時は1950年代後半、、
初のジェット旅客機のデ・ハビランド・コメットが就航し、それに続いてアメリカ、ボーイングのB707やダグラスのDC-8、さらにはスピードを突き詰めたコンベアのCV880といったジェット機が次々と就航していた。
この最中で欧米の航空産業では超音速輸送機の開発が盛んに行われていた。
「旅客機は全て超音速機になる」
なんて考えられていた。
そんな欧米に技術力で存在感を示したいソ連においても超音速機の開発計画が持ち上がった。
正直、需要云々より
西側に負けてはいけない!
という政治的な判断だった。
主要開発局には旅客機と超音速機の開発経験の両方を有するツポレフ設計局が選定され、
1963年に正式に開発が開始される。
指導部からは66年までの初飛行の実現が求められていた。
設計の効率化のため、小型機のミグMiG-21をベースに主翼形状の検討や飛行特性の検証にはいる。
機動性には有利だが抵抗にもなる水平尾翼は見直し撤去された。
また、MiG-21の直線的なデルタ翼から、前縁が緩やかなカーブを描くオージー翼に変更し翼面積も大きくした。
水平尾翼の省略によりピッチコントロールと機体のロールコントロールを両立する動翼、エレボンが主翼後縁に設けられた。
MiG-21をベースにした試作機MiG-21iによる検証を元に開発が進められ、
1968年に原型機となるTu-144(無印)が完成、
その年の12月、初飛行を実施した。
その見た目が英仏共同開発のコンコルドに似ていたことから
コンコルドスキー
なんて呼ばれるが、実際にはコンコルドより2ヶ月も早い初飛行だった。
またその主翼は試作機MiG-21iと全く同じ形状であり試作機によって得られたデータを元に製造されていた。
このエンジンからの振動や熱が機体に伝わり、機体後部への異常な振動や客室内の温度上昇に繋がった。
そして離着陸時の安定性の悪さと離着陸速度の高さも問題とされ、改善が求められた。
原型機のTu-144で判明した諸問題を改良した量産型がTu-144Sとなる。
(ヘルパ製 アエロフロート Tu-144S 1/500)
一見すると原型機とあまり変わらないように感じられるが、かなりの手直しがされている。
まず、主翼の平面形を見直した。
前縁が滑なかカーブを描くオージー翼は製造上効率が悪いため、量産型では製造が容易な直線的な形態に改められ、後退角の異なる2種類のデルタ翼を組み合わせた形状となった。
胴体の基本的な構造はそのままに延長されている。これにより垂直尾翼の前縁基部は主翼後縁付近までずらされている。
これにより音速飛行時に垂直尾翼に生じる抵抗を軽減できる。
また主翼面積の拡大の他、さらに大きな改良がTu-144Sには施されていた。
模型ではわずかにスリッドを設けて再現しているこの部分がTu-144Sの最大の特徴となる。
機首部分から飛び出した突起、、
カナードと呼ばれるものです。
巡航中は格納し、離着陸時の低速飛行時に展開し、機首上げの効果を持たせていた。
これにより、Tu-144Sにはコンコルドにはない
高揚力装置、、フラップの機能をエレボンに追加していた。
この効果は非常によく、離着陸速度はコンコルドよりかなり優れていた。
多くの面でコンコルドより高い性能を発揮したTu-144Sだったが、、致命的な問題があった、、それが極めて悪い
燃費
だった。
超音速で巡航することをソニッククルーズといいます。
このソニッククルーズはコンコルドではアフターバーナー(RRではリヒートと呼称)を使用せず、離陸時と音速突破時のみの使用だったのに対し、
Tu-144Sではソニッククルーズ時は常時使用していたとされる。
そして、、原型機から悪化した唯一の点が燃費でもあった。。
その要因となったのが、、振動と熱への対処だった。
摩擦により空気との抵抗をうむため表面積も出来るだけ小さくしたいため、コンコルドもTu-144も4発のエンジンを2発ずつまとめて装備していた。さらにTu-144では不調時の安定性を考慮したのか胴体に近いところにエンジンをまとめていた。
これが振動と熱の要因だったためTu-144Sでは
しかしこれが燃費の悪化を招くことに繋がってしまう。
エンジンを取り付ける位置はメインギアの位置と重複してしまう。
しかしメインギアの格納位置を外側へ移設すると主翼内に格納スペースを確保できず、、
エンジンの内側では滑走時の安定性を欠く。
どちらも譲れない位置だった。
またオージー翼から形状を変更したため主翼下に長いエンジンナセルを付けられる場所も限られていた。
その結果ツポレフの設計者たちは苦肉の策にでる、、
2発のエンジンの空気取り入れ口の間にやや小型化したメインギアを格納したのだった。
メインギアはエンジンの隙間に縦に90度回転させた状態で格納された。
原型機の頃からスペースが足りず、メインギアはかなり短く、地上では常に機首を上げた状態となった。
ところが、、
メインギアを格納するスペースを確保するためにエンジンへの空気取り入れダクトが湾曲してしまい、推力不足を誘発してしまう。
このため原型機よりも高出力のエンジンをSでは搭載していたが、巡航時のアフターバーナーの使用は解決出来なかった。
(燃費を優先するなら、未使用でもマッハ1.6程度なら出せたがコンコルドに並ぶマッハ2を出すには必須だったとされる。)
その後、フランスでのエアショーでのデモフライトで墜落事故を起こしてしまい印象が悪化したこともあってか、アエロフロート以外で運行するところもなく、原型機、量産試作機を含め16機での生産で終了した。
後期ではより低燃費なエンジンを装備し巡航速度こそ落ちたがアフターバーナーの使用を減らすことができる改良型(Tu-144D)が誕生、航続距離も倍近くに伸びた。
しかし運用は長くは続かず、、この生産数もコンコルドに対抗して無理繰り製造したのかも知れない。
今回の模型は
Tu-144原型機 デル・プラド 1/400
Tu-144S 量産試作機 ヘルパ 1/500
Tu-144S 量産機 タカラ「食玩」
食玩の記事はこちら
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ヘルパさん、、
せっかくTu-144作るならカナード展開時を作ってほしかったなぁ~