10年来親交のある経営者の方から

「社員18名に、3回ずつセッションしてもらいたい」とのオファーをいただき、先月よりスタート。
 
先週から2周目が始まった。
 
初回に大きな手放しが起こり、まわりから
「何があった!?」と言われるほど目の輝きが変わった方もいれば
まだ肚落ちせず、モヤモヤを抱える方もいる。
 
全員に同じタイミングでブレイクスルーを起こさなければ温度差が生まれてよくない…と思っていた時期もあったけれど
 
それは暴力的な関わりとなり得る。
少なくとも、コントロールだ。
 
🕊️
 
「素直じゃない」
「反応してるよね」
「抵抗してちゃ変われないよ」
 
周りは応援のつもりだろうけど、言われるほど心が固くなっていく。
私自身、思うように変われない自分に何度も苦しんできた。
 
心理セラピストとして15年
いろんな方の人生に触れさせていただき、分かったのは
簡単に自分を変えるわけにはいかないほど、その人には大切にしてきたものがあったということだ。
 
私が変わってしまったら
誰が家族を守るのか
誰が会社を守るのか
 
他の誰も背負ってはくれなかった
私がああするしか、なかったじゃないか
 
抵抗とは
血の滲んだ愛の姿だ。
 
🕊️
 
会社主導でセッションが行われる場合、タイミングの合わない人がいるのは仕方ない。
 
だとしても。
 
“いまここ“ の自分を知ること
ここまでの道のりを振り返ることには、意味がある。
 
そして、まだ苦しみの中にいる人たちを
先に解放された人たちが、温かな場をつくって待っていてくれるなら
温度差にも、意味と価値がある。
 
そんな想いを持ちながら、お一人お一人に関わらせていただく。
 
🕊
 
          (鎌倉・長谷寺弁天窟にて)

東京のお伊勢さんである東京大神宮に

S氏と行く約束をしていた日
電車に乗る直前になって
「あ、出雲大社にも行きたい。
 それなら、出雲さんが先だわ」と思い立つ。
 
神話の学びの中で、私が受け取ったことは
「陰:見えない世界」が先にあって
「陽:見える世界」がのちに顕現する
そして陰の世界は見えなくても
失くなったのではなく
土台となって在り続けている…ということ。
 
出雲大社 東京分祠(六本木)
 
東京大神宮(飯田橋)
 
🕊
 
目に見える世界においては
対極の質を持つものを
「対立」として捉えがちだけれど
それは、人間の頭が作り出す「分離」が
外の世界に映し出されているにすぎない。
 
光と影
天と地
善と悪
 
本来、対立するものは何もないのだと思う。
 
🕊
 
参拝後のセッションでも
「機能」と「存在」を分離してとらえているために
反応が起こるのではないか?
…との仮説が立ったところから、ギアが変わった。
 
ミツバチは、植物の受粉を助けるという機能を持つ。
それは、自然界において
ミツバチという存在に託された機能であって
機能と存在は、分離していない。
 
存在そのものの価値を
「どれだけ機能性が高いか=どれだけ役に立つか」
のものさしで計ると
分離が持ち込まれ、痛みが生まれる。
 
🕊
 
波は、他の波と自分を較べ
どちらが高いか
どちらが強いか
条件付けによって自らを認識し、優劣をつける。
 
けれどどんな波も、海からしか生まれない。
 
その前提を忘れ
海とのつながりを感じられなくなると
分離分断が前提となり、争いが起こる。
 
「多様性」という概念も
波の部分だけを切り取って見るのなら
望まない痛みを生む。
 
波は海から生まれ、海に還る
 
私はセッションを通して
一緒にこの景色を見ているんだな。
 
🕊
 
4月18日(金)~20日(日)
私の心理学の師匠・岡部明美さんと共に
3日間のワークショップを開催します。
 
東京・御茶ノ水での通いの研修なので
「宿泊は難しい…」という方も、ぜひ!
 
何が起こっても
すべて「海から発せられたもの」として
受け止められる、深い安心の場で
”自分とつながり 人とつながり 共に幸せに生きる道”が
見えてきます。

 

 

「初詣、どこに行けばいいの?」

と可愛い高校3年生からご質問いただいたので、こちらでもシェアいたします。

 

日本には8万8千社を超える神社があるとされ、

祀られている神様も「八百万(やおよろず)」というほどおられるので迷いますが

(しかも同じ神様がいくつもお名前をお持ちだったりする…)

 

まずは、住んでいる地域の神社からごあいさつされるのが一番。

帰省されている方は、実家のそばのお社へ。

 

よくお祀りされている神様方を分かりやすく解説してくれている

『家庭画報』さんと『Discover Japan』さんのサイトをご参考に。

 

 

 

 

 

 

 

🕊

 

 

神話を学ぶと、この国の歴史上のリーダー達が

何を選択してきたのかが、よく見えます。

 

一神教の神は、全知全能のスーパーパフォーマー。

八百万の神は、分業と協働。

 

大転換の時こそ、精神性の原点に触れることは大切ですね。

 

今年は「神和塾」でのレクチャーと実際の参拝の両面を提供していきたいと思います。

明けましておめでとうございます✨



(2024年12月12日 伊勢の神宮・外宮勾玉池にて)

 


AIによる社会変革が
ますます加速するであろう2025年

ヒトとして存在することの歓びを
より深く感じ、分かち合える
1年にしていきたいですね。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年も、毎年シェアするお話から。

゚・*・*:.。. .。.:*・゜゚・*・*:.。. .。.:*・゜゚・*・*:.。. .。.:*・゜

【小さな物語】(作者不明 菅原裕子訳)

インドのある水くみ人足は、2つの壷を持っていました。

天秤棒のはしに、それぞれのツボをさげ、
首のうしろで 天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。

その壷の一つには、ひびが入っています。

もう一つの完璧な壷が、小川からご主人さまの家まで
一滴の水もこぼさないのに、
ひび割れ壷は、人足が水をいっぱい入れてくれても、
ご主人さまの家に着くころには半分になっているのです。

完璧な壷は、いつも自分を誇りに思っていました。
なぜなら、彼が作られたその本来の目的を
彼は常に達成する ことができたからです。

そして、ひび割れ壷は、いつも自分を恥じていました。
なぜなら彼は、半分しか達成することができなかったからです。

二年が過ぎ、すっかりみじめになっていたひび割れ壷は、
ある日、川のほとりで水くみ人足に話しかけました。

「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている。」
「なぜそんな風に思うの?」
水くみ人足は言いました。
「なにを恥じてるの?」

「この2年間、私はこのひびのせいで、あなたのご主人さま の家まで水を半分しか運べなかった。
水がもれてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、 その努力が報われることがない。
私は、それがつらいんだ。」

壷は言いました。

水くみ人足は、ひび割れ壷を気の毒に思い、そして言いました。

「これからご主人さまの家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花を見てごらん。」

天秤棒にぶら下げられて丘を登っていくとき、
ひび割れ壷はお日さまに照らされ美しく咲き誇る道端の花に 気づきました。

花は本当に美しく、壷はちょっと元気になった気がしましたが、
ご主人さまの家に着くころには、また水を半分漏らしてしまった自分を 恥じて、水くみ人足にあやまりました。

すると、彼は言ったのです。

「道端の花に気づいたかい?
花が君の側にしか咲いていないのに気づいたかい?
僕は、君からこぼれ落ちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。

そして君は毎日、僕たちが小川から帰るときに水をまいてくれた。

この2年間、僕はご主人さまの食卓に花を欠かしたことがない。

君があるがままの君じゃなかったら、ご主人さまはこの美しさで 家を飾ることはできなかったんだよ。」

今回初めて、霧島神宮の

現在のお宮にお詣りすることにした。

 

空港で仲間を見送った後

ひとり、バスを乗り継いで霧島神宮へ。

 

霧島の名のとおり

毎回必ず一度は雨のお浄めを受ける。

 

 

 

雨の中のお詣りも、私は大好きだ。

 

天水に洗われた境内は

静けさと厳かさが増すから。

 

 

 

現在の社殿は正徳5年(1715)に

島津吉貴公により復興されたもので

令和4年に国宝に指定された。

 

300年以上、湿気にも負けない美しい本殿と

枝垂れ桜の組み合わせの艶やかなこと。

 

 

 

ふと左を見ると

「山神社」と書かれた簡素な看板が目に入る。

 

惹かれるまま歩きだすと

静かな杉林の先に、小さなお社があった。

 

極彩色の本殿とは全く違う空気に息を呑む。

 

 

 

本殿のご祭神は

天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)

 

山神社にお祀りされているのは

大地のエネルギーの象徴・大山津見神(おおやまつみのかみ)

 

まさに、陽と陰

 

🕊

 

天照大御神から

地を治めよとの命を受けた瓊瓊杵尊は

大山津見神の娘・木花開耶姫を見初めた。

 

天津神が、国津神の山の神の娘を娶り

次とその次の代では、海の神の娘を娶り

瓊瓊杵尊から数えて3代後に

ハツクニシラスノミコトが初代天皇神武として

奈良・橿原の地で即位なさったと

日本の神話では語り継がれてきた。

 


図で表すと、こんな感じ(「神和塾」資料より)

 

 

 

この図の中に出てくる

ニニギノミコトが、霧島神宮の主祭神

 

そして

コノハナサクヤヒメ
ヒコホホデミノミコト

トヨタマヒメ

ウガヤフキアエズノミコト

タマヨリヒメ

カミヤマトイワレヒコ

この六柱の神々は

主祭神の傍の相殿に祀られ

 

大山祇命(オオヤマヅミノカミ)は

山神社に奉斎されている

 

ひとつの空間の中で

天と地

両極のリーダーが、いっしょに祀られているのだ。

 

これぞ、神道において至高の境地とされる

「むすひ」の体現だ!

 

そう気が付いた瞬間

全身の細胞が震え出すような感覚になった。

 

🕊

 

山神社の鳥居を出ると、今度は

「湯之野」 の看板が見えた。

 

数段の階段を登ると、そこには誰もいない。

 

霧が立ち込め

硫黄の香りと共に温泉が湧き上がり

鳥の声だけがこだまする

 

木火土金水が巡る地

 



この道は「高千穂嶽道(おたけみち)」と呼ばれる古道で

高千穂河原まで続いているそう。

 

だが、今の私には

この先に足を踏み入れることは畏れ多過ぎる。

 

私は、神の声が聞こえたり、姿が見えることはないけれど

體から涌き上がってくる「畏怖」の感覚を信頼し、大切にしている。

 

今回はここまで。


 

身も心も魂も

天孫降臨の地のエネルギーで満たしていただき

ありがとうございました。

 

ご縁ある場で

ご縁ある方々に

分かち合ってまいります。

天孫降臨の地、霧島。

 

これまで霧島神宮の古宮址には数回

高千穂峰頂上の元宮にも、二度訪れた。

 

 

夜明けの古宮址

 

古宮から元宮までは片道1時間半の登山

 
霧島連峰を歩く
 
噴火口
 
 
噴火口のすぐ傍に形あるものを置けば
飛ばされ失くなるのは、分かりきったこと
 
それでも
いや、だからこそ
日本人はそこにお社を築き
「鎮め」を祈ってきた
 
天災が "起きないように"
自然をコントロールするのではなく
 
自然の摂理を受け容れ、その上で
大難を小難に、小難を無難にと
祈り続けてきた祖先たちの想いは
「むすひ」そのものだ。
 
神社とは
人の想いが折り重なる依代なのだと思う。
 
天と地
そしてこれまで生きてきた人間たちの
最も純なるものと
いまを生きる己の間にも
「むすひ」が起こり
 
時にかなったものが、立ち顕れる。
 
「叶う」とは、「時適う」こと。

毎年桜の季節には、知覧を訪れる。

 

テキストの画像のようです

 

 

沖縄の人間なのだから

靖國神社や特攻隊が飛び立った場所なんて

一生足を踏み入れてはいけない

 

そう信じていた14年前の私が

初めて知覧に立った時の衝撃を

一生忘れまい。

 

もう13回目になるけれど

「何度も行ってるから、分かってる」

などと少しでも頭をよぎることがあれば

私はセラピストを辞める。

 

 

今回は

15歳・17歳・19歳の若者たちと共に

知覧と鹿屋を巡った。

 

彼らの瑞々しい感性と輝く笑顔を見ると

彼らと同じ歳で

国のため、愛する家族のために散っていった

若者たちの想いが、いっそう胸に迫る。

 

そして

戦争が ”過去のもの” ではないのだと

緊迫感が涌いてきた。

 

7人の画像のようです

 

「後を頼む」

 

私たちは皆、託されて

いまここに命をもらっている。

 

平和と飽食を食いつぶし

次の代にツケを払わせるにはいかない。

 

できることは、たくさんある。

できることから、やっていくんだ。

 

今年はさらに、同志が増えたぞ。

 

同じ場に立ち

心震えた仲間がいることは

なんて頼もしく、うれしいんだろう。




神社・神宮・大社・宮・社...など

神社の名称は基本的に、成り立ちによって分類されます。

 

「神宮」はその中で最も格式が高く、天皇とゆかりが深いもの。

 

そもそも、神社の「社(やしろ)」とは、”屋代”

お祭りの際、神様を降ろすための仮設的な場を指します。

 

それに対し、「神宮」の宮(みや)は ”御屋”

常時在る建物を指し、霊力を帯びた剣や鏡、玉などの神宝を

天皇の命により納めていた場所を”神宮”と呼んでいたのでした。

 

現在、「神宮」と呼ばれるお社は全国に24社ありますが

720年に完成した『日本書紀』の中で「神宮」と呼ばれるのは

伊勢神宮・出雲大神宮・石上神宮の三社のみ。

 

その中でも石上神宮が最も古い創建とされています。

 

私は今回初めてお詣りさせていただき、

伊勢の凛々しさとも、出雲のおおらかさとも異なる、

何とも言えない空気感に感動しっぱなしでした✨

 




ここ「布留」の地では旧石器時代の遺跡が見つかっており、

大昔から水と土と風の恵みに惹かれ、人が定住していたことが分かります。

 

人々が拝殿や本殿を造る前から祭祀が行われていた地では

今も山や巨石など、自然そのものに手を合わせることが多いのです。

 

大神神社には本殿がなく、三輪山そのものをご神体としていますね🏔

 

石上神宮では「高庭の地」という、

布留の森の奥にある空間がもともと信仰の対象でした。

ここには特別な神宝が埋められていると語り継がれていたからです。

 

ひとつ前の投稿で上げた、三つの剣

「韴霊」

「天十拳剣」

「七支刀」

 

そして

「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」

 

天璽十種瑞宝とは

饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神から授けられた神宝で

亡くなった人をも蘇らせるほどの霊力を持つと言われます。

 

今は武器として扱われる「剣」と

いのちを蘇らせるとされる「瑞宝」

 

正反対の質とも思えるこのふたつを奉るところに

石上神宮の凄まじさがあるのですが…

 

壮大すぎて、なかなかまとめられない (>_<)




 

 

 

 

奈良・三輪山の麓から

春日山の麓までを結ぶ、

日本最古の道のひとつ

 

「山の辺の道」 

 

 この道中に鎮座する石上神宮には

日本の歴史上、重要な働きをした

3つの神剣が祀られています。

 

 

 

 

⚔韴霊剣 ふつのみたまのつるぎ

熊野山中で、全軍壊滅の危機に瀕した神武天皇を救った剣

 

もともと武甕槌大神(鹿島神宮ご祭神)と共に

出雲との国譲りを成した剣であり

強力な起死回生の御力を持つと伝わる

 

 

⚔布都斯魂剣 ふつしみたまのつるぎ 

 「天十握剣 あめのとつかのつるぎ」とも呼ばれ

スサノオノミコトが出雲で

ヤマタノオロチを退治する際に用いた剣 

 

 *ちなみに、この時ヤマタノオロチの尾から出てきた剣を

「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」

もしくは

「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」という

 

こちらは後に三種の神器の一つとなり、

熱田神宮に祀られている

 

 

 

 

⚔七支刀(国宝) しちしとう

 

全長74.8センチメートルの鉄剣

剣身の左右段違いに6本の枝刃を持ち

金象嵌の銘文が記されている

武具ではなく、儀式や祭事などに用いられたものと思われる

 

 61文字の銘文は

「百済の王が倭国の王に贈った」という内容で 

神功皇后の御代に百済から献上されたと日本書紀が残す

「七枝刀(ななつさやのたち)」と同一とされる

 

 

 

「辰年だから、氷川さんに行こうか!」

 

軽い気持ちでで企画した

大宮氷川三社めぐりだったのだけど

実行までの1月半の間に

 

出雲!

スサノオ!

オオクニヌシ!

 

と、あちらこちらから聞こえ始めた。

 

 

まずは節分前日に

出雲大社相模分祠へ。

 

 

❖ 2024年2月 出雲大社相模分祠

 

 

さらに、立春明けに受けた

サイキックリーディングのセッションでも

「出雲に呼ばれています」

と言われたので、これは心して伺わねばと身が引き締まる。

 

🕊

 

武蔵國ではもともと

現在の氷川神社・氷川女體神社・中山神社の三社を合わせて

「一宮」と呼んでいた。

 

 

 

 

そしてこの三社は

地図で結ぶと、一直線に並ぶのだ。

 

 

 

 

夏至の太陽は、西北西の大宮氷川神社に沈み

冬至の太陽は、東南東の氷川女體神社から昇る。

 

このような配置が偶然であろうはずはなく

縄文の時代から人々が

「神聖なものが宿る場所」を見い出してきたところに

後から「神社というシステム」が重ねられたことの証。

 

旧石器時代(約3万年前~1万2千年程前)から

ここは人が定住した地域であり、多くの遺跡がみつかっている。

 

🕊

 

太古の昔、浦和大宮の大部分は海の底にあった。

 

約7000年前、地球の温暖化によって「海進」が起こり
現在より海面は3m~5m高かった。

旧浦和市域の3分の2は海底にあったという。


約6000年前を境に、海が後退。

入り江が東京湾と分離して生まれた無数の沼・湿地の中で

最も大規模なものが、今も「見沼」として残る。

 

見沼はもともと「御沼」

この地域では多くの龍神伝説が語り継がれている🐉

 

🕊

 

氷川神社の名を冠する神社は

全国に280社ほどあると言われ

うち200社以上が、荒川流域に集中している。

 

出雲を流れる斐伊川(ひいがわ)が社名の由来の一つとされているが

出雲地域には、氷川神社と呼ばれるお社は2、3しかない。

 

けれど、出雲とのご縁は非常に深く

第十三代成務天皇の御代に

出雲族の兄多毛比(エタモヒ)命が

朝廷の命により武蔵国造となった時に

出雲大社と同じ神々…須佐之男命・稲田姫命・大己貴命…を

祀るようになったという。

 

平安時代の延喜式では、「名神大社」に属せられていた。

 

名神大社とは

天災などが起きたときに国家が祈願する神社。

 

明治天皇は、京都から東京に遷られた10日目には

氷川神社に行幸されたという史実や
現在でも宮中の四方拝で遥拝されるお社のひとつ

ということから考えると

 

非常に力が強く、国家レベルの護りを司っていた

お社であることは間違いない。

 

 

 


もう一つの社名の由来は

「ひ」が「聖なるもの」「清らかなもの」を表す音であり

「ひかわ」とは、霊験あらたかな泉を表す言葉…というもの。

 

古代の人々は

万物のいのちに恵みを与える美しい水源そのものを

大切に祀っていたのだろう。

 


また、氷川神社が鎮座する場所に

「高鼻」という地名がついていることと

氷川三社のひとつ、氷王子神社(中山神社)のご祭神に

猿田彦大神がおられるのも興味深い。

 

🕊

 

神社を単なる「ポイント」として見るのではなく

地理的・歴史的観点から掘り下げていくと

いろいろな面が浮かび上がってきて

本当におもしろい。

 

おもしろすぎて、

なかなか、今回のお詣りにたどり着けない。。。

 

まずは2021年の6月にお詣りした時の記事を貼っておくね。

続きはまた書きます。

 

 

❖ 2021年6月 氷川神社

 

 

❖ 2021年6月 氷川女體神社 初参拝