【坂東三十三観音③正法寺~安楽寺。やはり頼朝公の流れね^^】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

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神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

こんばんは!

 

 

 

@Ricoです。

 

 


 

坂東三十三観音

巡礼シリーズ✨✨✨の続きね^^

 



前回までが、9番札所まで。

 

〈シリーズ①〉

杉本寺→岩殿寺→安養院→長谷寺

→勝福寺→長谷寺


〈シリーズ②〉

光明寺→星谷寺→慈光寺







今回は、10番札所からです✨



 

てなワケで。

 

 

 

 

十番札所。

◾️正法寺

(千手観世音菩薩さま✨)



通称、岩殿観音と呼ばれます。

(埼玉県東松山市)




こちらを上がっていくと、

なかなかの迫力の仁王像✨


→でもなんやら、親近感ありますよグラサン




香炉



その奥には、

観音堂



開山のいわれ


奈良時代、養老2年(718年)に沙門逸海が岩殿山の岩窟に観音像を安置し、傍らに正法庵と号した草庵を結んだのが始まりと伝わっています。


また、平安の始め。(田村麻呂の悪竜退治伝説)

ここ岩殿の山に悪竜が住み着き、村人はほとほと困り果てていた。そこに蝦夷征伐へと向かう将軍坂上田村麻呂が通りがかり、岩殿観音の千手観音菩薩の霊力を授かることで、悪竜を見事討ち果たしたという。この霊験もあり、蝦夷征伐を終え、都へと戻った田村麻呂が岩殿観音の利益を伝えたといわれます。



それでは、

失礼いたします🙏





頼朝の乳母であった比企の尼は、平治の乱の後、流罪となった頼朝が伊豆に流された際にも支援を惜しむことはなかった。その恩もあり、比企氏を御家人として重用した頼朝は、比企氏が深く帰依した岩殿観音を庇護することとなる。


岩殿観音は頼朝の庇護のもと、頼朝の妻である北条政子の守り本尊として、比企能員が復興し、坂東札所となった、という流れがあるのです。。。


⬇️ ⬇️ ⬇️




さらに❗️

圧巻やったのが大銀杏

一面の金色の絨毯の世界✨✨✨





境内全体図⬇️




さらに、さらに。

薬師堂


百地蔵尊


本堂(阿弥陀如来さま✨)






十一番札所。

◾️安楽寺

(聖観世音菩薩さま✨)

 



通称、吉見観音と呼ばれます。


開基は、行基菩薩。

1300年ほど前、岩窟に観音像を安置したのが

はじまりとされます。



お大師さま



平安時代の末期には、源頼朝の弟範頼がその幼少期に身を隠していたと伝えられます。


また、安楽寺の東約500メートルには「伝範頼館跡」と呼ばれる息障院があり、この息障院と安楽寺は、かつては一つの大寺院を形成していたとされます。



本堂(観音堂)



三重塔


→江戸時代初期の和風な雰囲気らしい‼️



さらに、さらに

八起地蔵尊




薬師堂



うかがわれた際には、

こちらの仏さまにお会いしてみてください🙏





 

十二番札所。

◾️慈恩寺

(千手観世音菩薩さま✨)

 

 



と、書いたのやけど


タイムアップ⤴️なので

次回へ続きますね^^

 






では。





いつも、ありがとう^^






@Rico 




幸せは自分のために

世界が平和であるために