与える影響って大きいなあと感じさせられました。


ただ私が思うのは、生徒達の周囲(保護者や教師)がたとえフィルタをかけようとも、実際に経験する、体験する、感じるのは生徒本人で、生徒の人生だということです。

(もちろん明らかに悪い環境からは遠ざける義務や責任はあると思いますが)


何はともあれ、彼女には新たな受験先が決まりました。(保護者の承諾が必要ですが)

頑張ってもらいたいです。

彼女は頑張れるでしょう。

それを企業様が受け止めてくれるかどうかにかかっています。


「夢に向かって頑張れ!!!!!」

私も頑張ろう!彼女を励ましていた私ですが、彼女の話に、こちらが勇気をもらいました。


やっぱり私は周りの人によって生かされている。


今日は、就職サポーターに頼まれた仕事をしていました。

決してサポーターの私的なことではありません。

生徒の進路決定状況を一目で把握できる、集計できる表です。

これって、教師がすでに作ってなければならないものだと思います。

就職サポーターが気づくなんて、悲しいことです。

しまった!また批判です。


悪いところに目を向けるのではなく、良い所に目を向ける習慣を身に付けなくてはなりません。

でないと、ダメだ!ダメだ!と思っていたり、言っていると、そういう目でしか、その人や組織を見ることができなくなってしまい、挙げ句には自分もそんなふうになってしまうからです。


やはり、「良いところを伸ばそう」の精神が大事です。

良いところばかり見られるような人間になりたいと思っています。

(コーチングの姿勢です)

教師が作成しておくべきものでも、人からものを「頼まれる」っていうことは嬉しいことです。

サポーターも他に頼める教師がいなかったのでしょう。

(単に暇そうに見えたのかなあ)

困ったときに、頼んでみようかと思わせるような間口の広い人間でいたいと思っています。

今日もとても寒い1日でした。

私は見ていないのですが、雪が降っていたとのこと。

どうりで寒かったわけです。


テーマのような気分になった話です。

今日もキャリア・カウンセリングをするべく所属校へ行ってきました。

この頃になると、進路室を訪れる生徒の数も減ってきて、暇を持て余すことが多くなってきています。

かと言って、相談が必要な生徒がいないわけではありません。(進路未決定の生徒もいます)


放課後、学校敷地内を歩いていると、私を見かけた、(進路の決まっていない)生徒が近寄ってきて、「どうしよう、まだ進路が決まってない」と言います。

内容は、「父親が職を探してくれているが、面接まで話が進まない。兄の学費を稼ぐ為に働かなければならない。調理師になりたい。学校に求人は来ていないだろうか」というような話でした。

カウンセリングマインドで聴いていますので、生徒が喋り終わるまでしっかり聴きます。

感情に注意していますので、応答も非常にゆっくりです。(相手に合わせているという感じですが)


私としては、よく来てくれたという想いです。(その生徒は進路室へ行くのは気が進まなかったようです)


しかし、そこへ部活動で馴染みのある(顧問ではないが)教師がおもむろにやって来て、

「おう、○○。進路決まったか?」と。

それからも進路に関する話やら世間話をしていきました。


私は鈍感で、その時は「早くどっかへ行くかんかなあ」くらいにしか思っていませんでしたが、後から腹が立ちました。


その教師は、その生徒の進路について関心があったわけでもなく、ゴシップ記者のような興味でしかなかったのです。(深意はわかりませんが)

生徒は、その教師の質問には、失礼のない程度で、いい加減に応えていました。

私の存在も無視されたことも不愉快です。


若いから仕方がないのかなとか、私の姿勢が相談しているというように見えなかったのかな、などと考えたりしますが、ただその教師の個人的興味でしかないような態度には不愉快でした。


確かに、“存在の承認”というのは大事なことではあると思いますが、そんな雰囲気でもなかったし


私もこれまでに、無意識に似たようなことをしていたかもしれません。

気をつけなければなりません。

最近、不満が多いような・・・

実はキャリア・カウンセラーの2次試験に行って来ました。


行く前の想いなどを書き記しておきたかったのですが、家庭内トラブルで、行くことを断念しようと考えていましたので、書けませんでした。


10日(土)午後が試験だったのですが、9日(金)は休みをいただいて、スクーリング仲間とロールプレイの練習をするべく、大阪に向かいました。(恒例の高速バス。約5時間ですが、辛いですよ~)


大阪に着いてからは、心臓バクバク状態です。

1次試験の時にはそうでもなかったのですが、今回は少し自信が無かったのか、そんな状態でした。


7分間のロープレはインテーク面談(初回面談)で行われ、そこでの目的は1,信頼関係を築くこと、2,情報収集をすること、3,キャリアプランニングプロセス上の位置を知る、ということになります。


私は経験から信頼関係の構築をメインに据え、そのためには、傾聴が大事だと考えていました。

そして「傾聴=反射」のようなイメージで捉えていたのです。

よく考えてみたら、反射だけでは、カウンセリングは止まってしまうのです。

(プロのカウンセラーさんであれば、そんなことは無いのでしょうが・・・)

スクーリング仲間に教えてもらいました。

本当に危なかったです。

また、在阪の方には練習会場の予約から、飲み会のセッティング、試験会場までの案内など本当にお世話になりました。

試験前日って言うのに飲んでました。試験は午後ですから・・・)


もちろん飲み会の後、ホテルに帰ってからも、自主トレはしました。

鏡の前で、よくつかう言葉をクライエントがいるものと想像し、発声しながら、自分の表情のチェックまでしていました。

試験当日の午前中は、大阪市のビルの会議室を借りて、ロープレの練習を行いました。

少しずつ自信が回復しつつあります。しかし、クライエントのシナリオによっては、凍ってしまうことも考えられ、鼓動は激しいままです。


なんだかんだと言いながらも時間が来て、試験の時間帯が近い仲間と試験会場入りしました。

そこではスクーリング以降、音信不通だった方とバッタリ出会ったりして、世間話をすることができて、緊張感も幾分か和らげることができて良かったです。


実際、試験はかなり緊張しました。

試験官の言ってることも少し上の空になるくらいに。

幸いクライエント役さんが、前日の練習でやっていたようなシナリオでしたので、やや落ち着いてできたかと思います。

それから、クライエント役さんが、結構喋ってくれる方で、助かりました。


今回の試験は何か、私に有利なように進み、まるで、私を合格させるがために進んだような錯覚にさえ陥りそうです。(そんな時こそ危険だとも思うんですけど)


客観的に見て、自分の試験結果の合否は全く分かりません。

例え、自分ができたと思っていても、そこに大きな落とし穴が潜んでいて、落ちることも十分あり得るでしょうし、こればっかりはわかりません。


いずれにしてもまだまだカウンセリング技術は未熟で、学ぶべき事項もありますし、経験も積まないといけません。


結果は、1229日に東京発送のようです。

うちらのような田舎に届くのは、31日か1月1日です。

スクーリング仲間は「何てデリカシーの無い協会なんだ!」って怒っていました。

良いお正月が迎えられたら嬉しいです。

長旅のせいでしょうか、疲れました。

つい先ほどの実話です。

気管支炎と診断された1歳の娘を寝かしてつけていて、私も寝付いてしまったのですが、ふと目が覚めました。(普段ならあり得ません)

するとその瞬間、寝ていた娘が大量の嘔吐。

吐瀉物を詰まらせてはいけないと、起きあがらせ、片づけました。

その後、娘は何事も無かったようにすやすやと。

熟睡していたらと思うと少しぞっとします。(異変に気づき起きるでしょうけども)

嘔吐中ではなくて、その寸前に目覚めたものですから、何か不思議な力を感じました。


ただの偶然といえば偶然ですけど、最近ナポレオン・ヒルやマーフィにはまってしまっていて、“宇宙の力”の存在を感じるようになった私には、何かそういう力なのかな、と思ってしまいました。

前にも書きましたけど、“キャリア・カウンセラーになりたい”ってチャレンジし始めてから、それを支援してくれるような人に出会ったり、情報をもらったり、ブログに出会ったりと、今までの私では考えられないような経験をしていますので、その不思議な力の存在が信じられるようになっています。



今日は地元大学のキャリアセミナーに参加してきました。

キャリア・カウンセリングに結びつける単発のキャリアガイダンスだったら、どのような授業内容が望ましいかを、模索していた私にとって大変参考になりました。

早速、授業指導案を作成してみたいと思います。


その講師の方は3大学の講師も兼任されていて、授業を聴いてもらった学生全てにキャリアプランを書いてもらい、メールにて提出させ、全ての学生のキャリアデザインを支援しているということでした。


講義終了後、実際何名くらいの学生のキャリアデザインを支援しているのか聴くと、その数なんと、2000名とのことでした。

私の所属校の全校生徒が700名ですが、とてもではないが、一人では対応しきれないと思っていた私は恥ずかしく思いました。

まだ未熟なので、その講師のようにはいかないかもしれませんが、チャレンジしてみたいと思います。

「やれないことはない」「できないと思うからできないんだ」を胸に刻んでおきます。


また1つ、悪しきフィルター(できそうにないと考え邪魔するもの)が除去されました。

今日このセミナーを聴くことができたのも、メンターからの紹介なのですが、こうして紹介していただけるのも不思議な力のおかげです。

(直接的にはメンターのおかげですけど、紹介してもらえなかったら、聴くことはできませんでしたから)