明日は夏至
夏至ビームは17:25♩
毎年、この日が近づくと不思議な感覚になる。
空気が少し変わる。
風の音が変わる。
木々の揺れ方まで、どこか静かになる。
自然は何も語らないのに、
「そろそろだよ」と教えてくれているような気がする。
古代の人々は知っていた。
一年で最も光が満ちるこの日が、
ただ明るい日ではなく、
「天と地がもっとも近づく日」
であることを。
世界中には夏至祭が残されている。
北欧では火を焚き、
ヨーロッパでは太陽を讃え、
巨石遺跡では朝日を迎え、
人々は歌い、踊り、祈った。
それは宗教ではなく、
自然のリズムに自分を戻す儀式だった。
ぼくは毎年、この日に記事を書いてきた。
「目覚め」
「解放」
「還る人々」
「新しい種」
「崩れゆく時代と蒔かれる種」
その時々で言葉は違っていても、
不思議なくらい一つの方向を指していた。
それは、
外の世界を変えることではなく、自分の周波数を思い出すこと。
この数年で世界は大きく揺れた。
便利になった反面、
情報は溢れ、
正しさは細分化され、
人はますます「頭」で生きるようになった。
だけど自然は一度も変わっていない。
朝になれば鳥が鳴き、
雨が降れば土は潤い、
木は黙って呼吸を続けている。
縄文の人々が見ていた世界も、
きっとこんな風景だったのだろう。
夏至はピークであり、
同時に折り返しでもある。
今日を境に、
光は少しずつ短くなっていく。
だから古代の人々は、
光が最も強い日にこそ感謝を捧げた。
永遠に続くものはない。
だから今、この瞬間が美しい。
今年の夏至は、
ぼくには「選択の夏至」に見えている。
恐れを増幅する世界に住むのか。
信頼を育てる世界に住むのか。
競争の文明を続けるのか。
共鳴の文明へ歩くのか。
その答えは政治でも経済でもなく、
一人ひとりの日常の選択に宿っている。
スマホを置いて空を見上げる。
裸足で土に立つ。
木に触れる。
石を拾う。
風を感じる。
ほんの数分でも、
ぼくたちは文明より古い自分へ戻ることができる。
ぼくは最近、
「目覚める」という言葉より、
「思い出す」という言葉の方が好きになった。
新しい何かになるのではない。
もともと持っていた静けさや優しさを、
もう一度、自分の中に見つけること。
夏至は太陽の祭り。
でも本当に昇る太陽は、
空にあるものではない。
一人ひとりの内側で、静かに灯り始める意識そのものなのかもしれない。
もし今、
世界が大きく変わっているように感じるなら、
その変化を恐れなくていい。
土の中では、
種は音もなく殻を破っている。
今年の夏至は、
そんな見えない発芽を祝う日。
遠い縄文から受け継いだ記憶と、
まだ見ぬ未来を結ぶ一本の光として、
今日もまた、
静かに太陽へ手を合わせたい。
そして・・・
夏至の火の降り注ぐエネルギーに同調し、
DNAに眠っているいにしえの意識を呼び覚ます。
キオクノトビラ!
聖なる火の宴!
そして聖なる夏至の日に祈りを♪
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