うちの近くに縄文遺跡が!(かめやまの縄文時代) | ミタクエオヤシン

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日々日常、非日常、音楽、映画、宇宙、スピリチュアル・・・などを綴ります。

 

それはなにげない回覧板がきっかけだった。

 

普段はなんとなく目を通すこともあるけど、ちゃんと見ないことあったりする回覧板に、1ヵ月ほど前にこんなチラシが入っていた。

 

 

亀山地区では、はるか昔からの人々の生活の痕跡が伺えます。

寺ノ代遺跡は、国道465号の改良工事に伴い平成7~9年度にかけて発掘調査が実施され、縄文時代後期の集落があったことがわかってます。

この発掘調査成果の展示と講演会を開催します。

 

 

ええ~!!?これってすぐそばじゃないの?

うちは君津市の笹という場所なんだけど、亀山湖までは歩いて10分ほど。

いちおう亀山地区に入る。

でも今までそんな遺跡があるなんて、移住して5年目になるけど聞いたこともなかった。

 

さっそく寺ノ代遺跡を検索してみたけど、ほとんど情報は出てこなかったのだが、なんとか大体の場所を探し当てることができた。

 

これってよく散歩に行っていた上総亀山駅のすぐそばじゃない!(最近はすっかり散歩しなくなっちゃいましたが)

 

まあそんなこんなで、この講演会にはぜひ行って見たいと思ってて昨日行ってきた。

 

うちは君津市とはいえ、かなり東側の端っこで、むしろ鴨川市のほうが近い。

君津市役所のすぐそばにある講演会場の君津中央図書館は初めてだった。

 

なんかほぼ山の中の田舎暮らしをしているので、りっぱな中央図書館に入ってみると、久々に都会暮らしを思い出した。

東京時代に住んでいたところのすぐそばには高輪図書館があって、時々寄ったりしていたからだ。

 

講演会場は2階の視聴覚室なのだが、1階の図書室の一角で展示してあったので、講演前に見ることにした。

 

 

まあ縄文フェチのぼくとしては、少し物足りなかったけど、(土偶はかけらしか展示されていなかったし)この発掘の場所がご近所ということもあって、なんだか古代への郷愁の念を抱いたりした。

 

 

 

 

 

講演会場はほぼ満席で、年配の人がほとんどだったけど、けっこうみんな縄文への関心が強いのでしょうね。

 

講師は発掘調査に携わった方なので、スライドを中心に解説していて説得力があった。

 

調査の結果わかったことは、約4000年前の縄文時代後期の集落であり、竪穴住居跡が8軒、土坑88基が検出され、そのほか、縄文土器をはじめとして、様々な遺物が出土していた。

その中でも特徴的なものが石錘で145点も出てきたと。

石錘は、網を沈めるおもりとして使われるものなので、この集落で生活していた縄文人は、すぐ近くに流れる小櫃川で魚を採る生活をしていたことが想像される。

ぼくが残念に思ったのは、耳飾りなどの装飾具は出土していたものの、土偶は見つかっていないことだった。(脚のかけらだけ展示されてはいたが)

もっと掘ってみたら、きっと見つかるんじゃないかなぁ(笑)

 

TOPの写真は、帰りがけに寄って撮ってみた亀山ダムの橋からの写真なのだが、講師の方が最初のスライド解説の時に、ほぼ同じ写真を上げていたので、ぼくは、おお~!この風景知ってます!と心の中で叫んでた(^O^)

 

実は、この遺跡のそばの国道をたまに車で通っていたのだが、道路から見える小高い山へ通じるのぼり坂があって、この先には何があるのだろうと思っていた。

昨日の帰りがてら、もう一度その場所をよく見てみたら、登り坂の上のほうに柵が見えていた。

おそらくその先にこの縄文遺跡があるのだろう。

 

TOPの写真で言うと、中央の崖の上あたりになる。

 

これだけ多くの遺物の出土数は、房総半島の中でも特出した多さですと、講師の方が言っていた。

 

その場所から久留里線の終点駅である上総亀山駅まで歩いて5分くらいなのだが、移住してきた頃は、よく散歩がてら亀山駅を通ったが、駅前はかなり寂れている(笑)

 

せっかくこんな素晴らしい遺跡があるのに、封鎖したままじゃもったいなくない?

まあね~君津市の財政も厳しいみたいだから予算が出せないのかなぁ(^。^;)

地域おこしのメッカになるじゃないかと思うんだけどね。

 

あの青森県の三内丸山遺跡に比べたら、ぜんぜん小さいのかもしれないけど、縄文マニアの人もかなり多いのだから、公開したらいいのになぁ。

そばに温泉も2ヶ所あるんだし。

 

それにしても、こんな近くに縄文遺跡があったなんて、うれしい気持ちになるのだが、以前の日記にも書いてるけど、そこから車で15分くらいのところに、三石山観音寺がある。

 

この地に引っ越してきたのが、2012年の12月21日の冬至の日だったので、新年の初詣のために近い場所を検索してみたら、この三石山観音寺が見つかった。

ほぼ毎年初詣に行っている山なのだが、この山の頂上にそびえたつ三つの巨石は見応えがある。

 

 

これは正真正銘の磐座(いわくら)である!

 

 

この巨石の隙間は「夏至日の出・冬至日没ライン」を構成していることが、ネットで調べてわかった。

 

それにしてもこんな巨大な石をどうやって山の上まで運んだのだろうか?

 

UFOのしわざ?(^O^)

 

やはり超古代の謎としか言えないが、縄文時代は2万年近く持続していたらしいし、その頃にはおそらく今の文明とは異なる、宇宙意識と同調した目に見えないエネルギーを巧みに使った科学文明があったのだと思う。

あのカタカムナ文献には、まさに超古代の科学が記されているのだから。

 

おっと~こういう話はまた書くことにします(^O^)

 

それにしても、今住んでいるこの地のあたりは、確実に古代に通ずる香りが漂う。

 

もともと房総半島に興味を持ったのは、忌部(いんべ)族に関心があったわけで、いろいろな意味で、今の場所に移住してきたのも、なにか「記憶の呼び覚まし」があるような気がしてならない。

 

これからは銀河縄文時代へ向かっていくのだから

 

おっと~また語り部モードになりそうなので、このくらいにしておきます(^▽^;)

 

いやぁ~ほんと回覧板を見逃さなくてよかったなぁ♪