こんばんは!
@Rico です。
まだまだ続いてますぞ❗️
熊野巡礼ねえさんぽ👣
(※今回、動画があるので重いです🙏)
今回のねえさんぽで、一番自然を感じた場所🌸
熊野本宮大社さんの旧社地
大斎原おおゆのはら✨へ
ズーーーム👀
風が吹いて、
青空のなかに桜のピンクが光りますね^^
桜舞い散るなかに、
大鳥居の佇む姿。。。
こんなに桜って
ふわふわやったっけ❓と思うぐらい
一面に花びらがいっぱいやね✨✨✨
太陽の化身である八咫烏☀️
まさに、
降り注ぐ天地人✨✨✨
(八咫烏の三本の足は「天地人」をあらわしますね^^)
あ、そうそう‼️
もちろん、大斎原にご挨拶する前に
末社 産田社さん✨へ
御祭神
伊邪那美命(荒魂)✨
素晴らしい空気が溢れます🙏
枝垂れの姿もこの時期ならでは✨
こちら大斎原は、
熊野本宮大社(熊野坐神社)創建の地。
ご縁起は❓というと。。。
古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神である
天火明命(あめのほあかりのみこと)
その天火明命の息子である高倉下(たかくらじ)は
神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に
天剣「布都御魂ふつのみたま」 を献じて
お迎えしました。
時を併せて、高御産巣日神は
天より八咫烏を遣わし、
神武天皇を大和の橿原まで導かれました。
第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟(いちい)
の巨木に、三体の月が降臨しました。
天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)は
これを不思議に思い
「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。
すると真ん中にある月が
「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」
とお答えになりました。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が
大斎原に創建されたと云われています。
(詳しくはこちら↓)
このご縁起をみるにつけ、
やはり石上神宮✨さんとの繋がりを
深く感じざるを得ないのや。。。
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大斎原の入り口には
蘇り✨そして、魂✨の文字。
「もう一度」と願う先は
大斎原に在り、
自らの魂を以て、再出発を願ったのでしょう。
大斎原には、
明治二十二年の未曽有の大水害により
社殿のうち中・下社が倒壊したため
現在の熊野本宮大社に上四杜のみ
お祀りすることとなりました。
中四社・下四社は石祠として
旧社地であるこちら大斎原にお祀りされます🙏
こちらの二基の石祠を包む神聖な雰囲気
ゆっくりと手を合わせて
このたびの感謝を🙏
中四社✨
第五殿 禅児宮 忍穂耳命✨
第六殿 聖宮 瓊瓊杵尊✨
第七殿 児宮 彦火火出見尊✨
第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合尊✨
下四社✨
第九殿 一万宮/十万宮 軻遇突智命✨
第十殿 米持金剛 埴山姫命✨
第十一殿 飛行夜行 彌都波能賣命✨
第十二殿 勧請十五所 稚産霊命✨
→1日目のラストに速玉大社さんにて
ご挨拶させていただいた神さまと
被ったり、被らなかったりが
なかなかに興味深いよね🤔
さらに、
一遍上人神勅名号碑✨
南無阿弥陀佛✨と刻まれた碑にて
ご挨拶いたします🙏
※一遍上人については、こちらを↓
して。
この旧社地を取り囲む
音無川と熊野川💦
→この流れは、十津川村の果無山脈から通じていて
2020年に玉置神社へ向かうときに見た
あの景色を思い出します。。。
(道は高野山へも続いとるよね✨)
で。
目の前の清き水を見たら、、、
浸るよねーーー😎☝️
↓ちろっとだけ、おそるおそるやわw
(撮影 by majyomikoさん✨)
一緒に清められましょう^^
桜でピンクに染まる山々を眺めながら、
豊かな自然を身体いっぱいに感じて
もう、最高の時間✨✨✨
→心あらわれる、とはまさにこのコト‼️
ゆっくりゆっくりと
すべてが在る場所に。
すべてが還る場所があるのだよね^^
てなワケで、
ラストに見た景色は
真っ青な空に
突き抜ける白🤍
伸びゆく先は、
まだ見ぬ世界やけど
真っ直ぐに進んでいくよ^^
てなワケで、
お次の場所へ向かいますよ🏃♀️💨
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために