(四十一) 犬も歩けば・・・
平成30年はイヌ年。干支では11番目の登場ですが、江戸時代から始まった「いろはカルタ」のイの
一番は、ワンちゃんの登場です。 「犬も歩けば棒に当たる」…… 「論より証拠」「花より団子」……などとすぐ思い出せるのですが、ふと、「犬が棒に当たる」とは一体幸せな状況なのか不幸せなのか、痛いのか痛くないのか、嬉しいのか哀しいことなのか、「棒」とは一体どんな「棒」なのか??
今頃になってウロコが重なってしまったのです。
素直に辞書を引いて見ると「 ① 何かをしようとすれば、思いがけない災難に遭うことも多いというたとえ ② 何かをしているうちに思いがけない幸運に出会うこともあるというたとえ いろはガルタの第一句」 とあり、同じ句で全く真逆の意味となり、実際犬に訊いてみないと「棒」の意味がわかりません。 江戸時代は野犬も多く、飼い犬でも繋げてなどいなかったでしょうから、人が結構危険な思いもしたでしょうし、ウロウロされては商売の邪魔になったりして「棒」で追い回したり捕まえたりしたことまでは想像出来ますが、幸運の「棒」とは一体何なのか想像すら出来ないのです。「幸運になる棒」が何か知っている方、或は状況を想像できる方、目からウロコを落としていただけないでしょうか。
今年1月に、ペットフード協会が「犬・猫」の飼育頭数がついに逆転して猫が犬を抜いたと発表。 当然の結果でしょうね。 3人に一人が60代を超える高齢化社会では、リードをつけて毎日散歩させ、排泄物を始末し、エサ代や動物病院にかかる費用だって馬鹿になりません。 共同住宅では犬の飼育はほとんど禁止されているし、下手をすれば自分の寿命より長生きする……文球院が知っているだけでも、散歩中に転んだり引っ張られて手足を痛めた人が結構います。 これから先もワンちゃんの飼育数はどんどん減るばかりで、猫の頭数が増えたわけではないのに一種の社会現象と納得です。
文球院が一番の興味ある犬は「セント・バーナード」。 今までこの犬を連れて散歩している人にお目にかかった事がありません。 「アルプスの少女」やアメリカ映画の「ベートーベン」に登場した犬といえば思い出す人もいるでしょう。 2世紀頃のローマ帝国軍の軍用犬がアルプスに移入され、17世紀頃から山奥の「サン・ベルナール修道院」の療養所に救助犬として飼われ、雪中の遭難者を20世紀までに2,500人以上も救ったそうです。 大きな体で遭難者を見つけては温め、首に気付け薬のブランデーの小樽をぶら下げている姿は、「聖ベルナール」英語読みで「セント・バーナード」と呼ばれるにふさわしい活躍です。 東京消防庁の特別救助隊や消防救助機動部隊の車両と隊員の肩には、セント・バーナードが描かれたワッペンがついているなんて……目からウロコ!
でも簡単にお目にかかれないのもごもっとも。 子犬のはずがあっという間に成長して60~90kg, 激しい運動をしなければ瞬く間に100kgを超え、今までの記録は138kg。舞の海が110kgですから、毎日連れて散歩できる人に一度も逢えなかったのも解ります。
「八百屋さんで犬が盗るものなんてあるの?」 「ええこと訊くがね学生さん」 父の転勤で名古屋に越してすぐの高校生文球院は、まだ慣れぬ町の八百屋の前で、荒縄で首を縛られ、柱に括りつけられた耳たれの薄汚れた白と茶のブチ犬の、なんとなく哀れな目と目が合ってしまったのです。 1952年は今問題の南北分裂の戦争が始まる直前で、人でさえ満足な食事にまだまだありつけない時代。 「売り物のタクワンを樽から何度も盗み出し、今日やっと捕まえて野犬保管所で処分してもらうんや……」
怒りの店主とどう話したかの記憶もないが、我が家に連れ帰り、最大難関の父は昔飼った犬によく似ているという予想もしなかった妙な納得で、二つ返事で命名権まで与えられたのです。 バラック小屋の校舎で二部制に分かれて受けた新制中学の英語の教科書は「Jack and Betty」 そこに登場するJackの友人が「John」
どうみても脚が長く耳が垂れ、あばら骨が浮き出ている犬は和犬ではない雑種の洋犬と決め打ちしてその名を拝借。 外人の名は昔近所にいたドイツ人のクンツェイさんしか知らなかった・・・・
それから後は責任上苦労の連続。 人も犬も今のような恵まれた環境には程遠く、放浪しては何度も漬物樽を狙って代金を払わされ、野犬狩りに捕まった時は40km以上離れた港に近い収容所まで自転車で往復。犬も高校生もクタクタ。 それでも何百頭もいた野犬の中で、文球院の姿を見つけて吠えながら飛んできた姿を思い出すと、遠距離を引き取りにいった甲斐がありました。
後年ゼネコンに入社し、全国の支店を飛び回っていましたが、ある日宿泊先のホテルに備えてあった「聖書」を何気なく手にとり驚きました。 「John」=「ヨハネの福音書」と目次にあり、イエスに最も愛されたといわれる使徒で、ダビンチの「最後の晩餐」でイエスのすぐ隣に描かれているのが「ヨハネ」
何と畏れ多くも我がタクワン好きの耳たれジョンが、ヨハネ様と同名だったとは……目からウロコでは足りず申し訳なくて・・・・
今や保険も整備され、夜間診療の専門病院へ栄養満点で太り過ぎのツナギの服を着せられた犬が、自家用車で運ばれても驚くこともなく、美容室やダイエット食もホテルも完備。 そんな時代だからこそタクワンを狙い続けたヨハネ様とのささやかな交流を思い出しました。
上京したばかりの頃は地理もよく解らず、先輩や友人との待ち合わせに利用した「忠犬ハチ公像」。 駅から「ハチ公出口」を目指せば何とか辿り着けたものの、待ち合わせる人が多すぎて、そこで相手を見つけるのに時間がかかりました。 ハチの忠犬物語は文球院の生まれる以前の話。 文球院が目指した像は二代目だそうです。 戦争末期物資が不足し、金属類の供出を国民に強制する中、ここまでやるかと反対運動が起こったので形の上だけ撤去することにしたのですが、それでも初代ハチ公は何と1945年8月14日、つまり終戦のたった一日前に溶解されてしまったのです。 戦後にGHQの愛犬家等の協力もあって1948年に再建。 来日したヘレン・ケラーも「ハチ公」に触れたそうです。 上野の国立博物館にはハチ公の剥製が保存されているそうです。
今や花見の酒宴といえば上野公園。そこに建つ西郷どんが連れているのが薩摩犬の「ツン」。 薩摩弁を知らないので名の由来は解りませんが、文球院のお気に入りは、この除幕式が行われた1898年(明治31年)のエピソード。
「逆徒」の汚名をきた西郷どんが、やっと大日本帝国憲法発布の恩赦で解かれ、薩摩の出身者が中心になって全国から寄付金を多額に集めて、西郷像は時の第一人者の「高村光雲」の作。ツンはこれまた名だたる後藤貞行作。 高村光雲を始め、明治の元勲たちが列席する中、公開の席に招かれた西郷夫人の糸子が「幕」が取り除かれた瞬間に叫んだのです。 「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ(うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ)」 しかも浴衣姿で散歩なんかしなかったですよ……と薩摩弁で言い続けて周りの人たちを慌てさせ、たしなめられたそうです。
不思議なことに西郷どんには信頼できる写真が一枚たりとも無かったらしく、私たちが教科書などに載っていたよく知るキヨッソーネが描いた肖像画でさえも、伝聞を元に描いたもの。 東郷平八郎元帥も「少し太り過ぎている……」と言ったとか。 まだまだ当時は「朝敵」として反感を持つ政治家も少なくなかったでしょうから、陸軍大将服姿ではない、飾り気のない普段の姿を意図したのではないかと、文球院は糸子夫人に平成の世から慰めてあげたいのです。
(2018・ 4・ 5)