震災から一晩明けて、翌日はお店を開けたものの、お客様が来るはずもなく、ひたすら片付けをしていました。
せっかくのお客様達の石膏マスクがほとんど壊れてしまいました。
化粧品のワゴンもめちゃめちゃでした。
お店は全体的に元にあった状態に戻すには時間がかかりました。
私は相変わらずまったく誰とも連絡を取れず、携帯の充電もなくなってしまい、近くの電気屋さんに充電器を買いに行っても売り切れ。
ほんと、お手上げ状態でした。
夕方、電車が一部再開、とのニュースを見て店長が、「今日は帰って下さい」と言ってくれたので速攻帰りました。
家に着くと兄がいて、お互い無事でよかったね、と言い合い、その日は夜中までニュースに釘付けでした。
夜にやっと母からメールが届いて一安心。
でも、これからどうなるのか心配でした。
次の日出勤すると、韓国人スタッフがスーツケースを広げて荷造りしていました。
ワタシ「どうしたの?」
韓国人「私の母が電話で、、、帰る。だから、私帰ります・・・怖い。」
と言って泣き出しました。
「そうだよねぇ。」と言って抱き合いながら泣いていました。
結局韓国に帰国したスタッフは3名。
親御さん達にしてみれば、かつてないほどの規模の震災で、娘たちを日本に置いておきたくないというのが本音でしょう。
私はその後、退職して仙台に帰ってきました。
元々、3月で退職の予定をしていました。
震災が起こってしまって、混乱の中での退職になってしまいました。
当時のことは何だか詳細には覚えていません。
夢中でした。
当日3時から予約を入れていて、でも「今電車の中なんですけど、動かないので遅れます」と連絡してきたお客様、あの後無事に帰れたのかな。
あの時リンパマッサージしていたお客様、混乱していてお顔のクリームを拭く暇もなかったな。
1人暮らしのあのお客様、大丈夫だったかな。
後から思えば、こうやって思いますが、その時は自分のことで精一杯でした。
あれから仙台に帰ってきて、本当に一部のお客様にお手紙を出しました。
今でもやり取りは続いています。
今でも大事なお客様、です。
もう2年。
まだ2年。
思うことは人それぞれだと思います。
でも、あの時のことを忘れないでいたいです。