こんにちは☀



今日もお越しくださり

ほんとうに

ありがとうございます

 




==========
あっきーの自己紹介
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こどもの思わぬ発言に

思わず

えーーーー💦と

困った風に反応してしまう



そんなことがあると思うのですね

 

 

 

今朝、起きたと思ったら
「なんか、あたまいたいなぁ、、、」
というこどもに思わず
えーーーーと言いそうになりました
(いや、顔は言ってしまっていたかもしれません💦)



けどね、思うのです



もしもこどもの立場だったら
お母さんのそんな反応を目にしたら
どう思うだろうかって



そしてきっとね
ボクが(ワタシが)あたまイタイと
お母さん困るんだなぁと
思っちゃうと思うんですね



もしかして、、、とか
考える余裕など一切なしに



それはもう機械的に即
インプットされてしまうと思うのです



あたまイタイと言う=お母さんを困らせる



だから、言わないでおこう



あるいはほんとうに

言わざるを得ないときは、
それはそれはお母さんを困らせないように
精一杯の気を使って、伝える




”罪悪感”
という感情は
この世でもっとも重要な感情のひとつ
だと思っています
(感情にランクなんてないんだけどね)




私たちは何の気なしに
発した言葉や態度で相手に
そんな感情を抱かせてしまいます




そんなときはぜひ自分を見つめる
きっかけにして欲しいのです



 

相手に抱かせると同時に
自分自身にも”ある”
と認識せざるを得ない




その罪悪感の多くが

“やるべきことを

満足にできていない“




という

自分への評価に由来する



これは私はそのたびに
痛感させられます




けどほんとうは

やるべきことなんて何もなくて
罪悪感を抱かせるような
相手も自分も
”悪いこと”なんて1㎜たりともしていない




身体にこびりついた
”こうあるべき”
という考えが機械的に浮上するだけ




・親を困らせてはいけない

・人に迷惑をかけてはいけない

・一度決めたことはやり通さないといけない

・結果をださなくてはいけない

・期待に応えなくてはいけない

 

 


 

ほかにもあげれば

たっくさんあるよね



喜んで取り組める
”べきこと”なのか
自分を苦しめることなのか
の見極めは必要だけど




 

苦しいことが
行動の前提になると
ほんと、いいことないと
これはもう、体感から




けど意識はいとも簡単に
”やるべきこと”に向かうからこそ




”そうでなくていいんだよ”
と意識を優しく導いてあげる




その優しさを引き出すのが
できていないことではなく

できたことを数えてみること



脳のしくみとして人は
できていないことに目が向く
そんな生き物だそうです



こんな円を目にすると

”欠けている”ところに焦点が
当たっていませんか?







それはどこにフォーカスするか
の問題



フォーカスを変えれば
見えることも変わってきます



いままで、
やってきたこと

達成したことを
丁寧に数えてみる




こうしたい!と
ふと湧き上がることに

ことごとくNO!と言い続けてきた

そのことに私たちは
罪悪感を感じてしまうようです




それはもう変えられない




”Yes!”と言って小さくとも
”成し遂げたこと”に向けてみる
 

 



それが
好きなこと
好きな考え
感覚的な心地よさ



を起点としたなにか
であるほど
罪悪感は和らいでいく




冒頭の
こどもに与えかねない罪悪感も

”伝えてくれて、ありがとう”

 

 


 

相手が安心そうな言葉を

喜んでかけてあげる




その心が自分をも包み
その瞬間



これでいい、と
いまここを”よし”とする
生きてる心地を実感する




この”実感”を
ひとつひとつ
丁寧に味わって
自分の血肉としていこう




いまここ
生き生きとすることは
なんですか?



 

 

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