【「生命」と「いのち」】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

こんばんは!




@Rico です。




今日の読んだ本と映画から
ちょこっと考えたこと。



この
「生命」と「いのち」




どういう違いがあるのやろニヤリ




解釈の仕方はいろいろとあるけれど、
仏教関連では、ひらがなの「いのち」を
用いることが多いのですよね照れ










高野山真言宗では、
「生かせ いのち」をテーマに、
すべての生きとし生けるものが、
お互いに尊重しあう平等な社会の実現を
目指していて、、、






そこには、
他者への(あわれみのような)共感が
前提になるのではなく、

ただ、ただ
すべてが等しくある

(そこには、弱くある自由もあれば、
 強者である自覚もあり、それぞれが
 混在しているワケだから、だと思うのだけど)



そう、個人的には考えていますの。






というのも、


「生命」
→いわゆる生存機能としての
 命をあらわす


「いのち」
自分の意思で自律できるもの
 ではなく、もっと大きなところ
 からのまなざし、固有の存在を
 超えたはからいを意味する



そんな、解釈があるのですよねニヤリ







こんなことを見てきたら、




あの世界のクロサワ(黒澤監督)の
代表作、

『生きる』



という映画を思い出して
見ちゃったんですなグラサン





(画像はネットからお借り)



あらすじは、Wikipediaによれば
以下のとおり





(もっと詳しいあらすじが知りたい方は
 こちら▶️ ストーリー






大人になったとしても、未知のものが無くなる

ということは無い。

むしろ大人になればなるほど、

未知のものはますます増えていくのが本当のところ

なんじゃないのか、と。


しかし、何故か人は大人になると、

その未知なるものへのチャレンジをやめてしまい、

社会の歯車になってしまう傾向にある。。。





先が見えないからこそ、

悩むワケであって


だからこそ、

なにものかに向かって

手探りで進んでいく。







だから、

その「なにものか」を決めて

進んでいったらいいし、

それを決めるのも

間違いなく「自分」でしかない。







あせる必要はない。

けれど、

悩む必要も(本当は)ないのかもよグラサン












生かされていることが

なによりも尊く、

ありがたいのだよね。





だから、「いきる」こと。







すべてのはからいのもと、

躊躇なく歩んでいこう照れ









では。





いつも、ありがとう^^







@Rico 


幸せは自分のために

世界が平和であるために