「辰年だから、氷川さんに行こうか!」

 

軽い気持ちでで企画した

大宮氷川三社めぐりだったのだけど

実行までの1月半の間に

 

出雲!

スサノオ!

オオクニヌシ!

 

と、あちらこちらから聞こえ始めた。

 

 

まずは節分前日に

出雲大社相模分祠へ。

 

 

❖ 2024年2月 出雲大社相模分祠

 

 

さらに、立春明けに受けた

サイキックリーディングのセッションでも

「出雲に呼ばれています」

と言われたので、これは心して伺わねばと身が引き締まる。

 

🕊

 

武蔵國ではもともと

現在の氷川神社・氷川女體神社・中山神社の三社を合わせて

「一宮」と呼んでいた。

 

 

 

 

そしてこの三社は

地図で結ぶと、一直線に並ぶのだ。

 

 

 

 

夏至の太陽は、西北西の大宮氷川神社に沈み

冬至の太陽は、東南東の氷川女體神社から昇る。

 

このような配置が偶然であろうはずはなく

縄文の時代から人々が

「神聖なものが宿る場所」を見い出してきたところに

後から「神社というシステム」が重ねられたことの証。

 

旧石器時代(約3万年前~1万2千年程前)から

ここは人が定住した地域であり、多くの遺跡がみつかっている。

 

🕊

 

太古の昔、浦和大宮の大部分は海の底にあった。

 

約7000年前、地球の温暖化によって「海進」が起こり
現在より海面は3m~5m高かった。

旧浦和市域の3分の2は海底にあったという。


約6000年前を境に、海が後退。

入り江が東京湾と分離して生まれた無数の沼・湿地の中で

最も大規模なものが、今も「見沼」として残る。

 

見沼はもともと「御沼」

この地域では多くの龍神伝説が語り継がれている🐉

 

🕊

 

氷川神社の名を冠する神社は

全国に280社ほどあると言われ

うち200社以上が、荒川流域に集中している。

 

出雲を流れる斐伊川(ひいがわ)が社名の由来の一つとされているが

出雲地域には、氷川神社と呼ばれるお社は2、3しかない。

 

けれど、出雲とのご縁は非常に深く

第十三代成務天皇の御代に

出雲族の兄多毛比(エタモヒ)命が

朝廷の命により武蔵国造となった時に

出雲大社と同じ神々…須佐之男命・稲田姫命・大己貴命…を

祀るようになったという。

 

平安時代の延喜式では、「名神大社」に属せられていた。

 

名神大社とは

天災などが起きたときに国家が祈願する神社。

 

明治天皇は、京都から東京に遷られた10日目には

氷川神社に行幸されたという史実や
現在でも宮中の四方拝で遥拝されるお社のひとつ

ということから考えると

 

非常に力が強く、国家レベルの護りを司っていた

お社であることは間違いない。

 

 

 


もう一つの社名の由来は

「ひ」が「聖なるもの」「清らかなもの」を表す音であり

「ひかわ」とは、霊験あらたかな泉を表す言葉…というもの。

 

古代の人々は

万物のいのちに恵みを与える美しい水源そのものを

大切に祀っていたのだろう。

 


また、氷川神社が鎮座する場所に

「高鼻」という地名がついていることと

氷川三社のひとつ、氷王子神社(中山神社)のご祭神に

猿田彦大神がおられるのも興味深い。

 

🕊

 

神社を単なる「ポイント」として見るのではなく

地理的・歴史的観点から掘り下げていくと

いろいろな面が浮かび上がってきて

本当におもしろい。

 

おもしろすぎて、

なかなか、今回のお詣りにたどり着けない。。。

 

まずは2021年の6月にお詣りした時の記事を貼っておくね。

続きはまた書きます。

 

 

❖ 2021年6月 氷川神社

 

 

❖ 2021年6月 氷川女體神社 初参拝