うまくいかないなら
いままでとは違う方法を試してみよう
とは言うけれど・・・
 




 

今日もお越しくださり

ほんとうに、ありがとうございますニコニコ

 

 



うまくいかないのには、ワケがある

 

 

 

だからと、

いつもと違うことをしてみたり、

やってきたことを手放すことは勇気がいる

 

 

 

 

けど、

とあることを意識することで

力任せに変えたり手放そうとしなくても

静かな情熱が、どうしたいかを教えてくれる

としたらどうだろう?

 

 

 

 

それは、私たちだれもに備わっている

気づきと変容のプロセス、だと思っています

 

 

 

 

 

 

私、おおたあきこ(あこ)は、
↑これから、あこと名乗ることにします爆  笑

こどものころから本を読むのが大好きで

中高生の時は、図書館で借りた恋愛小説や漫画を好んで読んでいました

 

 

 

 

大学生の時は

司馬遼太郎の歴史シリーズを読み

斎藤道三に触れたくて岐阜の金華山にひとり登りに行く、なんてこともしていました

 

 

 

 

新聞記事のスクラップも、

切って貼るのが好きで

ただそのために、やっていました

 

 

 

 

両親との関係があまりよくなくて

中学生のころからほとんど言葉を交わさなくなりました

 

 

 

 

なので、活字が友だちだったんだなラブ

とつい最近までそう、思っていました

 

 

 

けど、

「うまくいかない現実の背景には、
    痛みから逃げようとする無自覚の信念(思い込み)がある」

(『ザ・メンタルモデル』由佐美加子・天外伺朗著、内外出版社)

 

 

 

という概念に出会い、

もしや!と、自分の行動を振り返ったとき

逃げよう逃げようと無自覚に

痛みから逃げることばかりを考えていたことに気づいたのです

 

 

 

 

活字が友だちだったのではなく

本を読んでいれば、少なくとも迷惑はかけない

 

 

 

忘れもしない小5のとき

それまで住んでいたスリランカから帰国して

はじめての登校日の朝

 

 

 

スリランカでは毎日のように

サッカーをして遊んでいて

だから日本でも、サッカーを楽しみにしていて

 

 

 

当然のように

”ズボン”をはいた

 

 

 

そうしたら

やめなさい!女の子が!

と、はきたくもないスカートに着替えさせられ

悲しい気持ちで登校した

 

 

 

 

中学生のとき

友だちと同じテレビを観たいと

お願いするたびにダメと言われ

門限も、友だちと同じにしてと

お願いするたびにダメと言われ

親を困らせてばかりの私は

そもそもここにいちゃダメなんじゃないか

わずらわしい存在なんじゃないか

 

 

 

そう思い、

家にいて安心できない私にとって、

勉強と読書は、迷惑かもしれないと感じる痛みから逃れられる手段でした
 

 

 

 

”迷惑なんじゃないか”

”負担なんじゃないか”

という思いは大きくなると

さらに広がっていきました

 

 

 

 

大学ではワンダーフォーゲル部に入部

重たいザックが辛かったり

勇気が試される場所でも

決して笑顔を絶やすことはなかった

(先輩には、なんで笑ってるの?と不思議がられるほど、いつも笑っていた)

 

 

 

 

あこは、怯えていた

”いない方がいいと、バレやしないだろうか”

 

 

 

 

イギリス留学を叶えても

部屋にこもっていつもひとり

関わろうとしないことで、

痛みを味わうことから逃れようしていた

 

 

 

 

この思い込みは

つい最近までまったく気づかないまま

内側で作動しつづけていました

 

 

 

 

やりたいはずのことに力が入らなかったり

こどもに怒りをぶつけたり

 

 

 

 

こんな自分はダメなんだ

ありのままの自分では

受け入れてもらえないんだ

という根深い思い込みが

 

 

 

 

誰の前でも思ったことは口にせず

あるいは弱みを握られないように

正しさで武装して攻撃的になり

そのうっぷんを晴らすように

こどもに怒りをぶつけていた(ゴメンよぉえーん

 

 

 

 

 

なんでこうなっちゃうんだろう?

ということがあれば

なぜそれをやっているんだろう?
そこには、どんな思い込みがあるんだろう?

と問いを立てることで

違う視点から自分を理解できるようになる

 

 

 

 

ささいなことも大きなことも

その根底は、なにかしらの痛み(触れたくない腫れもののようなもの)につながっているんじゃないかと、そんな仮説を持つようになりました

 

 

 

 

けどね!

ここから大事で!

 

 

 

痛みは、ただの痛みじゃない

その裏側には、

人生かけても諦めきれない情熱がある

 

 

 

それは、

どうありたいのか?という

この世界に表現したいイノチの願い

 

 

 

 

どんな人も、凸凹のままで完璧で

ありのままの自分を表現していい

そんな安心な世界(居場所)を作りたい

 

 

 

 

肚や胸の奥から湧きあがる

きっと一生変わらない願いに出会えたのは

そんな世界はどこにもない
(家にも学校にも海外にも)

という痛みを味わい

もう二度と、味わうもんかと逃げる姿勢が

うまくいかない現実を創り出していたことに気づいたから

 

 

 

 

自分以外の誰かに憧れて

新しい知識を学びつづけ

外側を探すうちは見つからなかった

 

 

 

 

その答えは、自分の中にあった

 

 

 

痛みはこの世界で

命を生きながらえようとする

人間の本能があるかぎり、

消えることはない、と思っています

 

 

 

 

そして、

痛みがあるおかげで

ほんとうはどうありたいのか?

日々のささやかな願いから

深いところの願いまで

命はつねに、私たちに問いかけてくれる

 

 

 

 

 

この両親のもとに生まれ

迷惑だ、なんて思われたことは

1日たりともなかったと、やっとやっとわかった

 

 

 

 

自分の中の静かな情熱に触れ

魂にとってはあらゆることが

必要な体験だったんじゃないか

とさえ思えるのです

 

 

 

 

人生かけてあきらめきれない

願いを残りの人生で自分のために

叶えてあげたい

 

 

 

そんな感覚に生きる人の輪が

広がるといいな

 

 

 

そう思わせてくれる

あらゆる出会い、体験

そして両親とご先祖様に

恥ずかしくない生き方をしていきたい

 

 

 

それは

人の力の及ばぬところで

私たちは生かされていて

 

 

 

愛を受けとらなければ

今日まで生きられることなどできなかった

 

 

 

もともと存在を許されていたと

肚の底から理解した結果、

つながりの中で生きていることを

だれもが思い出すことができること

 

 

 

 

間違いなく

愛とつながりの中で

これまでも生きてきたし

いまも生きている

ということに確信を持つ

ということなんじゃないかと思うのです

 

 

 

 

肉体を持って

痛みを感じるからこそ生まれる

ひとりひとりの人生という旅の美しさに

ぜひ、触れに来て欲しいなと思います

 

 

 

 

誰もが

自分の内側に触れる

勇気を持って

旅を楽しめるようになる

そんな世界を願い

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8月17日に初めて募集をして

ありがたいことに5名の方よりお申込みいただきましたおねがい



ひきつづき

9月23日(土)までのお申込みで受け付けています
(24日以降は、有料でのご案内となります)


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