子どもの頃 住んでいた 岩手から
九州の おばあちゃんに会いに 行く時は
いつも 夜 星を見ながら 出発
寝台列車で どこまで 行ったんだろう
あとは 新幹線と 電車を乗り継いで
おじいちゃんは 私が 物心 つくかつかないかで
亡くなったので
いつも 出迎えてくれるのは おばあちゃんの笑顔
せみの声 へびの抜け殻 花火の光と煙
おばあちゃんの 笑顔と一緒にありました
一緒に 遊びに来る 年上のいとこたちに よく 親の目をぬすんでいじめられたので
ある朝
布団をかぶり、 いつまでも寝たフリをしていた 私
いつもどおりに 起こそうとする母を 止め
「 寝せときんしゃい 」
と 言ってくれた おばあちゃん
遠くに 嫁に行った おばあちゃんの娘たち
私たちが帰れば また ひとりぼっちの おばあちゃん
寂しくないの
と きくと
「 また 会える時が 楽しみたい 」
と 前向きな答え
いちばん 遠くに嫁に行った 母は よく別れ際に泣いていたけど
おばあちゃんは いつも 笑顔
「 また きんしゃい 」
と 手を振る
つくしを 産まれて初めて食べたのは おばあちゃんと
「 にがい 」
と 顔をしかめる 私 おばあちゃんは笑ってた
大きくなると 行くことが減ったけど
誕生日 入学 卒業 ‥
いつも 電報とお祝いを 贈ってくれた
いちばん 嬉しかったのは 成人式
開くと 音楽が鳴る 花束の形をした 電報
今も大事に ここにあります
結婚する前 骨折して 一時寝たきりになった おばあちゃんに
夫と 会いに 行きました。
半分 ぼけていたので 他愛もない会話をし
手浴 足浴をして 別れた私
あとで 夫が 私が お湯を捨てに行ってる間に
「 せがちゃんを よろしく 」 と 言われたよ
と 教えてくれました。
その後は 回復しても 車椅子で…
ずっと ホームで暮らすおばあちゃん
徐々に 寝たきりになり…
食事が のどを通らなくなり…
病院へ
それでも おばあちゃんは いつ行っても
にこにこ 笑って
いかなる 状況でも 決して弱音を吐かず…
そのとき そのときを 精一杯
前向きに 生きている姿勢を 感じさせてくれました
最後に会いに行ったときは
もう 「 あー 」 しか 言えなくなっていた おばあちゃん
その おばあちゃんが
先日 叔母が 会いに行ったときに 声をふりしぼって
「 た す け て … 」
と 言ったそうです。
全国の 家族全員 それを 聞いて 泣きました…
私は 願いました
神様… どうか おばあちゃんが 受けなくちゃいけない 苦しみを
少しだけ 私に 下さい。
お坊様に
おばあちゃんは 人生最後の 修行をしている
と 教わりました。
だから 願うのではなく お任せします と 祈ってください と…
でも
あまりに 辛すぎる 修行です…
祈ろうと 思いましたが…
愚かな私は なかなかできず…
やっぱり 願ってしまいました…
いずれ 天に召されるなら
どうか 少しでも 楽に 苦しまずに
天に召されますように…
願って 二日…
おばあちゃんは 天に めされました
先週の 奇しくも 私の 後悔記念日でした…
おばあちゃんは ようやく楽になれました。
一人で 生きる寂しさ…
思うように身体が動かない苦しみ…
ようやく そこから 解き放たれて
きっと 空だって 自由に飛んじゃって
楽に なったから…
良いこと なのに
嬉しいこと なのに
なぜか
悲しくて しょうがないのです…
もう 二度と 会えないからかな…
どんな 姿であれ、
生きていてくれる ことが
きっと 心の支えになっていたんですね…
それは 私の母も同じ
いや きっと もっともっと
私 以上に
おばあちゃん
私たちの ために 精一杯 生き抜いてくれて ありがとう
私も おばあちゃんに ならって
生かされて頂いている間 精一杯 生き抜きます