【結びの力ねえさんぽ③走水神社さんで水と意をくむ。】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

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神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

こんばんは!




@Rico です。





さて、霊石をめぐる旅の続きね^^



安房口神社さんをあとにして


向かった先はこちら⬇️



走水神社さん




ルートは?というと



テクテク👣アーンドバス🚌


(かなり汗だくになったよ💧)





歩いているときに見た空





なんやら忙しい感じですグラサン




して、


一の鳥居⛩




二の鳥居⛩





して、


こちらの階段を

ずずすいーーーっと上がっていく🏃‍♀️






本殿




御祭神


日本武尊(やまとたけるのみこと)

弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)






ご由緒


(少し長いですが、大事なので記載🙏)



景行天皇即位40年、東国の騒動を静めるため日本武尊に

その鎮定を命じました。

勅命を奉じて日本武尊は、伊勢神宮に参詣され戦勝祈願をなし、

神宮の斎宮であった叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より

神宝の雨叢雲之剣(あめのむらくものつるぎ)と火打袋を

授けられ、東国に東征の軍を起こされました。

途中、静岡(焼津)において賊にだまされ火攻めの難に

遭遇されましたが雨叢雲之剣で草を薙払い向火を放ち形勢を

逆転させて賊を討伐したといわれ、これよりこの神宝を

草薙之剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれ、以来熱田神宮の

御神宝となっております。


日本武尊一行は、焼津、厚木、鎌倉、逗子、葉山を通り

走水の地に到着されました。

ここに、御所(御座所)を建てました。

(現在の御所が崎といわれています)


走水の地において、軍船等の準備をし上総に出発するときに

村人が日本武尊と弟橘媛命を非常に慕いますので、

日本武尊は自分の冠を村人に与えました。村人はこの冠を

石櫃に納め土中に埋めその上に社を建てました。

(走水神社の創建です)


日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと

船出されましたが、突然強い風が吹き海は荒れ狂い軍船は

波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの危機に、

日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が


「このように海が荒れ狂うのは、

海の神の荒ぶる心のなせること、

尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、


「さねさし さがむのおぬにもゆるひの 

ほなかにたちて とひしきみはも」と御歌を残し、

海中に身を投じられました。


たちどころに海は凪ぎ風は静まり日本武尊一行の軍船は

水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。

以来、水走る走水と言われております。



上総、下総、常陸、日高見の国々の蝦夷を討ち平らげて大和に

帰る途中、碓氷峠から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、

その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び「あ~吾が妻よ」

と嘆き呼びかけられたという、そしてこれをもって東国を

東(吾妻)「アズマ」と呼ぶようになったといわれております。


奈良時代の初期に編纂された『古事記』『日本書記』にも

記されております。



また、弟橘媛命が御入水されてから数日して海岸に

櫛が流れ着きました。

村人たちはその櫛を日本武尊と弟橘媛命の御所があった

御所が崎に社を建て、櫛を納め橘神社としましたが、

明治18年に御所が崎が軍用地になったため、橘神社は

走水神社の境内に移され、明治42年に走水神社に合祀されました。



走水神社HPより引用


走水神社公式ホームページ|由緒走水神社公式ホームページリンクwww12.plala.or.jp




このご由緒によれば、


①日本武尊が上総の国に船出しようと

 していた時に、波が荒れてしまう


→向かったのは上総の国





もちろん、東京湾を横断する、ってコトやね。。。


さらには

海が荒れるというのは

太平洋からの波入りが激しくなる、ということ。



お参りさせていただいた

安房口神社さんともう一つの霊石のある

洲崎神社さん。





その2ヶ所というのは、

地図で見てもわかる通り

東京湾の玄関口のように

位置しています🙏






黄色→走水神社⛩

赤色→安房口神社⛩

緑色→洲崎神社⛩

茶色→安房神社⛩





さらには、、、



②弟橘媛が「このように海が荒れ狂うのは、

海の神の荒ぶる心のなせること、

尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と

告げ、海中に身を投じる






手を合わせ、

祈る御姿がはかなくも美しい





これは、

この荒ぶる波を司る神への祈りであり

日本武尊とともに生きる意を貫いて生きると

決めた証だったのでしょう。





この荒ぶる神は霊石🪨と

繋がっていたのだろうか。。。


弟橘媛の意を汲んだのはいったい

どなただったのだろうか、と

めぐる想いは尽きないのです🙏








さらに、さらに



 遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、

その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び

「あ~吾が妻よ」

と嘆き呼びかけられた。。。




その走水の輝きは

いまなお、生きているのだろうか。












あの昔むかし見た

海の輝きを消さないように、


そして、

荒ぶる神を起こさないように🙏






弟橘媛の祈りの意を

受け継いでいくのです。








して、


前回の三浦半島の旅で

タイムアップで授かれなかった

御朱印を授かりますよ^^






このときに、


弟橘媛さま

いらっしゃいました🙏






なにやら

私の祈りを伝えてください、って感じの

メッセージのようにも思えてきます🙏




さらに、

前回もいただいた


御神水御砂



(御神水は、こちらでは

 ブレスレットを授かる際に

 自らこちらの御神水でお清めしてから

 授かるのです🙏)








見上げた空には

なんかいる。。。かな?







てなワケで、



霊石とのつながり


そして


海とのつながりを


感じた参拝になったのです🙏





(走水神社さん⛩の参拝の詳しくはこちら⬇️)


『【結びの力ねえさんぽ→まずはプロローグ。神さまの繋がりは?】』こんばんは!@Rico です。今回のねえさんぽ👣めっちゃ深い流れがある(と個人的には感じていて)おそらく、まだ未完なのだけどこれまでの経緯を記しておこうと思…リンクameblo.jp






御神水をくみ、

弟橘媛の意をくみ、




そして




もうひとつの霊石の場所へ

向かいますよ^^











では。





いつも、ありがとう^^






@Rico 




幸せは自分のために

世界が平和であるために