外に避難して、余震が来るたびに集まっている人たちから悲鳴が上がって、でもたくさんの人がいるということで何故か安心したり。
韓国人スタッフで1番若い子、あまりの恐怖にちょっとおかしくなっていました。
誰かが「津波来るらしいよ」と言っていたのを聞いて、何回も
「アキコ先生、シンジュクにも津波?きますか?」
と、本当に3分おきに聞かれました。
「大丈夫。ここには津波は来ないよ。大丈夫だからね。」
何回聞かれても、ちゃんとこう答えました。
少しでも安心してもらいたかった。
なだめている内に、本当に可哀想になってしまいました。
言葉もよく分からないのに、親元を離れて日本で働いて、こんな恐怖に直面するなんて。
でも、彼女たちのおかげで自分を保つことができました。
とりあえず余震がおさまる度に、7階まで非常階段で登って、少しでも片付けをしていました。
店長は新店舗の打ち合わせで出かけていたので、お店の電話に何か連絡がないかも気になっていました。
何往復したか分からない程、階段を使いました。
何か食べるもの、と思い近くのコンビニに行くと、もうすでに何も残っていませんでした。
残っているものは、ビールなどのアルコールだけでした。
パンやおにぎり、お菓子など、棚に何もない状態を見るのは初めてでした。
夜7時くらいに店長が戻ってきました。
歩いて銀座から戻ってきたのです。
外には帰宅困難者(そんな言葉は知らなかったですけど)がたくさん。
歩いて家まで帰る人たちでごった返していました。
そんな時。
店長が「アキコ先生、食事に行きましょう!」と。
・・・食事?
のんきに食事?
てか、どこで?
「新大久保に行きましょう!」
嘘でしょ。
ま、本当だったのですが。
帰宅困難の方々が家まで歩いて一生懸命帰っている中、私たちは新大久保まで食事しに行く。
そして、新大久保の韓国料理屋さん、ほとんどのお店が開いていました・・・
ドびっくり。
でも、ほとんど食べられませんでした。
その夜はお店に泊まりました。
夜中中ずっと余震で眠れませんでした。
それより何より、家族と連絡が取れない不安で眠れませんでした。
く、暗い。
でも、もうちょっと続きます(笑)