❤️発達障害と長文ブログについて! | 賭の虫

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『こんにちは!
マッシローです。外は春のような陽気ですね?ワタシは日に当たっていないので、顔色が病人のように透き通るような真っ白です。
今日はSNSの世界で長文を書く人のことについて、掘り下げて考えてみようと思います。』





『ワタシも医療の現場で、発達障害の当事者の方々と交流させていただいているのですが、メールのやり取りになることも少なくありません!そんな時に全員ではないのですが、その障害が文章に現れることが多々あります。

一言で言えば、文章が長くなるのです。メールが長い方がブログを書けば、当然長文ブログになってしまうでしょう?本日はそのあたりについて、お話させていただこうと思います。


僕は精神神経科一筋、多くの患者さんたちとの交流を持たせていただきました。メールを通しても交流させて頂きました。そして、彼らとのメールを何か楽しんでいる自分がおりました。

今はこうして交流してくださる方々にとても感謝であると共に、何かの親和性を感じたりもしております。


当事者さん全般に感じるところなのですが、

非常にピュアというか、純粋なんですね?

よく真面目と言う言葉が使われますが

,ぼくは「純粋」と感じます


特に二次障害をある程度克服されて、

その方の本来の人格が表に現れてくると、それまで陰にこもっていたような方でも、こうした純粋さがドンドン出てこられます。

この変化は多くの方に見られるので、

当事者さんは成長過程において周囲から浮いたり、否定的なかかわりを多くされた為に、自分が本来持っていた自然体で純粋な部分すら、自らに禁止令をかけて押さえ込んで生きてこられた方が多いように見受けられます。

その当事者さんのメールにはある特徴が出ることが多いのです。会話の時より、それはメールに良く現れます。


一言で言えば文章が長くなるのですが

単に長いだけではなく自分の気持ちの説明や相手の状況を、自分がどのように分析しているか・・・・この説明が沢山出てくるのですよね!

これは恐らく、想像性の障害に起因していて、大人にもなれば分析力や状況判断力の成長で、ある程度の社会性も身についているわけですが、どこかでそれが正しく機能しているか不安があるようなのです。

それで、全て語りきらないと説明しきれないし、そうしないと落ち着かないようなところがあるように思われます。

簡単に言うと「言わずもがな」とか、

「はっきりとは言わないけどわかるでしょう」の様な事がないのです。

そしてぼくは、そんな当事者さんの癖を微笑ましく感じていたりします。


例えばワタシの精神神経科の患者さんで、前回の診察日に予約していたカウンセリングの診察を、前日になって断って来たとします。するとメールでこのような文章が送られて来るのです。

(五年以上もワタシの精神神経科に通われている古い仲の患者さんです。)

【先生、すいません。実は急に予定が入ってしまいまして行けなくなってしまったんです。念のため言っておきますが、決して診察に行くのが嫌な訳じゃないんです。実は今回も、とても楽しみにしていたんです。でももう一つ方が先約でして、それをうっかり忘れてしまっていたんです。

でもなんだか、とても先生に申し訳ない気持ちです。松先生はとても忙しい先生でおられるのに、とてもがっかりされることでしょうね?決して松先生に非はないんですよ!

全てが私のミスなのですから?私は以前から松先生のことを一番信頼しておりますし、松先生に出会えて人生変わったくらいに思っているのです。何件もの心療内科をたらい回しにされ、挙げ句の果てに薬漬けにされ、お風呂も半年以上も入れないほど重症の鬱病で引きこもっていたのです。そんな私をどん底の淵から救って下さったのが松先生でした。

まさに私にとって松先生は、白馬に乗った王子様だったのです。色が白いのはお馬さんの方じゃなくて、松先生の方でしたね?(笑)

とにかく今回のキャンセルで、松先生がご機嫌をそこねるようなことになられたらと思うと、夜も眠れません!

松先生!どうか私のことを嫌わないで下さい。私を見捨てないで下さい。

実は今回のカウンセリングのキャンセルの理由は、別の病院に行かなければならないからなのです。どうしても、検査の結果を聞きに行かなければならないのです。その病院というのは泌尿器科の病院でして、最近通うようになったのです。松先生にはお話ししておりませんでしたが、二年程前から頻尿に悩んでおりまして、ユリナールという買い薬で騙し騙し凌いで来たのですが、とうとう一時間も持たなくなってしまってお漏らしもするようになってしまった為に、中央病院の泌尿器科に通って治療するようになったのです。

今回、その病院の検査結果を聞きに行く予約日と重なってしまったのです!

松先生のご都合もあると思いますし、もし、松先生が余りにもがっかりされるようでしたら、泌尿器科の予約を変更してもらい、何とか来院出来るようにしようと思っております。

今回は本当にごめんなさい。

またカウンセリングに行って、松先生と楽しい一時が過ごせる日を楽しみにしております。では、さようなら!】


ざっと、こんな感じです。(笑)


きっとこれが定型の方でしたら、相互の関係にもよるでしょうが、2~3行で終わるのではないでしょうか?


【松先生、今回キャンセルでお願いします。泌尿器科とダブルブッキングしてしまいました!本当にすいませんでした。次回は必ず行きますので宜しくお願いします!】


五年以上付き合いのある患者さんでしたら、こんな感じの短いメールで私は十分だと思います。


これは、こんなに簡単な文章で済ませても、相手は自分を信用してくれるという想像性があるから、この長さで済むのです。また、わざわざ自分が本当は行きたかったと書かなくとも、それまでのやりとりから

、相手はそこを疑う事はないだろう?という想像性も働いている訳です。



様々な性格の人間とのコミュニケーションには、メリハリのきいた会話や文章能力を必要とします。でなければ、スムーズな人間関係は成立して行きません!相手にとことん合わせる必要もなく嫌なものは嫌と言えないと、相手にいいように利用されてしまうこともあります。しかし、あまり敵を作らない為にも、自分はそうは思っていなくとも、相手の意見に賛同する場合もあるでしょう?例えば営業の現場などで良く使われる手法がyes bad yes です。

とことんお客様の話を聞いてあげる。

ゴルフの話であろうが病気自慢であろうが、相手にとことん話したいだけ話させてあげる。何も知らないふりをして、相手を持ち上げ誉めまくる。仕事の話しも相手の意見に賛同し頷き、決して反対意見などは言わない。

で、相手が話し疲れて来た頃に、それこそ最後の最後に自分の言いたいことを述べる。「確かに、先程から社長のお話しを聞けば聞くほど、私もごもっともだと思います。さすがは一代でここまで大きくされた社長のお話しは、とても勉強になりました。しかし、こんな場合も想定してみては如何でしょうか?………」

社長は、今まで散々自分の話を聞いてくれていたその営業マンの話しに、必ずや耳を傾けてくれることでしょう!


こんな偉そうなことを書いている私自身も、実は人付き合いがあまり得意ではありません!


先日、ある患者さんはこのあたりについて、このように語ってくださいました。

《私には相手にちゃんと伝わるように念を押して丁寧に説明してしまう「心配性チック」な面、すなわち、自分は一般的な思考回路とは違うということを自覚したうえで強めた、話し相手への「配慮」(の過剰適応)という面があります。また、自分の伝えたいことをきちんと正確に言語化して表現したい!という「完璧主義」,「こだわりチック」な面もあると思います。》


この方は、《でも一生懸命書いても結局は話が長い!と、嫌われてしまうんです。本当に悲しいです。》と仰っておりました。


 相手によっては、そう感じてしまう方もおられるのでしょうね?


ブログなどのやり取りでも、《まる一日かけて一生懸命書いたのに、コメントが「お大事に!」のみだった時にはがっくり来ますよ?》と。。。(笑)


 これは、当事者の方がスキルを身につけていくうえで、言語化能力を高めてこられることにも、関係があるのだと思います


しかし、「この程度の説明で相手は分かってくれるだろう?

」というのは、やはり多くの発達障害者には難しく、結果

、メールやブログの語りが長くなるのだと私は考えます。


 障害の軽重は人により様々です。


ちなみに僕は、そんな患者さんの説明たっぷりのメールは大好きなんです。


 なぜって!?


それはね・・・


ひとつは、お気持ちがたっぷり込めてあるように感じるから。。。


そして、「僕も、人の事はいえないから」なのですよ・・^^。


今日は、これでおしまいです!』





(医学博士◇松史郎)
(ニックネーム◇マッシロー)

【略歴】久留米大学医学部卒業⇒福岡大学医学部大学院卒業⇒九州大学医学部附属病院ジュニア・シニアレジデント⇒聖マリアンナ医科大学附属病院・心臓血管外科部長⇒杏林大学医学部附属病院・心臓血管外科主任部長⇒東京医科大学附属病院・心臓血管外科主任部長⇒昭和大学医学部◇精神神経科助教授⇒
日本医科大学◇精神神経科教授