1日1分英語で読み解くブッダの言葉

1日1分英語で読み解くブッダの言葉

英語で書かれたブッダの言葉を超訳し、かつ私なりに解釈しました。悠久の時を経てなお色褪せないブッダの金言に触れながら、こころを整えていきましょう。

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何があっても大丈夫!

私たちは守られている。

詐欺られてから早半年が経った。

滅茶苦茶自己嫌悪、反省、後悔のループ

の中で苦しみ、自己洞察の期間を経て

今、人生が大きくシフトしている。

神様、見えざる大きな力に導かれている

ことを感じる。

いろいろなスピリチュアル系のYouTube

見たり、内省したりする中で

多くの気付きを得ている。

自分を本当に愛していくことに決めた。

自分を1番大切に、心地よく生きること

新しい一歩を踏み出すことを決意した。



無事に生きられている。




いらないものは捨ててシンプルに生きたいなー。

過去の嫌な感情も捨てる。余計な付き合いもしない。

今までどれだけ消費にお金を使ってきたかと思うと反省し

ます。

2022年からは持たない生活、シンプルライフを実践して

いきます。 

本来無一物

私がロマンス詐欺に合った時の状態は、孤立状態でした。孤立とは自分の世界に閉じこもり周りが敵に見えていました。特に家族に対して、なんで私はこんなに頑張っているのに誰も感謝してくれないの、私は家政婦か、財布ぐらいにしか扱われていないんじゃないかー と言う妄想で頭がいっぱいになっていました。

そこに、君はもっと価値がある

    そんな家族は離れて僕の所へおいで

等々甘い言葉をかけられたら、もう気持ちがそっちへ傾いて行くのですが、もちろん全て嘘。

今振り返ってみても、私は自分から孤立し、縁を切っていたことに気づきました。

孤独は自らの内面を落ち着かせ、周りの家族が見守っている状態、決して縁を切っていないのです。他人に依存する隙間はなく、孤独を楽しむ余裕さえあるのが孤独です。私の場合ですが。

孤立無縁の心の時は、その隙間を埋めようと他者に依存しやすい危ない状態でした。

孤独は楽しめますが、孤立は地獄です。

誰か信頼できる人と繋がっていましょう。


レッスン1 

感謝の気持ちを持とう

あなたの行いは尊くそれらができることに感謝しましょう♪自己中地獄にはまると、なんで私ばかりと言う思いが心を蝕んでいきます。認めてほしいよーと言う欲です。

誰も認めてくれなくてもいいじゃないですか。

それより怖いのは、自分の欲が自分を蝕んでいくことです。やる気がなく無気力になったり、周りに対してキツい言葉を浴びせたりと、ナイフのように尖ってきます。心がささくれ、甘い言葉を浴びせる詐欺に心を掴ませる隙を与えるだけです。

気をつけましょう。

自分が一番の敵です。私が学んだレッスン1、一番大切なことは、自分が自分の敵であると言うことです。

それを防ぐために感謝の気持ちを持ちましょう。



ロマンス詐欺から学んだ101のレッスン

コロナ禍の中、家に引きこもりがち、

精神的に参っている方も多いの

ではないでしょうか。

誰かと繋がりたいと安易に繋がり、

気づけばだまされていた経験を

お伝えしていこうと思います。

101 は煩悩の数


毎日一個ずつ

101個の欲を洗いざらいお伝えしますね。


ではまた明日❗️




  • ロマンス詐欺から学んだ101のレッスン

犀の角(身を守る編)―― (Suttanipata 63)

 

 

Eyes downcast, not footloose,

senses guarded, with protected mind,

not oozing — not burning — with lust,

wander alone

like a rhinoceros.

 Suttanipata 63偈)

 

目は伏しておきなさい、とめどなくうつろうことなく

 

処々の感覚を守りなさい、守られた心と共に

 

(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩に)焼かれることなく、

 

ただ独り歩め

 

シャキーンと立つ犀の角のように

 

 

 

 

 

🌸情報を追い求め深夜までテレビやネットにかじりついていてはいけ

 

ないのです。周りでささやかれるうわさ話に便乗しても、心が疲れる

 

だけです。目を伏せていましょう。諸所の感覚を守るとは、(見ざ

 

る、言わざる、聞かざる)の行動なのです。私たちを取り巻く環境に

 

いちいち反応しないことです。煩悩とは、(苦、本能、欲求、自分

 

分と思う気持ちなど)と諸所のお坊様たちが解読しています。

 

Hasunoha.jpを参考にさせていただきました。

 

人間生きている間は煩悩と共に生きるほかないのですが、人間はま

 

た、その煩悩の火を消すこともできるのです。完全に消せないまで

 

も、火を小さくすることはできそうです。

 

煩悩の火に流され破滅の道を歩まないように、

 

煩悩の火に焼きつくされないように、という

 

お釈迦様の温かくも厳しいお言葉なのです。

 

テレビ大好き、ネット大好き、お買い物大好きの私にとっては

 

大変痛く厳しいお言葉です。欲望は加速していきます。何事も

 

ほどほどにして早く寝るように心がけましょう。

 

 

 

犀の角(雨にも負けず風にも負けず編)(suttanipata42偈)

 

Without resistance in all four directions,

content with whatever you get,

enduring troubles with no dismay,

wander alone

like a rhinoceros.

suttanipata42偈)

 

いやだなあ~という思いを持たずに四方のどこにでも赴き、

 

あなたが得たものが何であれ、そこに満ち足りた思いを持ち

 

恐れず、失望することなく、もろもろの苦難に堪え

 

シャキーンと立つ犀の角のようただ独り歩め

 

 

🌸お釈迦様のこの言葉を読むと、宮沢賢治さんの〔雨ニモマケズ〕

 

が思い出されます。賢治さんは熱心な法華教の信者でしたので、

 

無言実行、人のために尽くしたいという思いが彼の作品や行動にあふ

 

れています。だから今日でも人々の心を揺さぶるのでしょうね。

 

私はまだまだです。いやだなーと思うことはあるし、なんで私ばかり

 

がこんな貧乏くじ、て思うことしきり。まだまだ自分の本来の良さや

 

生まれてきた意味が分からず迷走しています。悩んで悩んで悩み疲れ

 

て、最近では、「まいいか、悩めるだけありがたい」と思えるように

 

なってきました。目は横に鼻は縦に、あるべきところにありちゃんと

 

その機能を果たしています。息が吸えて吐けるありがたさ。些細なこ

 

と(かなり生存には重要)に心からほっこりと、ありがたいなーと感

 

謝するようになりました。

 

 

恐れ」は何か危害を加えられるのではないか、という防衛本能です

 

からあってもいいかと思いますが、心を極めたお釈迦様やそのお弟子

 

様たちは恐れさえないのです。なぜなら死ぬことさえ怖くないのです

 

から。スゴイ―、カッコイイです。

 

「失望」も何か期待するからがっかりするのですから、期待しなけれ

 

ばよいのです。自分以外のことは誰もわかりません。周りも自分が1

 

番大事なのです。ただなるようになる。過度の期待は慎みたいもので

 

す。

 

 

余談

 

わたしのヒーロの一人、宮沢賢治さんの遺品に手帳があるのですが、

 

その手帳のペンを立てるところに、くるくると巻かれていたものがあ

 

ります。読めないけど賢治さんの字だと思うとジーンとします。

 

 

 

 

宮澤賢治さんの詩も再度読むと震えます。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

 

 

 

 

 

 

 

                                                    

犀の角(正しく生きる道編)

 

With no greed, no deceit,

no thirst, no hypocrisy —

delusion & blemishes

blown away —

with no inclinations for all the world,

every world,

wander alone

like a rhinoceros.

 

 (Suttanipata 56偈) 

 

むさぼることなく、いつわることなく

 

渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく

    

除きされ

 

すべての世界のものへの執着を離れた心と共に

 

シャキーンと立つ犀の角のようにただ独り歩め

 

 

 

 テレビをつけると、横領、収賄、殺人、強盗などのニュースが流れてきます。

 

人間の欲の深さたるや底なし沼です。なぜこんなに醜くお金を貪り、

 

人を平気で欺けるのでしょうか。人間の残酷な面ばかりがクローズアップされると滅入ります。

 

お釈迦様は「私たちは本来、仏が宿る完璧な存在なのですよ」と言う。

 

欲の泥に埋もれた自分の中に仏がいるのです。

 

「人間は泥仏だ」

 

といったお坊さんもいます。そのくらい私たちは泥まみれなのです。誰

 

かの過ちや間違った行いを非難しても、自分は何も変わりません。

 

むしろ更に泥を自分に塗っているようなもの。

 

そういう過激なニュースはなるべく避け、きれいなもの、純粋なものと触れ合いたいものです。

 

猫は見ているだけで幸せな気分になります。

 

私もあなたもみーんな泥仏、

 

それをわかって少しでも前進したいものです。

 

 

The Buddha:               

 

Un-   angered,            

un-   startled,                       

un-   boastfu

un-   anxious,

giving counsel unruffled,

he is a sage,

         his speech

         under control.

Sutta Nipata 850偈)

 

ブッダがおっしゃった

 

かの最上の人は 

怒らず 

おののかず 

誇らず 

案じることがなく 

冷静に語る。

 

かの人は思慮深く 

彼の言葉は 

私利私欲から解放され 

整えられている。

 

最上の人、聖者(お釈迦様のような人)になるには私利私欲を離れなさい、という。自

 

 

分が、自分がと言っている内は煩悩まみれです。早くにこのことに気付き、捨てること

 

 

に意識を向けていくと、気持ちが楽になります。断捨離が流行ったことも、この行いに

 

 

通じるのかもしれません。日々の生活では、言葉を慎み、自然の景色に癒されたいも

 

 

のです。

 

 

 

 

 

  

 

 

テーマ:

犀の角(友だち編)スッタニパータ第58偈

 

 

 

Consort with one who is learned,

 

who maintains the Dharma,

 

a great & quick-witted friend.

 

Knowing the meanings,

 

subdue your perplexity,

 

[then] wander alone

 

like a rhinoceros,

(スッタニパータ第58偈)

 

常に学び、真理を内包し、

 

卓越した知恵のあるものと共と交われ。

 

法・真理を学び、あなたの迷いに打ち勝ち

 

(そして)真理の道を自問しながら

 

犀の角のようにただ1独り歩め。

 

 

1人ではなく独りなのです。精神的に独立しているかが重要なのです。そして、

 

ブッダは

 

友達を持ち交友するならこういう人たちと交わりなさい、と説いています。

 

 

 

Dharmaとはダルマと読み、パーリー語の真理とか法とか道と訳されます。この世界の動くシス

 

テムのようなものです。例えば、「日が東から昇り、西に沈む」ことは決まっているので、真理

 

ですね。英文法では「普遍の真理は現在形を使う」という決まりがあります。

 

花(桜)は春に咲き、冬になると葉が落ち外の風は寒いです。これらすべてが疑いようのない真

 

実なのです。

 

私たち人間も生き物です。若さを謳歌し、苦悩し、歳を取って死にます。それが真実なのです。

 

目をふさぎたくなるような、しみ、しわ、白髪、“3大し“の後に死という大団円を迎えます。

 

これらをわきまえた者たちと交わりなさい、とブッダは言っているのです。

 

 

ただ何となくの友達や疲れる友達はいるだけ無駄なのです。独りのほうがましです。

 

私たちのこの世での時間はそんなにないのですから、振り回される友は友ではないと割り切りま

 

しょう。例えどんなに素敵な友達がいて互いに心を磨いたとしても、常に精神的に独立した個々

 

人の集合であり、いても良し、いなくても良しなのです。真の心の平安は友達からは得られない

 

のです。独りサイの角のようにシャキーンと立ち歩いていきましょう。