【熊野ねえさんぽ⑨神倉神社さん→登った先の御神体は】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

こんばんは!




@Rico です。





神倉神社さんの鳥居⛩から
中腹の踊り場まで

テクテク👣

テクテク👣




↑この旅の続きねニヤリ







さて。




さらにさらに

こーんな石段を
登っていくと、、、




おおっ❗️




朱色の玉垣と鳥居に囲まれた場所が
見えてきますよーニヤリ




鳥居の近くに近づいてみます。。。


ここからが
さらに敷居があるというか

雰囲気が違うように思えます。






こちらの奥に見えるのが、

御祭神である「高倉下命」さま
(タカクラジノミコト)
と「天照大神」さまが
祭られています。




『古事記』や『日本書紀』には、

カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)が

東征の途上、熊野を行軍したことが記されており、

そのときに登場するのが高倉下命です。




 神武天皇は初め、

日向の高千穂の宮にいましたが、

兄のイツセノミコトとともに

東方に天下を治める都を造ろうと

大和に向かいました。


瀬戸内海を渡り、難波から淀川を溯上、

河内に入り、大和に向かおうとしましたが、

大和の豪族のナガスネビコの迎撃にあい、

イツセノミコトが矢傷を負い、撤退。


 神武天皇はこの敗戦を、

太陽女神アマテラスの子孫であるにもかかわらず

太陽に向かって戦ったためと考え、

紀伊半島を南に迂回して熊野から北上して

大和に侵入することを目指します。







日本書紀によれば、




天皇はひとり、皇子の手研耳命

(タギシミミノミコト)と軍を率いて進み、

熊野荒坂津に至られた。


そこで丹敷戸畔(ニシキトベ)という者を誅された。

そのとき神毒気(アヤシキイキ)を吐いて

人々を萎えさせた。

このため皇軍はまた振るわなかった。

すると、そこに熊野の高倉下という名の人がいた。





高倉下命のその夜の夢に、

天照大神が武甕槌神(タケミカヅチノカミ)に

語っていわれるのに、


「葦原の中つ国はたいそう騒がしい。

汝が行って平定せよ」と。




すると、武甕槌神は、

「私が行かずとも、私がその国を平定した剣を

差し向けたら、国は自ずと平定されるでしょう」

と答えられた。


天照大神は「もっともだ」といわれた。



そこで、武甕槌神は高倉下に向かって、


「私の剣の名は『ふつのみたま』という。

いま、あなたの倉の中に置こう。

それを取って天孫に献上しなさい」と語った。

高倉下は「承知しました」と答えると、目が覚めた。





 そこで、夢の教えのままに翌朝、

倉を開いてみると、ほんとうに剣が落ちていて、

倉の床板に逆さに刺さっていた。

それを取って、天皇に献上した。


そのとき天皇はよく眠っておられたが、

たちまち目覚めて、

「自分はどうしてこんなに長寝したのだろう」

とおっしゃった。

ついで、毒気に当たっていた兵士たちも

みな目覚めて起き上がった。







桜とゴトビキ岩





神倉神社の御神体「コトビキ岩」は

神倉山の中腹、「天磐盾」(あまのいわたて)という

そり立つ崖の上にあり、



拝殿とともに鎮座されています。







ゴトビキとは熊野地方の方言で

ヒキガエルの事だそう。


巨岩のまるっこい形が

ヒキガエルに似ているので

そう呼ばれるようになったようですよびっくり







はるか海のかなたまで見渡す高台にあり、
神社に神様を祭る習慣がなかった時代から
神聖視されてきたところです。






お寺や神社がなかった時代から、

祈りのカタチを超えて、神聖視される特別な場所





こちらに来れたことに
あらためて感謝の気持ちが湧いてきます。。。





右の石段を登ると満山社があります。








こちらは、
今回は近くでご挨拶できなかったので
次回のお楽しみにしておきますね照れ








名残惜しいけど、
神倉山の景色を後にします🙏






テクテク👣


テクテク👣







テクテク👣


テクテク👣





下まで降りてきて


鳥居⛩の前から
最後のご挨拶を。



あたたかな光が眩しく映ります。







そして、
こちら神倉神社さんでの最大のお祭り



お燈とう祭り🔥🔥🔥





毎年26日夜に行われる神倉神社の例祭では、

古代以来の熊野山伏の伝統をもつ白装束に

荒縄を締め、ご神火を移した松明をもって、

神倉山の山頂から急な石段をかけおりる

男の火祭りがおこなわれます。





男の火祭り🔥




(このお祭りは、女人禁制なんです


 

火の洗礼を受けるものとして始められた

お燈祭りは、

炎の奔流が闇に火の斑を撒いて躍動し、

その壮観さは、こう表現されています。


「お燈まつりは男のまつり 山は火の滝、下り竜」









ということで、


どんどん🚐


どんどん🚐





次の目的地に進みますよニヤリ








では。




いつも、ありがとう^^







@Rico 


幸せは自分のために

世界が平和であるために