メンヘラについて語ろう ー 私の鬱病の始まり | マンハッタン88丁目の窓から、ニューヨークの日々の生活をお伝えします。

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ニューヨーク在住20年を超えた自称ニューヨーカーの筆者が、ニューヨークの生な様子をニューヨークの風にのせてお届けします。

確か大学生で21歳だったと記憶していますが、新宿にある熊野神社の秋のお祭りに行きました。今は縁日など人が集まらなくなっているのかもしれませんが、当時はかなり賑やかでした。

 

お囃子が流れていたのですが、太鼓の音が止み、哀しげな笛の音がピーヒャララと鳴るや、その瞬間心の一部がどんどん沈んでいくのを感じました。それは、どこかが痛いとか苦しいといったフィジカルな痛みでは無く、完全に心の中の出来事なのは、自分でもわかりました。その後私がどうしたかは実は全く覚えていません。母あるいは父と一緒だったと思うのですが、それすら思い出せません。ただ、その”沈んで行く”感覚があまりにも鮮烈で、あれから随分経っているのに思い出されます。

 

それ以後はあれほどズンズン心が沈んで行くような感覚は経験したことがありませんが、沈んでいる、と感じることはままあります。今思うにあの秋の日は、私の鬱病の始まりだったと思っています。

 

私を知っている友人は、私が鬱病を持っていると言うと信じないのですが、これはもう私の持病で、一旦出るとあとは決して消えて無くなることは無いような気がします。あせる 特に季節の変わり目には発病しがちです。えーん

 

秋の始まり。何だかモノ悲しい季節です。下にリンクした2曲は季節的にピッタリと来るのですが、本当はもっと明るい曲を聞いた方が良いでしょうね。キョロキョロ