@Rico です。
えっと、
昨日、奈良ねえさんぽの記事を書いたとき
思い返してみて、
どうしても
室生寺の金堂前の
弁天堂にご挨拶したときのことが
気になって
気になって
気になりまくり
(°▽°)
なぜかの理由は
わかりません。。。
弁財天さま
をグーグル先生ほか
さまざま照会していたのよね
で、
見つけてしっくり来た画像が
こちら↓
りりしい‼️武将のよう
ステキな仏像。。。
お優しいお顔だわぁ
と
思っていたら
知り合いが今日
この画像をアップしていて
↓↓↓↓↓↓↓↓
むむっ。
次のねえさんぽは
興福寺ってことかい???
調べてみると、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・興福寺の弁財天は、窪弁財天と称し、
弘法大師が天川の弁財天を勧請したと伝えられる。
三重塔内に安置してある窪弁財天像は、
世尊院からの客仏であるが、古様を伝える像である。
・奈良時代の弁才天は、
持ち物が武器を主体とした武神の性格を
持っていたが、鎌倉時代以降は、
宇賀神と結びついて福徳の神に変化している。
・江島の八臂弁才天は、
福徳の神としての宇賀弁才天に変化した
初めの頃の作例で、端正で引き締まった顔立ちや
深く自然に乱れる袖の衣文などに
運慶派の特徴が現れており、
1230年代に幕府や御家人の関与を得て
同派の仏師により作られたと推定されている。
・銭洗弁財天宇賀福神社は、
お金を洗うと何倍にも増えて戻ってくると
いわれる霊水「銭洗水」が湧く神社。
銭洗水は境内の洞窟(奥宮)で湧き、
ご利益にあずかろうと多くの参拝客が訪れる。
また、弁財天の縁日である巳の日は
特にご利益があるとされ、一段と賑わいを見せる。
ために、源頼朝が世の救済を祈願したところである。
巳の年の文治元年(1185)の巳の月、巳の日の巳の刻、
宇賀福神から「この地に湧き出す水で神仏を
供養せよ、そうすれば天下泰平の世が訪れる」と
源頼朝の夢にお告げがあり、そこで源頼朝は
この地に社を建てて宇賀福神を祀った。
その後、世の中の混乱は収まったと伝えられている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ということは、
奈良か
鎌倉か
江の島か
うーむ。
2020年最初のねえさんぽの場所が
絞られてきたのだよ
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために