【栃木日光ねえさんぽ④東照大権現をお祀りする日光東照宮へ。】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

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神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

おはようございます!




@Rico です。




栃木日光ねえさんぽ👣の続きね^^



日光山輪王寺から

移動して、、、


向かった先はこちら⬇️



日光東照宮




進んでいきますよ^^




東照大権現は、家康公の「神号」です。




日光東照宮は、

1617年、徳川初代将軍徳川家康公を御祭神に

お祀りした神社。


家康公は、15421226日三河国岡崎城

(愛知県岡崎市)でご誕生になり、

幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、

幕藩体制を確立されました。

そして、世の中に秩序と組織を形成し、

学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる

平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に

多大な貢献をされました。


また、75歳の生涯を終えられ、直ちに

久能山に神葬され、そして御遺言により、

その一年後、久能山より現在の地に移され

お祀りされました。

正遷宮は、同年二代将軍秀忠公をはじめ

公武参列のもと厳粛に行われ、ここに

東照社として鎮座しました。

その後の1645年に宮号を賜り、東照宮と

呼ばれるようになりました。


(詳しくはこちら⬇️)






テクテク👣


テクテク👣



鳥居⛩を失礼して

すぐ左手に見えてくるのが、


五重塔



ズーーーム👀



1650年、若狭の国(福井県)小浜藩主

酒井忠勝公によって奉納。



さらにズーーーム👀

十二支やね☝️





して、


反対側では、


御仮殿 公開中❗️

とありますよ^^




うかがってみましょう^^







失礼いたします🙏




御仮殿とは、

御本社を修理する際に御祭神をお遷しして

お祀りする御殿。


仮殿が常設されているのは、当宮のみ

と記されていました😲




なかに入らせていただくと、

ひんやりとした空気のなか

正面には、漆黒の扉があり、そこが

神棚になっています🙏

(正面の扉には、落とし錠があり

 そこには蝉の飾りがあります)


正面の漆黒と対比するように、

まわりの壁は金色で色彩されていて

神獣の彫刻が多々施されています。。。



訪問したときには、陽明門が改修中やったので

こちらでも

ご挨拶したほうがいいよね❓と

お参りさせていただきます🙏




とても静かな時で

こういう場が東照宮内にあると

初めて知りました。。。





(イメージはこちらをご参照⬇️)







して。



この内部で目にとまったのがこちら⬇️


東照公御遺訓


人の一生は重荷を負うて

遠き道を行くが如し

急ぐべからず







こちらの御遺訓。


本当に家康公が遺されたものなのか?

後世の創作ではなかったのか?

とも言われているそうです。。。



(詳しくはこちら⬇️)




とはいえ、

こちらの御遺訓には

ひとつ立ち戻って

感じ方はそれぞれにしろ、

あゆみを振り返ってみることに繋がると

思うのです。





御仮殿での参拝を終えて、



テクテク👣


テクテク👣






いよいよ、

陽明門から先に向かいますよ^^



(陽明門は改修中)





仁王門





門越しに

なかをチラリ✨✨✨






裏手は

金色の狛犬さま







目の前に広がる景色







3月やと、

まだまだ雪が残っているのやね💧



まぁ、それもそのはず。



こちら、日光東照宮の場所は

スカイツリー🗼

おんなじ高さですからね^^







てなワケで

まだまだ続きます。







では。





いつも、ありがとう^^






@Rico 




幸せは自分のために

世界が平和であるために