こんばんは!
@Rico です。
兵庫巡礼ねえさんぽ👣
三ノ宮、生田神社⛩️さんから
向かっていった先は、こちら⬇️
湊川神社さん✨
楠公なんこうさんと呼ばれています🙏
電車🚃移動のタイミングで
雨が降っていたのやけど、
地上に出たら雨が止んでました‼️
ありがたやです🙏
五月中は楠公まつり✨とされているらしく
幟がハタハタとしてましたよ^^
※五月二十四日、二十五日、二十六日は
宵宮祭、本祭、翌日祭となっとります🙏
大燈籠✨
もちろん、
中央には菊水紋が輝いてます^^
さらに、美しい表神門✨
失礼いたします🙏
ふわぁっと
心地よい風が吹いてますね^^
テクテク👣
テクテク👣
中央あたりには、百度石🪨
拝殿の手前には
クスノキかな❓
このあたりまで来ると
すっかり清々しい気持ちになってます^^
手水舎💦
備前焼の獅子狛犬さん✨
初めまして🙏
よろしくお願いいたします。
神戸大空襲、阪神淡路大震災でも
無傷やった奇跡の狛犬さんです🙏
いよいよ、
拝殿にてご挨拶です‼️
御祭神
楠木正成公✨(大楠公)
配祀神
楠木正行まさつら卿✨(小楠公)
および
湊川の戦で殉節された楠木正季卿以下
御一族十六柱、並びに菊池武吉卿
ご由緒
楠木正成公は後醍醐天皇の勅命を受け、鎌倉幕府の勢力や新たに武家の政権を立てようとする足利高氏と戦って正義と忠誠を示されました。
しかし延元元年(1336)に、この湊川の地での足利軍との戦(湊川の戦い)で自刃されました。
その後地元の人々によって、この地に葬られていた正成公の塚(お墓)は大切に守られてきましたが、江戸時代に入り、正成公を非常に崇敬された徳川光圀公によって立派なお墓が建立されました。
このお墓の建立後は正成公を慕い、その精神を拠り所とするため、多くの人々が参詣し、特に幕末には吉田松陰や坂本龍馬など、志士達が訪れました。
明治元年に明治天皇がこの地に神社創祀の御沙汰を下され、明治5年に創建されました。
たくさんの方々の想いで
この地に創建された湊川神社⛩️
本殿に向かって手を合わせると、
そこはかとなく憂いの気持ちがやってきて。。。
日本。日本。
日本を強くする。
そんなお言葉を感じます🙏
この紋には
並々ならぬ気✨が込められているよう。
(楠木正成公の生涯については、
こちらHPを参照ください⬇️)
正成公の智・仁・勇の三徳と誠忠節義の精神は、
楠木家子々孫々に受け継がれただけではなく、
日本史上、日本人の精神にこれほど多大な影響を
及ぼした人はいないとまで云われています。
私利私欲なき純忠至誠の精神(楠公精神)は、
日本の国柄として国民を感化し続けてきました。
(拝殿上の天井画があまりに迫るものが
あります🙏)
日本を強く。
国体をお護りせんがために。
この強い想いが
今も受け継がれていくこと
日本の安寧を強く願われているのでしょう。。。
(拝殿内の降魔、伏邪の文字が
めっちゃ印象的でした💧)
さらに。
向かって右のエリアへ👣
むむむ🤔
親子さざれ石✨
京都府舞鶴市から採取されたさざれ石。
(このあたりの地層は2億4000万年前に隆起して
できた地形なんやと)
大小を楠木正成公、正行公親子の姿に
見立てられています。
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楠木正成公は、わが子正行公に、自分の死後も
帝のために忠誠を励み、決して一族の栄達を望んではならないと諭され、河内国に返されます。
正成公が身命を賭して貫かれた「忠誠」の精神は
その子正行公へ受け継がれ、またその精神はやがて
幕末を経て明治維新に至る大きな原動力となっていくのです。。。
実は、
楠木正成公には
数々のねえさんぽ👣でお会いしとります🙏
(吉水神社)
(高鴨神社)
(皇居)
てなワケで
湊川神社⛩️さん
まだ続きます。
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために