文球院昭彦の今更日記 -4ページ目

文球院昭彦の今更日記

「俺、こんなことも知らなかったのか、知らずにおめおめと生きてきたのか!」
と今更ながら目からうろこの物語。

(四十二) コンビネーション(combination

 

もしかしたら文球院が初めて記憶した英語は、パパでもママでもミルクでもなく、「コンビネーション」だったかも知れないと、何十年も前のかすかな記憶が蘇りました。

戦前、は両親を英語で呼ぶ家庭など外国育ちの人以外はいなかったでしょう。それなのになぜ子供が「コンビネーション」?? 当時幼くて何一つ兄の事を覚えてはいませんが、その兄が幼稚園に通い始めた頃、風邪をこじらせ大腸カタルで急死してしまったのです。 それ以来両親は子育てにやや神経質になったのかもしれません。 寒い日はすぐ「コンビネーションを着せろ」とか「コンビネーション着なさい」と言われ、お腹が冷えない上下が一つになった下着を着せられたのです。 それ以来文球院は下着のことをそう呼ぶのだと信じていました。 歩いて外出するようになると、姉と一緒に黒い革製のマスクをつけさせられ、近所の子供達に「カラス天狗」が来たとひやかされ、とても恥ずかしかったことを思い出すのです。

 

「コンビネーション」……つまり「コンビ」の種類も色々ですが……。

 

包丁研ぎは出来ても料理が不得手な文球院も、食べることに関しては興味津々。食べ物にも絶妙のコンビがあります。大好物のトンカツには千切りのキャベツ。キャベツがどんなに不作で高価になっても「お代わり自由」の店はもう魅力満点。 キャベジンなどという薬があるくらいですから、脂っぽい食べ物には実によく考えられた名コンビで、一体誰が最初に考えたのでしょう。 それがもう目からうろこ……日本の洋食(トンカツ・オムライス・カキフライ・エビフライ・ハヤシライス)の元祖は今もある銀座3丁目の「煉瓦亭」が発祥。 明治28年創業で、乃木大将や東郷元帥という歴史上の人物が頭に浮かぶ「日露戦争(1904~5)」に、コックまで徴用されてしまい、手間を省くために致し方なく付け合わせの温野菜をやめて、キャベツの千切りにしたのが始まりだそうです。

 

小さい頃から馴染みのあるカレーの名コンビは「福神漬」か「らっきょう」。 我家のカレーも必ずどちらかが付いています。 二十数年前に仕事を通じて知り合ったパキスタン人に頼まれて横浜・元町でカレー専門店をプロデュースしましたが、その開店祝いで御馳走になった本格的なカレーに付いてきたのが「チャツネ」(ヒンズー語で舐めるという意味)と呼ばれる豆と各種香辛料で作られた付け合わせ。 日本でもそっくり真似をしたので、昭和の初期までは「チャツネ」が本格派。 ところがある日の日本郵船の一等客船食堂で「チャツネ」が無くなってしまい、急遽出されたのが「福神漬」。もともと日本人には少し酢っぱ過ぎたし、具の色とりどりも良い!! このシェフの選択が大評判になって、銀座の「資生堂パーラー」が真似をして、全国的に公認されたのだそうです。

 

「福神漬け」を考案したのが明治の初めの頃の野田清右衛門(酒悦の創始者)。 大根・ナス・レンコン・カブ・ウリ・シソ・ナタマメの材料を七種類使ったので、当時の劇作家が茶店のあった不忍池の弁財天から思いつき「福神漬」と命名したそうです。 最初は茶色だった福神漬もチャツネの色に近づこうと今のように赤くなったそうです。 それにしても私のカレーの皿に盛られた福神漬に七福神の野菜が全部揃っているかどうか探してみる愉しみ?が増えました。 あっナタネが無い、なんて……

 

「らっきょう」は平安時代から薬用植物として中国から伝わり、殺菌効果や利尿、発汗、整腸作用があると日本人は知っていましたから、付け合わせに甘酸っぱい「らっきょう」は、辛いカレーにはチャツネに代わる代打としては最適だったのではないでしょうか。 さて、あなたは福神漬派?それともらっきょう派? アンケートの結果は68対32で七福神の勝ちですって。

 

ふと頭に浮かんだのが「クレソン」「パセリ」 肉料理には必ずといっていいほど得体の知れない葉っぱが添えられていて、殆どの人は手を付けませんでした。西洋野菜というものにあまり馴染まなかった事もあり、単なる飾り物?と思って食べなかった人が多いため、厨房へ戻ってから再び自分の皿に乗っているのでは?と疑っていたりして……。 今でこそフランスでは健康草と呼ばれ、殺菌効果や消化作用に抜群の働きをする事を知っていますが、残したクレソンもパセリも、もう取り戻せませんね。

 

文球院の好きな野球のコンビネーションといえば、守備の連係プレイか投手が異なった球種のボールを上手に組み合わせることですが、すぐ頭に浮かぶのは、ON砲と言われた巨人の「長嶋・王」、YK砲と言われた広島の「山本・衣笠」、KKコンビと言われたPL学園の「桑田・清原」アライバコンビと言われた中日の「荒木・井端」。 

以前大リーグの歴史を読みましたが、1900年の初頭(明治時代)はシカゴ・カブスの全盛時代が続きその最大の貢献者が二遊間を守り鉄壁の守備を誇ったジョニー・エバースとジョー・ティンカー。対戦チームが「お前たちがいるから我がチームは優勝出来ない」という詩まで作ったほど。 守備の華麗さで二人とも殿堂入りまでしたのに、引退後は口も利かない犬猿の仲だったという一節が印象的でした。

 

この記事の影響なのか、文球院はコンビと言われている人たちがその表舞台から去った後に、名コンビでありながら互いに切磋琢磨するライバルという関係だからこそ、想像もつかない状況が起こるのは当然でしょうから、あれこれと勝手に想像してしまうのです。 

「私の自慢は王と一切もめた事が無い事です」と自伝で語った長嶋。この二人の性格は多分真反対で、おそらく後輩の王が、黙って先輩にいつも遠慮していたのではないかと文球院。 「巨人軍専務取締役 終身名誉監督」と「ソフトバンク取締役会長 GM

 

広島の山本・衣笠。 今年偶然にも衣笠が亡くなる直前の、声を絞り出すようにしながらも的を得た解説を聞きましたが、正に鉄人ぶりを伺わせました。 今やスタンドを真っ赤に染めるカープ女子も、なぜ彼が「鉄人」と呼ばれたか知っている人も少ないかもしれません。永久欠番になる「3」の前の背番号は「28」 その当時の人気漫画「鉄人28号」にちなんで彼の活躍ぶりをそう呼んだのです。 山本は二度にわたり監督を務めたのに、衣笠は監督どころかコーチにさえ就任したことありません。後にそのことを聞かれた衣笠の口から「人間関係がねえ……」

 

KKコンビは、高校卒業寸前から清原の思いと違って桑田が巨人指名となり、清原は西武へ。 紆余曲折を経て現在の桑田は1球毎に投手の投げる球種にこだわる解説をし、優等生風。 片や入れ墨を入れて「薬物治療中」 佐々木が心からあれこれ心配してくれている事は解っても、桑田の友情?を彼は期待さえしていない気がするのです。

 

アライバコンビの井端と荒木。中日時代の井端が「辞める時は一緒に!」と対談で語っていた二人。6年連続で揃って「ゴールデングラブ賞」を受賞。 二遊間だけでなく1,2番のコンビも長かったが、高木監督とのトラブルで井畑は巨人へ移り、現在は内野守備走塁コーチ。 荒木は現役を中日で続け、昨年2000本安打達成。この二人が対決するグラウンドで何を話すのか、100年前の大リーガーの二遊間の不仲が思い出されて、文球院の興味は尽きません。

 

幼い頃ラジオから流れてきた「エンタツ・アチャコ」や「エノケン・ロッパ」から始まって、頭に浮かぶ「コンビ」は数が多すぎます。 このブログを読んでいただいた方には、是非あなたにとって一番気になる「コンビ」が何かを、教えて頂きたいものです。

 

(2018・6・30)